きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.1.3(木)
2日は家内の実家へ年始、3日は弟家族の来宅・姪の成人祝に妹宅へと、連日呑んだくれています。合間にいただいた本を読んでいるんですが、こんなペースじゃなかなか進みませんね。まあ、お正月だからと気を許していますが、シッペ返しがそろそろ怖くなる時期です。皆さんはどんなお休みを過していますか?
○松浦成友氏詩集 『空のマチエール』 |
2001.11.15 東京都豊島区 書肆山田刊 2000円+税 |
蛇口の戒め
蛇口は固く締めなければならない 固く
水の一滴がこぼれるとひびが入るんだ
手は何度も何度も洗うこと 石鹸を手に
泡に包まれたまますべての指紋が溶けて自分が消えていく
ああ 口を閉ざさなければ泌めていたものがどんどん逃げていって
しまう 泌め事が私を支えていたはずだったのに
呼吸するたびに回りを暖めてしまうんだ
皮膚呼吸を最小にして 流れ出る細胞のかけらをとどめてゆく
蛇口はしっかりと締めなければならない
空間の切り口から無がのぞいている
しっかりとふさいで「現実」で満たさなくてはならない
銀色の取っ手をおもいきり右に回し
その光沢を 光る手を縛り上げなければならない
蛇口に残った水をきりきりと絞り上げてみよ
「蛇口」をこういう風に書く人がいるとは思いもしませんでした。おもしろい詩集の中のおもしろい詩です。特に3連に惹かれました。そうか、口を閉ざすということにはそういう意味があったのか、と納得させられています。6連も意味が深いですね。
こうやって「蛇口」ひとつをとってみても、日常生活の中に詩はゴロゴロしていることが判ります。それをどう詩的に切り取るかが詩人の仕事、と考えさせられた作品です。
○坂尻晃毅氏詩集『営み』 |
2001.12.30 東京都港区 新風舎刊 1500円+税 |
一夜分の歴史
雨の音を聞いていたら
中原中也の「一夜分の歴史」という詩が読みたくなった
砂糖を多めに入れたコーヒーを飲みながら
夜の雨音に耳を傾ける、という内容の
静かな詩だ
僕は高校生の頃に買った
彼の詩集を探すのだが
部屋のどこを探してもみつからない
探しものはなんですか、
という歌の一節をふと思い出して
かばんのなかを漁ってみると
そこには 詩集ではなく どういうわけか
大きな ごきぶりの死骸が ひとつ
ごろんと 転がっていた
ああ 黒光りの体が語る生命進化の物語----
虫一匹の体が背負う何億夜分の地球の歴史----
そのごきぶりを見ていたら 柄にもなく
いたたまれない気持になって
かといって 僕には
そいつをティッシュにくるんで捨ててしまう以外
どうすることもできないのだ
詩集はまだ見つからない
雨が降っている----
中也の「一夜分の歴史」が出てきますから、これは相当に困難な詩になるはずだと思いながら拝見しました。第5連を見て驚きましたね。「虫一匹の体が背負う何億夜分の地球の歴史----」というフレーズは見事です。中也の「一夜分」に対して、ゴキブリの「何億夜分」は数の上で勝っている^_^; という見方もできますが、「歴史」という観点から人間とゴキブリの差異をとらえたことは注目に値します。
「雨が降っている----」ということ、中也の詩集ということでも詩情が豊かで、著者の感性のしなやかさを感じさせる詩集だと思います。まだナマの言葉が多いのですが、この感性があれば伸びていく詩人ではないかなと思います。精進を願って止みません。
○詩歌文藝誌『GANYMEDE』23号 |
2001.12.1 東京都練馬区 銅林社発行 2100円 |
馬・遠い瞳/宗 美津子
初秋の日高(※@)山脈の裾野
広々と続く緑の絨緞の牧場で
馬銜(※A)をはずされている馬たちが
ゆったり草を食んでいる
跳ねる子馬たち
駆ける子馬たち
大きな額縁一枚置いてみたい
風が草の匂いを浮き立たせ
私の心をもそよがせる
首をあげてじっと立っている一頭の青(あお※B)
黒曜石の瞳に空と雲が映っている
悲しみを湛えたような目頭が見ている先に
私も視線を移してみる
遠い丘陵のはずれに
小さく馬頭観音が見て取れた
語られなかった馬たちの歴史が
沈んでいるような青の深く潤んだ瞳
塵埃逆巻く中の蹄の音 銃の音 倒れる姿
幻のように眼窩に現れて青の姿に重なった
たくさんの馬たちが戦場へ行った
……軍馬という名で
そして還らなかった
青の嘶きがひと声
静かな牧場の空気を揺すった
見あげると
高い空の中を
馬の姿に似たいわし雲が
群れて西へ流れているところだった
※ @北海道日高地方は馬の育成地として有名。
Aくつわの・馬の口にくわえさせる部分。
B馬の毛色で、つやのある黒、またはそのような馬をいう。
「戦場へ行っ」て「還らなかった」ものは人間ばかりではなかったことを改めて思い出させます。「軍馬という名」の馬たちが日清・日露戦争のみならず、太平洋戦争にも使われたという事実は記憶に新しいところです。馬どころか軍犬、軍鳩、果てはバクテリアまで動員した戦争の本質をこの作品はとらえていると言えるのではないでしょうか。
「小さく馬頭観音が見て取れた」「馬の姿に似たいわし雲」と、作者が馬をいかにいとおしく思っているかも感じられます。北海道の雄大な風景とともに、縦軸としての歴史も織り込まれた秀作だと思います。
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