きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.2.1(金)
高輪に出張してきました。新しい機器を開発したくて、4社ほどにあたっていたんですが、どこも駄目。そのうちの1社は原理まで出来たけど、開発費が膨大になるというので辞退。唯一、高輪に営業所のあるメーカーだけがやってみましょうと言ってくれました。細部の詰めの簡単な実験と打合せをやりました。年度内に納入してもらうことにしましたので、ちょっと忙しくなるかもしれませんね。でも、私としては好きな分野ですので苦にはなりません。新しモノ好きですからね^_^;
そのあとは神楽坂で日本詩人クラブの理事会がありました。私の担当している「詩界通信」8号が出来あがってきて、理事の皆さんに配布しました。会員・会友の皆様にも数日中に届くと思います。今回は日本詩人クラブ3賞の候補詩書が載っています。どなたの詩書が受賞するか、今から楽しみです。
理事会が終って懇親会になりました。そこで諫川正臣理事におもしろいものをいただきました。枸杞です。「くこ」と読みます。ナス科の落葉小低木で、葉が食べられます。ちょうどおひたしのような感じでした。近くの里山から採取して調理したそうです。私は草食動物のようなものですから、一番食べたかな。おいしかった。酒のつまみに最高ですね。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』260号 |
2002.2.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円 |
「世相両断・新世紀会のリレー随想」というコーナーがありまして、東海大学教授の山内和夫という方が「論言汗の如し」という文を寄せています。小泉首相、田中前外相への批判ですが、論の最後の部分で次のように述べています。
<もちろん、国民の側にも問題がないわけではない。多分、両大臣の発言や行動が大目に見られているのは、70パーセントを超える高い支持率があるためであろう。もし政冶経済に関する有識者や専門家だけが彼らを評価すれば、結果は逆転するに違いない。国民もただ単に熱に浮かれるのではなく、冷静に物事の本質を見据えることこそが肝要である。>
「有識者や専門家だけが彼らを評価すれば」という視点に驚きました。確かに会社などの組織では専門家が専門家を評価するのは当り前の話です。それが行政・立法という分野では国民生活に密着しているため、政治素人の国民の支持率を参考にするということになるのでしょうか。その点を突いていて、なかなか鋭い指摘だなと思いました。
専門家だけが密室の政治をすることが正しいとは、もちろん思いません。民主主義の欠陥にもなり得る衆愚政治も良しとはしません。どこかで落し所があるのかもしれませんね。それがどういう形なのか、現在の私にはまったく判りませんが、山内氏の指摘は重要な気がします。専門家が専門家を評価するという体制をどこかで取り入れなければならないように思います。
○詩誌『驅動』35号 |
2002.1.31 東京都大田区 驅動社・飯島幸子氏発行 350円 |
マトリョーシカ/飯島幸子
稚内 サハリン館で
サハリンから来たロシア人が
豪華な民族衣装を纏い
ロシア民謡を歌い 踊る
赤鼻のトナカイを日本語で合唱し 喝采を浴びる
声量があり 床を叩く足音は 力強い
民芸品売り場で 棚の大半を占めているのが
マトリョーシカ人形だ
顔の表情も 服の色模様もひとつずつ微妙に違っている
軽くて 大小様々だが
振ると 音がする
腰のあたりを開けると 一回り小さな同じものが出てくる
次から次へと出てきて 四個の人形になる
最後に出てきたのは 二センチ程
ひとつの人形にしたり
手品のように増えていくのが楽しめる
捨てようとした袋の底に
紙切れが入っていた
一番小さなマトリョーシカに願いを込めながら
息を吹き掛けて 閉じこめておくと
願いが叶うと言われています
願いが叶うまで開けてはいけません
サハリンの厳しい生活のなかで
素朴な この人形に
願い事を託しながら
春を待つ 民族衣装の少女を想い起こしていた
この人形に閉じこめて
私にも どうしても叶えたい願いがある
願い事をいろいろなものに託すというのは民族の違いを越えて世界中に存在するようです。日本では絵馬や達磨の目入れなどが代表でしょうか。「次から次へと出てきて 四個の人形になる」ような構造のものは、例えば箱根細工の箱にもあったように思います。そういう人類の共通性を、作者は「春を待つ 民族衣装の少女を想い起こしていた」というフレーズにも表現していると思います。
何より「私にも どうしても叶えたい願いがある」という最終行に、それは収斂しています。小さなことであれ大きなことであれ、「願い」なくして人間は一瞬たりとも生きていけないのかもしれません。そういう根源的なことをこの作品は訴えているように思いました。
○古郡陽一氏著『はるかに遠い』 |
2001.8.15 初版第2刷 東京都文京区 文芸社刊 1200円+税 |
副題に「−人生も、詩も、仕事も−」と付けられた著作集で、以前、共著はあったものの実質的な処女出版のようです。一部上場企業の役員という方で、詩も20編載せてあり自社での講演内容も載せてあるというユニークな本です。時々、会社のエライ人や政治家の書いた本を目にしますので、その類かなと意地悪く拝見しましたが、まったく違っていました。最初に読んだあとがきに当る「エピローグ」で次の言葉に出会い、認識を改めました。
<企業経営に携わっている立場では、真の意味での「人を大切にする経営」をどう具現化し、「詩ごころ」を企業人としてどう活かしていくか、ということでありましよう。『詩ごころ』の章に、「丹沢・大山詩の会」に発表した文章の一部を載せ、企業の外での勉強や交流の一端を紹介しました。サラリーマンの世界では「正しく生きるとはどういうことか」などの議論はタブーであり、「そんな真面目(マジ)な話止めろよ」で終わってしまい、酒の席ではもっぱら上司批判やゴルフ、新聞の社会面やスポーツ面の話題が中心になります。文化や教養を尊び、そういう議論を大事にする欧米の企業人に学ばなければ、グローバルな企業とは言えない。このことを真剣に考えなければならない時代に入りつつあると思います。>
一介のサラリーマンとしての私にも経営者へ申し述べたいことはたくさんあります。そのひとつが「文化や教養を尊」んでほしいということです。特に理系の会社の経営陣に対してその思いが強くあります。現役を退いてのち仏教を研究したり、短歌の世界に勤しむなどは見受けられますが、退いてからでは意味がないのではないでしょうか。個人としてはもちろん有益でしょうが、社員と社会に対する責任の重い時期にこそ「文化や教養を尊」ぶことが必要と思っています。そのことをきちんと述べていて、まずそこに共感しました。
はるかに遠い
コンピュータープログラムによる
三十八万キロの旅
月面に辿り着き
真空の沙漠を遊泳した人類
無重力の世界では
遠いか近いかが問題で
上か下かに 意味はない
銀河系の星は
まだ遠く
宇宙の果ては はるかに遠い
優勝劣敗の積み重ねによる
三十五億年の旅
遺伝子を受け継ぎ
高みと狂気を併せ持つ精神
競いあう社会は
身近な比較に過敏で
上か下かに 心を揺らす
争(いくさ)なき世界は
まだ遠く
「地球を一つに」は はるかに遠い
漆黒の宇宙から眺めると
地球ほど美しい星はないという
神様がつくられたのに
違いないという
この生命(いのち)の星が
自然への慈しみと
弱き者への優しさに
満ち満ちるのはいつの日であろうか
紹介した作品は詩集のタイトルポエムです。著者の基本的な姿勢を示している作品と言えましょう。第2連がポイントで「上か下かに 心を揺らす」無意味さは、社内向け講演の中でも述べているところです。理系と文系という対立の中での自我確立ではなく、統合してこそ本来の人格があると常々思っています。一私企業のヒラの技術屋としては不遜ですが、同志を得た思いをしています。
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