きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.2.23(
)

 同人誌『山脈』の月例会が横浜でありました。久しぶりにホテルを予約して、ゆっくり呑む態勢を整えました。会は夕方からですので、日中は映画を観ました。いつもなら馬車道の「東宝会館」に行くのですが、そこは先日閉鎖されてしまっています。桜木町の「みなとみらい(MM)21地区」に新しく映画館が出来ているというのでそこに行ってみました。観た映画は「ハリー・ポッターと賢者の石」。映画そのものは可もなく不可もなし、というところで、まあ、そんなもんでしょう。感激したのは映画館のシートです。ゆったりとしていて、思わずリクライニング機構についているのではないかと思ったほどです。映画館のシートにはいつも不満をもっていたのですが、ようやく解消された思いです。
 月例会の方は二次会までしっかりつき合って呑みました。



月刊詩誌『柵』183号
saku 183
2002.2.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 死んだふり/中井ひさ子

こんな激しい雨の日は
畳にすっと横になり
日常捨てて死んだふり

子犬が顔を舐めてくる
くすぐったいけど死んだふり

電話のべルが鳴ってます
どうせたいした用やない
たいした用でも死んだふり

玄関チャイムが鳴ってます
郵便屋さんか友人か
なにがなんでも死んだふり

あのことこのこと
どないしょう
心がごそごそ動きだす
しらんしらんと死んだふり

うちがうちにかえるため
ほんのひととき死んだふり

 この気持は判りますね。「うちがうちにかえるため」には「ほんのひととき死んだふり」をしなければならないというのは、ちょっぴり淋しい気もしますが、まあ、それが現実の姿でしょう。でも、どうして、いつからこんな状態に私たちは追い込まれたのでしょうか。昔からそうだったのかもしれません。まがりなりにも8時間労働が守られている現在、12時間労働の時代を考えると、少しはマシになったのかなという気はします。でも単位時間あたりの労働時間というのは驚異的に上がったから、そうとばかりは言えないのかもしれませんね。専業主婦でも同じなんでしょうか。作者が専業主婦かどうか知りませんけど、家庭にいる主婦にも時代の波は押し寄せているのかもしれません。そんなことを考えさせられた作品でした。



大谷武氏詩写真集『鏡のなかの私』
kagami no naka no watashi
2002.2.22 栃木県宇都宮市 下野新聞社刊 1200円+税

 「room no.3707」という副題が付いていて、若い女性がホテルのシングルルームで「あの人」のことを思いながら鏡に向うという設定になっています。プロのカメラマンのモノクロ写真に、物語のように一編の詩が付いているという形です。写真は紹介できませんが、気に入った詩編をあげてみましょう。

 ありがとう
 なんていうことばはいらない
 わたしはわたしのために生きている
 だれかのために施しをしたことなんかない
 (結果的に 喜んでもらえたら それはとても幸せなこと)
 今は
 あの人のために自分の時間をあげてもいい

 それがわたしのためだから

 なかなかいい所を突いているでしょう。こんな個所もあります。

 鏡に映っているのはわたしではない
 だって
 いつ見ても正面を向いている
 いつもわたしは伏し目がちなのに

 微妙な女心をうまくとらえていると思います。さらにこんな個所もあります。

 海のいろは 結局 空のいろだ
 海は空の鏡

 わたしとあの人の
 関係に
 似ている

 引用するとキリがないんでこの辺にしますが、こんな詩編と若い女性の姿が写された詩写真集です。はっきり、売ることを目的にしたものだと思います。詩のひとつの可能性があると言ってもいいんじゃないでしょうか。
 それにしても、作者はこんな女心をよく描けるものだなと敬服しました。



池袋小劇場機関紙『小劇場』90号
2002.2.15 東京都豊島区 池袋小劇場発行 非売品

 日本詩人クラブ会員の赤木三郎さんよりいただきました。私は演劇にはまったくの無知ですので知らなかったのですが、この機関紙によると、赤木さんは「池袋小劇場」の俳優さんたちのセミナーで講師をしている方なんですね。しかも2ヶ月で5回も!
 この機関紙に書かれていたことを勝手に紹介します。1934年に真船豊という人が作った「鼬」という作品が1993年に上演されて、今回、再演されるそうです。本の帯風に書くと「昭和の初め、鉄道から五六里離れたある旧街道に沿った村でのこと」となるようです。日程は、

 4月24日(水)    19時~
 4月25日(木)14時~、19時~
 4月26日(金)    19時~
 4月27日(土)14時~、19時~
 4月28日(日)    19時~
 4月29日(月)    19時~
 4月30日(火)14時~、19時~
 料金は前売2500円、当日2800円、学生2000円。

 HPが開設されたことも載っていました。URLは 
http://www8.gateway.ne.jp/~ikesyou/
 演劇好きの方は訪れてみてください。



進 一男氏詩集
『聖ピエロあるいは黄昏道化たち
st pierrot
2002.3.27 宮崎県東諸郡高岡町 本多企画刊 3500円+税

 一編の詩が100頁に渡り、一冊の詩集となっています。「人生とは道化ではないのか」というテーマのもとに経験と知見に基づく著者の思想が詰った詩集だと思います。長くてすべてを紹介するわけにはいきませんが、おそらくポイントになると思われる次の個所を紹介してみます。

もうひとりの小さなリベラリスト
Mのことを私は語るべきであろうか

彼は既に学校を追われていた
何処かにどうやら転校できたらしいということだったが
それ以後 音信は途絶えていた
戦後二年程経って 彼から部厚い手紙が届いた
その中の一部に 以下のような事柄があった

彼Mは戦後早速数人のかつての教師たちを訪ねた
転勤していたり 退職していたり 住所が変わっていて
訪ねるのにある程度の月日を要した
Mはかつての教師たちに 一応次のような質問をした
〝今 貴方はあの時の貴方自身をどのように思っているか そして
今 貴方は今の貴方をどのように考えるか〟
彼らの答えは大同小異で ひとまとめにすると次のようになる
〝あの時はあのような時代であれで仕方ないことだし 今は今のよ
うに生きざるを得ないことなのだ〟
それならばとMは更に彼らに尋ねた
〝今度何処かのようにファシズムの時代になったら 貴方はファシ
ストたちの手先になるのですか〟
それに対して ある者は苦笑して答えず
ある者は〝そのようにならないように今努力すべきではないか〟と
極くありきたりの答えをし
またある者は〝その時はまたその時で止むを得ないではないか〟と
言う
そして更にある者は〝お前ももっと利口に生きないと駄目だぞ〟と
さえ言うのだった

人間って何と哀れな生きものなのだろうとMは書いている
時代の流れに流されて生きているだけのことなのだろうか
古い時代が去り新しい時代が来ても 人は唯
新たにより厚く化粧をし直して
新しい時代に生きて行くだけのことなのだろう
それではまるでピエロではないか
しかしそのように考えて
つまりは俺自身も余り違わないのではないかとMは思ったのだ
確かにあの時に少し突っ張っていたとしても
それがあの時を止めるのに少しの役に立ったわけでもなく
また新しい時の到来のために行為したということでもなく
唯々 結局は言われるままに動いていたに過ぎないではないか
化粧の度合いが幾らか薄くてすんでいることはあるが
やはり同じくピエロに違いないのである
現在を自分たちの手で掴みとったのではなく
現在を思いもかけず恵まれてしまっただけのこと
有難がっている俺もまた何たるピエロよ

 戦争前後の10代半ば過ぎの少年K、M、Nについて語っている部分のうちの、Kに関する部分です。おそらくこれらの体験が著者の思想の根源になっているものと思われます。戦後世代の私などには軽々しく言えないことですが「時代の流れに流されて生きているだけのことなのだろうか」「唯々 結局は言われるままに動いていたに過ぎないではないか」などのフレーズに共感します。21世紀を迎えた現在も、基本的には何も変っていないのではないかと。また、「現在を自分たちの手で掴みとったのではなく/現在を思いもかけず恵まれてしまっただけのこと」というフレーズは、まさしく私たち戦後世代のことを言われているように思えてなりません。
 長い作品を読み終えて、「〝あの時はあのような時代であれで仕方ないことだし 今は今のよ/うに生きざるを得ないことなのだ〟」という思いが、私の中にもあることを認識させられています。考えさせられた詩集です。



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