きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.2.4(
)

 日本ペンクラブの電子メディア委員会が赤坂の事務所で開催されました。主たる議題は2/15の例会で行う「電子文藝館」のデモンストレーションについて。ホームページを作成してくれているATC社からも担当者に出席してもらい、具体的な詰めをやりました。プロジェクターも人員もATC社にお願いしましたから、まあ、何とかなるでしょう。説明は秦委員長、操作は私ということになりました。
 今回の委員会からプレジデント社の企画編集本部担当部長・青田氏に委員として加わっていただきました。秦委員長の提案によりますが、それにしても秦さんという方は交友範囲が広いので驚きます。広く読まれている『プレジデント』の部長を委員にしちゃうんですからね。私も一私企業の一員として働いていますから判るんですが、なかなか出来ないことなんです。
 もうひとつ重要なことが決りました。秦さんは当面「電子文藝館」に専念したいから、電メ研のもうひとつの重要な側面である文字コードの問題やインターネットでの文芸保護の問題については、副委員長であるお前が旗を振れ、というものでした。うーん、正直なところ困りました。それほどインターネットも文芸も詳しいわけではありませんからね。でもすべて秦さんにお願いすると秦さんがツブレてしまうのは目に見えていますから、ここはグッと堪えて引き受けました。素人は素人なりにやり方があるだろうと思う次第です。幸い委員には加藤弘一さんという文芸評論家にして文字コードに詳しい方がいらっしゃいます。彼の協力しますという一言を頼りにやってみようと思っています。このHPでも逐次報告していきますから、ご覧になっている皆さまのご声援、よろしくお願いいたします。



高橋茅香子氏訳『最後の場所で』
チャンネ・リー原作
saigo no basyo de
2002.1.30 東京都新宿区 新潮社刊 2300円+税

 上述の電子メディア委員会で高橋茅香子さんよりいただきました。原作者のチャンネ・リー氏は1963年ソウル生れの韓国系アメリカ人。一人称で登場する「ドク・ハタ」は第二次大戦中、日本軍の軍医補助中尉だった人物で70歳を越えた設定になっています。高橋さんもあとがきで書いていますが、原作者が30代前半で老年の機微をどうして書き得たか不思議な思いにとらわれる作品です。
 アメリカの静かな田舎町で、医療器具販売店を経営して成功をおさめ、町の人たちから尊敬の目で見られている「ドク・ハタ」の、大戦中の従軍慰安婦との交流を縦軸として、壮大な邸宅に迎い入れた養女との葛藤を横軸とした人間味あふれる作品と言ったらいいでしょうか、歴史の深部まで抉り出していく筆力に圧倒されました。
 原作名は「
A Gesture Life」。和製英語で書けば「ジェスチャー・ライフ」ですね。それを高橋さんは「最後の場所で」と翻訳しています。昨今のブームから言えば絶対に「ジェスチャー・ライフ」になったはずです。それをきちんと邦訳した意味を読者は作品を読むことでしか理解し得ないのではないかと思います。新潮社が新しく世に送り出した「新潮クレスト・ブック」の一冊です。是非お読みください。
 ここでは、直接訳者と接している者のみが知り得ることをバラしてしまいましょう^_^; 高橋さんの了解は取っていませんが許してもらえると思います。「
Gesture」を何と訳すか迷いに迷ったそうです。邦訳は「体裁」。ルビに「ジェスチャー」と付けたそうです。私のカウントに間違いがなければ、本文に3ヶ所出てきます。その部分と「最後の場所で」という邦訳タイトルとの考えながら読み進めるのも、ひとつの読み方だろうと思います。



詩誌『撃竹』50号
gekichiku 50
2002.1.30 岐阜県養老郡養老町
冨長覚梁氏発行 非売品

 撃竹の一声/冨長覚梁

早朝 寺の小僧が庭におり
色を失った木の葉を掃いていた

箒の動きに逆うこともなく
木の葉はよりそい
よりそいあうごとに自己主張を
細らせていった

公案の答えのみつかることのないままの
小僧の早朝 そしてまた朝

掃きあつめた木の葉の塚に
小僧は火をつけ
冷えていく心を温めていた

今朝も小僧は木の葉を掃く
勢いあまって箒は 小石をはねとばし
石は竹やぶの一竿の竹を撃つ

カァァン 撃竹の一声

小僧の耳を撃ち 小僧の虚空に風がたち
撃竹の一声を かかえたまま
まだ薄明の廻廊を
蒼い炎のように渡っていく
小僧の 撃竹の朝

 「創刊20周年 50号記念特集」とありました。まずそのことにお祝いを述べたいと思います。一口に20年・50号と言いますけど、生半可な数字とは思えません。ところで「撃竹」というどういう意味なのか、長い間疑問に思っていました。今号ではその疑問を解すべく藤富保男さんが「詩の心を継ぐ」で、冨長さんご自身が「撃竹」という文章でお書きになっています。そして、紹介した作品によってもその意味を述べているわけです。
 「公案の答えのみつかることのないままの/小僧」とは、悟りに至らない小僧という意味になるようです。それが「撃竹の一声」で悟った、というのがこの作品の主旨ではないかと思います。もちろん、それがそのまま詩誌「撃竹」の由来でもあるわけです。「詩も一つの悟り」と語る冨長さんの思想を具現化した作品と言えるのではないでしょうか。



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