きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.1.6(
)

 昨夜から箱根の保養所に行っていました。家内が勤務する会社の保養所です。最近、私が忙しくて、いっさい家庭サービスをやっていないので、一泊ぐらい付き合えという家内の指示^_^;によります。親子3人で出掛けて、自宅には義母が泊って犬の面倒を見てくれました。料理も良かったし、ちょうど娘が誕生日だったんで、保養所からシャンパンの差し入れがあったりして良かったですよ。
 私にとって何より良かったのは、ゆっくり寝れたことですね。たらふく酒を呑んだせいもあって、夕食が終るとすぐに寝てしまいました。朝までぐっすり、10時間は寝ちゃいましたね。仕事をいっさい持ち込まず、空身で行ったのが良かったようです。家にいるとどうしてもパソコンの前に座るし、本に眼が行ってしまいます。たまにはそれらを遠ざけて、ゆっくり家族と過すことも必要なんですね。ところで、箱根神社で娘の高校合格祈願をしたけど、通じたかな?



季刊詩誌『夢ゝ』8号
yume yume 8
2002.1 埼玉県所沢市 書肆夢ゝ発行 年1000円

 錫ノ月/赤木三郎

シラジラト錫ノ月ノシタデ
オマエヲ
(と)ルベキダッタ
キノウノ草ハラデ

錫ノ月ハ
アノママニ キット空ニヒエテ
フシアワセダッタデアロウ

錫ノ身デ
トリノコサレテ 純白ノ
ママニ

 熱い思いをそのままに、「オマエヲ/奪」ったなら「錫ノ月」も「シアワセダッタ」かもしれない、という受取り方をしました。表面的にはそれで合っていると思いますが、注意しなければならないのは「錫ノ月」という言葉でしょうか。錫は人間が利用している金属の中で、比較的古い時期から親しまれているものです。半田などの合金にも古くから使われ、銀のように高価でもなく、冷たい光も発しないものです。銀の月≠ニいう言い方との違いを感じます。
 その「錫」と見たてる「月」には、私はやさしいものを感じます。「奪ルベキダッタ/キノウノ草ハラデ」と、表現はキツイのですが、その裏のやさしさを「錫の月」という言葉が滲ませていると思うのは、読み過ぎでしょうか。



隔月刊詩誌『石の森』107号
ishi no mori 107
2002.1.1 大阪府交野市 金掘則夫氏発行 非売品

 転回はUターン/美濃千鶴

転回はUターン
だと教習所の講師はいった
日本語を英語で説明され
生徒たちは家へ帰ると
恋人とホテルへしけこみ、ごろ寝してテレビ
 を見、パソコンでチャットに明け暮れ、カ
 ラオケとプリクラで暇をぽりぽりつぶして
 寝た

道に迷った
渋滞を避けようとしたのが間違いだった、よ
 くわからない交差点で右折したら、まるで
 知らない道に出てしまった

橋を渡った
反対車線は数珠つなぎなのにこちら側を走る
 ものはない
川沿いの道に出た
茫洋の闇の中、枝のない道が車一台やっとの
 細さでへッドライトに浮かんでいる

転回はUターン

禁止場所をすり抜けて
同じ道をもう一度
逆回転で走りなおす

川に落ちない
明日はあるのか

まわってもまわっても
影すら見えない深夜二時を
転回する

 「日本語を英語で説明され」と言われると、なるほどそうだなと思います。ラジオやイヤホーンなんて、日本語ではどう言うんでしょうかね。そんなことをまず考えさせられました。そして「道に迷った」。これもよく起きることです。やはり「渋滞を避けようとしたのが間違いだった」のかもしれません。私は最近は渋滞の中でも平気でいるようにしています。抜け道をしても時間の差があまりないことや、渋滞の中ではのんびり過すようにしています。神が与えた休憩時間。そう思うと少しは気が楽になりますね。もっともお酒を味わうことができないのは残念ですが^_^;



詩誌『饗宴』30号
kyouen 30
2002.1.1 札幌市中央区
林檎屋・瀬戸正昭氏発行 500円+税

 愁訴/山内みゆき

ご破算で ねがいましては

どのあたりから引き直そう
二十二才から
二十才から
十六才から
やはり人生前半に
転機があった模様
どこかで引き直していれば
また違う自分があっただろうかと
悔恨を引きずると
ますます今日の自分が
重たくなる いっそ
生まれないほうがよかったと
恨み言をいう筈の母ももういない
ご破算をし始めるときりがない
あなたたちの家庭に育ちたくなかったと
ご破算はおそろしい
私の影も急激に薄くなり始めるから
在る自分に開かれてきたドアが
ぱたぱたと閉まり始めるから
どこからご破算にしても
あちこちのドアは閉じ
ぱたぱたと違うドアを開けながら
結局今日の自分に辿り着いただろう
 と思う

だから 今日の自分が最高!

 最終連を見て安心しましたね。山頂を目指すのに、どのルートを通っても結果は同じということでしょうか。そこに至る過程が人生なんだろうなと思います。結果として同じなら、「どこかで引き直」すことをしなかったのなら、今ある道を歩くしかありませんね。そういう意味でも「人生前半」というのは大事な時期なんですけど、選択肢が少ないなと思います。中学・高校でほぼ一生のルートが決って、ほとんどはサラリーマンになるしかありませんものね。絵や詩を書いて、それで生活する道というのはありません。生活の糧は別に得て、残りの時間を詩にあてるというのが精一杯のところでしょうか。でもやっぱり「今日の自分が最高!」と言いたいですね。



   back(1月の部屋へ戻る)

   
home