きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.1.11(
)

 日本詩人クラブの理事会が神楽坂エミールでありました。今回は特に特記事項はありません。詩人クラブ3賞の候補詩集を決定する選考委員会が1月20日にあることが報告され、それを固唾をのんで見守っているというところでしょうか。理事会といえども選考委員会への発言権はありませんからね。
 そうそう、入会者が8名報告されました。そのうち1名は詩集をほとんどの理事が見ていないということで保留になりました。入会ご希望の皆さん、1冊でいいですから詩集を理事宛に送ってください。判断材料がないとどうしょうもありませんからね。その方は継続審議になりましたので、一定のレベルの詩集なら入会できると思います。
 結局7名の入会が承認されましたけど、この時期に入会するのは金銭的に大変なんです。4月までの今年度分の会費8000円を払わないといけませんから…。それを押してまで入会したいという方の熱意に頭が下がる思いです。理事の一員としてはその期待に応えないといけないなと思う次第です。



詩誌『馴鹿』29号
tonakai 29
2001.12.15 栃木県宇都宮市
tonakai・我妻洋氏発行 500円

 かなたに/和氣康之

南半球とけい座の方向
三千万光年のはるか
まばゆく輝く金の粒NGC1512

(なんと二千四百光年の直径をもつという)

ヒトは何故
そんなどうでもいい遥かの光りに
憧れるのだろうか

暗黒をただよう塵であったとき
核の一つに埋め込まれた〈ことば〉が
ある日 約束どおり
水と光と葉緑素の星でめざめる

一切の記憶は断たれている筈なのに
どうしたことか
海馬の奥のずっと深いところの
原形質で
幽かな潮騒がして
こうして星を仰いだりしてしまう

村の丘に立ち
星が囁くのを確かに聞いたことがある
七つの星の間を
橇が渡るのをこの目で見たことがある

面影なのだ
細胞の一つ一つが激しくあわだち
ゴッホも
賢治も
アインシュタインも
みんな面影に突き動かされたのだ

あの沈黙の遥か
とおい遠いかなたに
きっと
----- ある


 
棒渦状星雲 ハッブル望遠鏡にてとらえる

 人類はどこから来たのだろうという疑問への、ひとつの回答のように思います。すべてのものは「とおい遠いかなたに」にある。「〈ことば〉」もその中にあり、それらは「面影」である。人類はすべてその「面影に突き動かされ」いるにすぎない。という解釈に至りましたけど、合ってるかな?
 でも、どうして「そんなどうでもいい遥かの光りに/憧れる」のでしょうかね。出自への好奇心、知への好奇心と言ってしまえばそれまででしょうが、どうもそれだけではないように思います。人類の闘争の歴史を考えると、「海馬の奥のずっと深いところ」に何かがあるように私も思います。その何かとは「面影なのだ」とこの作品は言っているのではないでしょうか。根源を考えさせられる作品だと思います。



詩と詩論『新・現代詩』3号
shin gendaishi 3
2002.1.1 横浜市港南区
新・現代詩の会 出海渓也氏発行 850円

 こんな男はいないか/福中都生子

口笛を吹くと
武器を捨てた若者たちが
ギターやバラライカを持って
あとについてゆくような
そういう男はいないか

指笛を鳴らすと
武器を持たない女やこどもたちが
ミルクビンやお菓子を持って
小躍りしながらついてゆく
たのしい男はいないか

太鼓を打つと
腰まがりのじいさんばあさんが
わたしゃ 平和の防波堤になりまんがな
あんた先頭に立ちなはれ
たのもしい男はいないか

かるがると
二十一世紀の地球を持ちあげて
六十億人をゆっくりとゆすってくれる
力持ちの男はいないか
そういう男を 産みたいな
  
<二○○一・十一・十日>

 参りました。「そういう男を 産みたいな」と書かれたとき、男女に固執する気はありませんが、これはかなわないなと思いましたね。仮にそういう女を 産ませたいな≠ニ書く詩を作ったとしても、この作品にはかなわないだろうと思います。自らが産む性である者にしか、この言葉は出てこないでしょう。
 日付にも注意する必要があると思います。例の同時テロが起き、報復攻撃の最中の作品です。男たちが馬鹿げた戦争をしているのを見ている女性の眼を感じます。「武器」「平和」という言葉にそれを感じていますが読み過ぎかもしれません。勝手な読み方だとしても、そういう背景を考えてしまいますね。



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