きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.3.5(火)
日本ペンクラブ電子メディア委員会が赤坂の事務所で開催されました。今回の目玉は委員会内部を電子文藝館担当と電子メディア研究のふたつに分けようかというものですが、決定には至りません。そんな決定よりも大事なのは、この半年ほど電子文藝館に全精力を傾けてきましたけど、やはり電子メディア問題を検討する本来の委員会に立ち戻ろうという秦委員長の発言だと思います。個人情報保護法案への対応や、電子謀諜システムのエシュロンへの対応など、研究しなければならない問題は山積みです。そこを抜かりなく目を配る秦さんはさすがだと改めて思いましたね。
奇異に感じたのは、今まで秦さんが坐っていた司会席に私が坐らされたことです。会議に5分ほど遅れて到着したので、なぜそうなったのか今だに疑問なんですが、まあ、たいしたことではないので言われるままにしました。最後に「まとめを」と言われたので、今後そのようにしろということなのかもしれません。そんな大任は無理だと思っていますけど、やれるだけのことはやりましょう。力不足ですぐに解任されそうですが^_^;
○冨長覚梁氏詩集『そして秘儀そして』 |
2001.11.15 岐阜県養老郡養老町 れんげ草舎刊 2500円 |
棘
朧月の春を迎えられたお祝いにと
魚屋で求めた鯛を
森の中に住む叔母に届けた
これを食べて
その棘が刺ったらどうするの
朧月を忘れた口調で 叔母が
つめよってきたあの春の夜
鯛を人さまに贈るときは
笹の葉に載せてくるもの
棘の多い鯛 その棘が喉咽に刺ったら
その笹の葉を燃やして灰を食べるの
みごとに棘が抜けるの
この言葉を最後にして
にわかに鯛よりも軽い身となって
森の中から消えていったあのひと
内耳に抜けることもなく刺っている
棘のようなこのひとの遺言
魚屋の店頭に 桜色をして並んでいる鯛
笹の葉のないままの
売り買いのさまを眺めていると
棘の刺っている内耳のあたりが
疼いてくる
列車のなかの真向かいの どの人も
朝から無口でいるのは
昨夜 喉咽に刺ったままの
棘の痛みのためであろうか
どの人も笹の葉を求めて 出かけても
竹は見あたらないで
喉咽の奥には だれのとも分らない
棘のある言葉までが 刺っている
本年度の第35回日本詩人クラブ賞に決定した詩集です。贈呈式は4月13日に神楽坂エミールで行われます。著者は岐阜県養老町在住。1997年の日本詩人クラブ大垣大会でお世話になった詩人です。
さすがにうまい作品ですね。特に最終連の押え方は見事だと思います。世間知らずの私には笹の葉の意味まで教わって、そういう面でも感心しました。「朧月の春」「森の中に住む叔母」などの設定も、まさに詩だなと思いました。叔母から教わった笹の葉の意味、鯛の棘などのモチーフを縦横に使って組み上げていく手法は、ほとんど職人芸と言ってもいいのではないでしょうか。教えられることの多い詩集です。
○詩とエッセイ『橋』105号 |
2002.3.3 栃木県宇都宮市 橋の会・野澤俊雄氏発行 700円 |
レッスン/和田 清
朝の目覚め
ふとんの中で
起きようか
起きまいか
このグズグズが
えもいわれない
生誕のとき
母の胎内で
生まれようか
生まれまいか
グズグズ
やっていたのだろうか
それにひきかえ
夜の眠り
秋の日のつるべ落とし
まっさかさまに
落ちていく
臨終のとき
こうあってほしいんだが
最終連が効いている作品ですね。判りやすい作品ですが、おもしろうてやがて哀しき、で、印象に残ります。一生をたった4連で表現できるのか、という驚きもあります。「レッスン」というタイトルも奏効していると思います。短い作品ですけど、忘れられない作品になりそうです。
○個人詩誌『伏流水通信』2号 |
2002.2.28 横浜市磯子区 うめだけんさく氏発行 非売品 |
伏流水/うめだけんさく
数え切れない
痛苦をたえ
曲がりくねった地層の
暗い径をくぐり抜ける
くぐもったけものの震えや跫をききわけ
いつ外光にめぐりあえるのか
だれにもわからない
脈々と波打つ生命の音を
そのときどきにききわけながら
血流の果てへと向かう
詩誌名の由来とも言うべき作品ですね。うめださんの決意のほどが判ります。おそらく「脈々と波打つ生命の音を/そのときどきにききわけながら」というフレーズに重きを置いているのでしょう。うめださんの詩への、生き方への姿勢が「血流の果てへと向かう」というフレーズにも端的に現れている作品だと思います。影ながら応援しています。
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