きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.1.31(
)

 久しぶりに23時過ぎまで会社にいて、帰宅したのが午前0時前。このくらいの帰宅時間というのは、呑んで帰ってくるときは当り前なんですけど、仕事で、というのは最近では珍しいです。疲れました。やはり呑んで騒いで帰ってくるのとは違う疲れ方です。でも、新製品開発につながるかもしれない仕事でしたし、そこそこ思った通りの結果が出たので満足しています。うまくいいものが出来て、皆さんのお役にたてる製品に育ってくれるといいなと思います。



個人誌Le Petit Cadeau2号
le petit cadeau 2
2002.2.1 東京都練馬区 谷口ちかえ氏発行 非売品

 「カリブの国からカリブの風−P・K・ダグラスの世界」はMr.TimTim として知られるポール・キング-ダグラスの作品を訳しています。さらにカリブ諸国の「文化的・歴史的背景」まで紹介して、谷口さんの思い入れが判りますね。それらをここで紹介するのは難しいので、「紙上フォトポエム展」と題されたところの作品を紹介してみましょう。

 鈴成り

今年は熟れ年だって
----鈴成りね
暑かった夏の分だけ丸くなって
ビタミンCたっぷりの
栄養食品ね.
悪い虫など付かないよう
カラスの尖った口は
真似ないよう
手足を好きに泳がせて
これから何をつかむのか
自然落果や摘蕾・摘果
落ちていった誰かの分だけ
美味しく立派に実るだなんて!
その名は富有子 次郎 禅寺丸?
ヤマガキ ころガキ あんぽ柿?
親亀の背中に乗った
鈴成りの子亀を見ていた子供たち
半眼の大仏がおわす境内で

 こちらに顔を向けている6人の子供。おそらく谷口さんが撮ったと思われる写真が付いている作品です。子供の体が重なって、顔を傾けたり下から覗きこんだ、たった6人ですが「鈴成り」に見える写真です。先に写真があって、それから詩ができたのでしょうか。うまくマッチングしていると思いました。
 それはそれとして、でも怖い作品ですね。「落ちていった誰かの分だけ/美味しく立派に実る」というフレーズは、現代の競争社会をそのまま反映しているように思います。そして、いつもは「落ちていった誰か」が自分だと思っていたけど、実は落とした方ではなかったのかと気付いたとき、もっと怖さを覚えます。「親亀の背中に乗った/鈴成りの子亀」なら罪はないけど、誰かを蹴落としていないか。日本人であるというだけで、どこかの国民を困らせていることになっていないか、そんなことまで考えさせられる作品だと思いました。



投稿文芸誌『星窓』13号
hoshi mado 13
2002.1.15 大阪市中央区
星湖舎発行 1000円+税

なかぬならはなしておやりほととぎす
ひろいせかいでなかせておやり

なさねばならぬとおもいつつ
なるようにしかならなかった今がある

友は死に金魚のいまだ生きている
七年経ちて変わらぬこともあり

 「うめきちの似顔絵」と題された梅澤鳳舞さんの「倭歌四十九首」の中から拾ってみました。短歌はまったくの門外漢で、この三首が優れているかどうか私には判りません。私の心に引っかかってきた作品と受け止めてもらえれば、と思います。
 一首目は有名な不如帰三題の変形ですね。鳴かぬなら、鳴かせてみせる、鳴くまで待つ、殺してしまえ、の他に「はなしておやり」というのは、いい発想ですし、梅澤さんの真骨頂と言えるのではないでしょうか。二首目は「今がある」というところが優れていると思います。三首目に近い他の歌もありましたが、「金魚」という具体が生きていると思い、こちらを紹介しました。



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