きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.30(
)

 9月最後の日曜日。終日、いただいた本を読んでいました。その月にいただいた本は、その月中に読んで、紹介してと思うのですが、なかなかそうはいきませんね。実は10月3日に書いてます^_^; アップするのは明日だな、こりゃあ。



詩誌『驅動』34号
kudo 34
2001.9.30 東京都大田区
驅動社・飯島幸子氏発行 350円

 盆帰省/小山田弘子

洗濯機の中に
私の脳が転がっていた
脱水され
ひとまわり縮んだ感じではあるが

ふるさとの水で洗われ
天日干し

広々とした空のもと
スカッとした干しぐあいは
生れ故郷の
吹く風しだい

 お盆に帰省したときのことをそのまま書いたようですが、無駄な言葉がなくスッキリした印象を持った作品だと思いました。洗濯機で脳を洗うという発想もおもしろいし、それを「天日干し」するところが、いかにも田舎に帰っているんだなという雰囲気を出していると言えるでしょう。何より「干しぐあいは」「吹く風しだい」というのがいいですね。乾燥機で時間短縮をはかって、なんて姑息な手段ではなく風まかせ。そんな余裕のない生活をしていることに、改めて気づかされます。小品ながら光るものを感じました。



詩誌『コウホネ』10号
kouhone 10
2001.10.1 栃木県宇都宮市
コウホネの会・高田太郎氏発行 500円

 首長族/相馬梅子

それぞれの国の男と女
遠い昔から
約束ごとのように
昨日につづく生き方をしている

日本のテレビ局
好奇と興昧 学術的にと
首長族の女たちを招いた

いく重にも首に真鍮の輪をまきつけた
首長族の女たち
十センチ 十五センチ
年齢と共に長くなる首
評判の首美人の長さは十八センチ

だが
ぐるぐる ぐるぐる箍
(たが)をはずす
陽の目を見ない秘密の肌の青白さ
もやしの白さ
(むろ)の中の独活(うど)の白さ

ずっしりと重い首輪
その重さに 肩の骨 肩の肉が下がる
その分 首が長くなる

「ああ この重さじゃ 逃げられないよ
川を渡れば沈んでしまう」

足の鉄鎖のように首に重々しい首輪
それは 男たちの策略
女たちは 素直に喜々として
首の長さを自慢する

 ああ、そういうことなのか、と納得しました。中国の纏足と同じことなんですね。では現在の日本では?と考えると、ハイヒールなどが該当するのかなと思います。あれじゃあ、咄嗟のときに逃げられない。スカートも逃げるには不適、考えればいろいろ出てくるかもしれません。
 美と「男たちの策略」とは意外に関係があるのかもしれません。それを「女たちは 素直に喜々として」いるというふうに世の中を見ると、違った見方ができますね。作品を拝見したばかりで、すぐには思いつきませんが、そういう見方をしたらどうなるかという視点を教えられました。



文芸誌『シェニーユ』15集
sheniyu 15
2001.9.16 広島県安芸郡府中町
蟲の会発行 500円

 日本詩人クラブの会員でもある長津功三良さんが「私の現代詩(二)」で、中原中也・冬木康について書いています。その中で次のような文章に出会いました。
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 私が大阪にいた時代(一九五三年春から六十年初夏まで
)、若手の詩人では『山河』に所属していた長谷川龍生や『爐』ではのち『人間』を創刊した中村光行などが、作品や生き様をふくめ独特の光芒を放っていた。彼らはいまだに宙空に凄まじい火箭を放射しつづけている。特に身近にいた中村光行の印象は強烈であった。若年の私は、彼らの作品や人間像に憧れたものである。ただ、彼らの目ざす仕会と人間の関わりより、より心象風景的で、感触的な作品を書いていた私は、かなわないな、と思いながら、自分なりの方向を歩き始めていた。
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 中村光行さんのお名前を見つけて驚いています。中村さんとは、もう15年以上のおつき合いになるでしょうか、年に一度はお会いしています。意外なところでつながりがあるのだな、と思いました。もちろん中村さんは有名人ですから、特に関西方面では出会う機会も多いのかもしれませんね。詩人の世界は狭いものですから、いずれ会うことになる、という気もします。
 この文章の中でもうひとつ注目しているのは「彼らの目ざす仕会と人間の関わり/より、より心象風景的で、感触的な作品を書い/ていた私」という部分です。何気なく書かれていますが、目指す方向がちゃんと判っていて、かつ友人は友人という、詩壇でのつき合い方の基本が現れていると思います。これが意外と難しいんですね。私はついつい、自分と大幅に違う人は敬遠し勝ちになってしまいます。そこを批判されたりもするのですが、この文章を見て、ああ大人の世界だなと思った次第です。50を過ぎて大人も何もないんですけど、改めて反省させられた次第です。



個人詩誌『ひとり言だもんね』14号
hitorigoto damonne 14
2001.9.27 東京都国立市 小野耕一郎氏発行 350円

 思考する石

遠い太古から運ばれてきて
路傍に蹲り悟りの境地にはいり
悲しみ深く
この世を見渡し沈思する石という聖者

来歴は遥か彼方の山の裾野
広大なロマンを秘め
川を渡り
野に鎮座する丸いひとつの問い

永遠という名の神に近い
晋遍的な真理に傾ぐ
厳かな行者の声を代弁する
硬質な語り部

けっして叫ばず
静かにこの世に君臨する
重鎮な意志
その正しさ

時の流れのなかで
飢えた時代に投げかける
野辺の霊魂
忘れ去られようとする悶え

大地の上に
しかと腰を落ち着け
まだ来ぬ幸福という世界の
礎たらんとする
ひとつの態度

 星の始まりはガスで、原子の衝突で熱が発生、そして固まって石化、次第に星になっていったのかなと思っています。その過程で石は本当に「思考する石」になったとしても不思議ではありませんね。原子の組合せ、分子の結合はDNAのように一定の地図≠ェあったのかもしれません。それを「思考」ととらえてもいいと思います。それを第3連は表現していると言えましょう。
 作品中の「聖者」「語り部」という表現は無機物を有機物に見立てていて、「問い」「意思」「悶え」「態度」とも呼応しています。無機・有機という分類は人間が考えたもので、実は意味がないのかもしれません。そういう視点でものごとをとらえ直す必要まで感じさせた作品です。



詩とエッセイ『山脈』109号
sanmyaku 109
2001.10.1 神奈川県横須賀市
山脈会・筧槇二氏発行 500円

 『山脈』の最新号です。自分の所属する同人誌ですから、紹介のみにとどめます。発送は10月7日の予定ですから、皆さんのお手元に届くのはちょっとあとになりますね。今回から「政経欄」「社会欄」も創設、ますます広い視野に立った雑誌を目指します。乞ご高評。



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