きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.2.19(火)
「危険物取扱者免状」というものがあります。ガソリンなどの有機溶剤を大量に扱う者やガソリンスタンド経営者には必要な免許です。私は1972年に取りましたから、もう30年も前になりますね。当時は免状に顔写真もなく、一度取れば一生もので、更新も無かったと記憶していますが、いつの間にか5年毎の更新になり顔写真も添付されるようになりました。更新時には講習を受けることも義務付けられるようになって、今日はその講習会でした。
各都道府県知事が発行する免状ですから、本来は県庁所在地などで講習が行われるのですけど、私の勤務する会社のような社員の多い事業所には保安協会から係員が派遣されて来ます。会社の施設に200名ほどの受講生が集って講義を受けました。人数が多いので2回に分けて開催、聞いていますので、当社と関連会社を合せると400名ほどが免状を持っている計算になります。今でも合格率20%台と聞いていますから、その難しい試験に400名も合格していたのかと、まず驚きましたね。
さらに驚いたのは、5年に一度の講習会が3年になってしまったということです。講師は来年からは2年になるかもしれないと言っていました。理由は化学工場の事故が減らないからだそうです。確かに、示されたデータによるとそうなっているようです。何もしないよりはマシだけど、でも、講習で事故が減るのかな? ちょっと疑問です。じゃあ、お前ならどうする?と聞かれても返答に詰ってしまいますけど…。まあ、4時間を使って200名も受講したものが、壮大なムダにならないことを祈るばかりです。
○詩誌『銀猫』9号 |
2002.2.1 群馬県前橋市 飯島章氏発行 400円 |
競馬場跡で/飯島 章
「でも歌いつづけよう」
柵の中でいちめんに生い茂る夏草の
どこかにぼくたちはいるのだ
老いぼれて
ただそこにあるコンクリートの廃墟のように
風や雨粒や陽射しを刻み込まれた
黒ずんだ目尻の皺 そして霜降る髪を
老いぼれたあかしとはせず
恋や愛の名前で呼ぼれたぼくたちの
いちゃつきや辛い諍いが
いまもなお生きていて
たてがみ靡かせ
ギャロップで駆けているのだと
その熱い風を切る音
蹄鉄で蹴り上げる大地の痛ましいほどのしぶき
それらがいまぼくたちの身体に
ようやくとどいたのだと
どこかにぼくたちはいるのだ
夏草のいい匂いと風に洗われて
素裸で
ここで かつては競馬場であったここで
抱き合い 眠るように
そして 夏空の入道雲のように
はるかむこうから 過ぎた日々の歓声が
やわらかな蔭となって
頬をかすめていく
「でも歌いつづけよう。どこかでいつの日か
知るだろう。眠っているのは死んでいるのではないと。」
註 「でも歌い‥‥」W・B・イエーツの『ゴールウェイの競馬場で』より引用。
競馬場跡という設定、馬と「ぼくたち」という登場人物がイエーツの詩にうまくオーバーラップされた作品だと思います。すべてが「眠っているのは死んでいるのではない」という言葉に収斂していって、そろそろ老年を迎えようといている私には、痛いほど伝わって来ます。そうなんだ、ただ眠っているだけなんだ、と納得させられてしまいますね。作者が私と同じ年齢だということが判っているから、そう感じるのかもしれませんが…。
「柵の中でいちめんに生い茂る夏草の/どこかにぼくたちはいるのだ」「それらがいまぼくたちの身体に/ようやくとどいたのだ」というフレーズには特に惹かれます。自分の存在というものを新たに見つめ直した作品です。
○詩と散文・エッセイ『吠』18号 |
2002.2.15 千葉県香取郡東庄町 吠の会・山口惣司氏発行 700円 |
つぶやき/牧田久未
そうですね
わたしはふいにつぶやいた
声に出してしまうと
それはまるでうごかせないもののようにかたくなるけれど
きよう一日私はたくさんたくさん問いかけた
答えられるものもあったし
答えがわからないまま
心の中でビンビンうごいているのもある
ただ今となってはもうきょうも終わりの時間だし
なんだか言葉にもなれず
やけになまあたたかいままの思いにもわるい気がして
私はふいにそう言ってしまったのだ
何の承諾でもない
何の力もこめていない
きょうとあすがすれちがう微かな音
それでも心の中の何かにあたって
ふっとしずかにねむりたくなったりする
「きょうも終わりの時間」になって、「そうですね」とつぶやくことは確かにあります。「何の承諾でもない/何の力もこめていない」つぶやきに自分自身が救われる気がして、確かにそう言うときがありますね。「心の中でビンビンうごいているのもある」けれど、そんなつぶやきですべてを許せるように気になります。宗教を持っている人なら、それを祈りというのかもしれません。
困るのは、思わず「冗談じゃねえ!」と言ってしまったときです。次から次へと憤りの感情が噴出してきて、「きょうとあすがすれちがう微かな音」など聞く余裕も無くなってきます。やはり「ふっとしずかにねむりたくなったり」したいものです。眠りの前の瞬間をとらえたおもしろい作品だと思いました。
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