きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.2.28(木)
2月も今日でおしまい、と3/17に書く白々しさ^_^; 遅れに遅れた更新も、ようやく2月を書き終えるまでに漕ぎ着けました。詩誌や詩集を送ったのに返事が遅い、とイライラなさっている方も多いと思いますが、今しばらくご容赦ください。
○作品集『丹の山』2集 |
2001早春
神奈川県伊勢原市 丹沢・大山詩の会編 1000円 |
膝の温もり/岡本昌司
少し、昔の話である
乗合バスに車掌さんが乗っていた頃の話である
車掌さんは、「バスガール」と呼ばれていて憧れの職業だった
肩から革のベルトを下げ、大きなバッグを腰前にして
走るバスの中を、歩きながら笑顔でキップを切り、バス停を告げ扉を開閉する
今日は、どんな人に会えるか少年は、心をときめかせたものである
車内が混んでくると
そっと手が伸びて、立っている人の荷物を膝にのせてあげる
「どうぞ。」
「すみませんね。」
私も、少し勇気を出して女子学生の鞄を膝にのせた
心地のよい重さを乗せてバスは走った
冬の鍋を囲むような
あの温もり
おそらく、私と同じ時代を生きてきた方の作品だと思います。「今日は、どんな人に会えるか少年は、心をときめかせたものである」というフレーズはまさにその通りで、30年以上も前の光景をなつかしく思い出しました。「そっと手が伸びて、立っている人の荷物を膝にのせてあげる」のは「バスガール」の行為なのか乗客の自発的な行為なのか、この作品からはつかめませんが、おそらく後者でしょう。その光景も甦ってきています。
最終連が具体的で良いですね。ちょっと前までの日本人が持っていたいたわりの精神を思い出させてくれた作品です。
○作品集『丹の山』3集 |
2002早春
神奈川県伊勢原市 丹沢・大山詩の会編 1000円 |
誓い/古郡陽一
正義を語ってはいけない
数々の恥ずべきことを
エグリ出し
告白しなければならぬ
愛し合う装いは止(や)め
甘い言葉に溺れず
約(やく)しあった誓詞(ちかい)の心
研ぎ直さねばならぬ
希望を持ってはいけない
朝の明けぬ不安に
耐えねばならぬ
ときが来る
だからこそ
ゆとりなき歳(とし)を凝視(みつ)め
怠惰に流れぬよう
膿んできつつある精神(こころ)に
刃(やいば)を突きたてねばならぬ
… … …
幾度たてた 誓いであろうか
次の日から
心のネジが少しづつ緩んでいく
又いっぱいまで巻き直す
(九九年三月初作、二○○一年二月一部改)
現在の一般的なホームページ作成ソフトではルビがサポートされていません。止むなく新聞方式としました。ご容赦ください。
この「誓い」はよく判りますね。「幾度たてた 誓いであろうか」身に覚えがあります。そして、やはり「次の日から/心のネジが少しづつ緩んでい」きます。怖いのは緩んでいることに気付かないことですが、作者はちゃんと「又いっぱいまで巻き直」していますから、そこは押えているようです。こういう作品に出会うと、思わずわが身を振り返ってしまいますね。それも言葉の力≠セと思います。
○会報『やまどり』22号 |
2002.2.14
神奈川県伊勢原市 丹沢・大山詩の会編 非売品 |
ひとりあそび/上村邦子
鍋に残った昨夜の味噌汁
すっかり冷えきって いかにもまずそうだ
しかし 捨ててしまうのはもったいない
小腹もすいたし
まずは 鍋をあたためてみる
最初は中火で ゆっくりと
沸々してきたので火を弱める
レンジのまわりに 香りがよみがえった
食器にうつすと ちょうど一杯分
ひと口すすり 熱さをたしかめ
喉に通して 胃の腑におとす
残り物の味噌汁で
家事で冷えきった 手が暖まった
お腹も満ちて 鍋もかたづき
得した気分ですわっていると
そこへ 夫が帰宅する
汁はもうない
しかし かすかに残った味噌の香りは
夫の鼻腔の奥にまでしのびこみ
いつのまにか ふたりあそびしてる
はい、ご馳走さま、と言ってしまえばそれでオシマイなんですが、そうはいかない作品だと思います。まず、日常のささやかな幸せが具体的に描かれていて、こちらにまで「鼻腔の奥にまでしのびこ」む「味噌の香」がして、筆力がある方だなと思いました。視覚、聴覚に訴える作品は多いのですが、嗅覚に訴える作品は少ないんです。その点がすごい。
「いつのまにか ふたりあそびしてる」も下手をするといやらしくなるんですけど、ここではさわやかですね。そのさわやかさに思わずほほえんでしまいます。作者のお人柄と筆力の成せる技を見せられた作品と言えましょう。
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