きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.3.9(
)

 日本詩人クラブの3月例会が神楽坂エミールでありました。日本詩人クラブ新人賞受賞者による「私の詩の現在」は柴田三吉氏のお話でした。湾岸戦争、今回の報復戦争に触れ戦争は言葉が殺されたところから始まる≠ニいう指摘は鋭いと思います。言葉の力を信じて詩を書いてきたけど、同じ過ちを繰り返す人類に絶望しているという氏が、詩は結局、小さい声・低い声でしか語り得ない、でもそれが強い思想に裏打ちされた言葉であれば良いのだ、という結論に至ったのは納得するものがあります。受賞を機に、大きく内面を広げた詩人を見て、人類への絶望はともかく、うれしくなりましたね。
 シンポジウムは前回に引き続いて一色真理氏、中村不二夫氏、石原武氏による「21世紀に現代詩の未来はあるか」。今回はインターネットなどの技術編でした。私もホームページとは何か♂説しろと発言を求められましたけど、難しかったですね。何も知らない聴衆という前提に立つと、とても5分や10分で説明し切れるものではありません。インターネットそのものを嫌悪している人もいる中では、この企画は良かったのかどうか。時期的には今頃やらないといけない、1年後では意味がないと思いますけど…。まあ、基本はやりたい人はやれば良い、やりたくなければそれも良し、なんです。言っても判らない人にはいくら言っても無駄、判る人には何も言わなくても判る、そういうものだと思っています。
 今回も青森から瀬川紀雄さんがおいでになりました。お泊りになるというので二次会、三次会と連れ回し、とうとう四次会まで付き合ってもらいました。朝まででも良かったんですけど、私は帰らなければいけなかったので四次会の途中で失礼しました。客人を放って帰っちゃって、悪いことをしたなと今でも反省しています。瀬川さん、ごめんなさいね、懲りないでまた一緒に呑んでください。



中山直子氏ロシア詩集『銀の木』
gin no ki
2002.2.16 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2300円+税

 何というむごいことを

アメリカにいる両親と兄一家を
訪れるためアメリカ大使館に
ビザをもらいに行った人がいたが
----何だか大使館がしまっていたよ
飛行機がペンタゴンにつっこんだらしい
ニューヨークとあと一箇所でも……
ニューヨークの空港は閉鎖になっているよ

驚いて帰って来て
TVをつけると
貿易センタービルに
飛行機がつっこんで
こわれるところであった
どうしてこんなことが起るのだろう
ほんとうに 何というむごいことを----

ロシアの魂という言葉を
教えてくれた人がいるが
いつのまにか 次々に
アメリカ大使館の飾に立つ人の姿があって
多くのろうそくがともされ
あるいは 一本の赤いばらを
鉄さくに結びつけ
貿易センタービルの以前の姿の絵葉書を
そっと飾って帰るのだった

  2001年9月11日(火)スモレンスク通り/9月21日(金)港南台ヨコハマ

 1977〜78年、1988〜89年の二度に渡りロシア(旧ソ連)に住んだ著者が、昨年9月にもしばらく滞在した折のことをまとめた詩集です。日付の左側が詩を書いた日と場所、右側が清書した日と場所だそうです。紹介した作品はご覧のように9.11テロの時にロシアで書いた貴重なものです。その貴重さとともに「ロシアの魂」をも伝える重要な作品ではないでしょうか。日本国内でもほとんど報道されていないものだと思います。少なくとも私は「ロシアの魂」を知りませんでした。
 詩集全体としては著者が本質的に持っているやさしさ、人間は信用するに足るという思想が色濃く表出していると思います。さわやかな気分で拝見した詩集です。



佐田美奈子氏詩集『ウィンドベル』
windbell
2002.2.15 横浜市西区 福田正夫詩の会発行 1500円

 卒業式

「ぼくの夢は…」
と 大きな声が溢れる
高等部卒業生席
五年後は
武史があの席につくのだからと
在校生席の背中を見ていた

「ぼくの夢は…」

囲まれている
もうここから出ようとはしないのに
それでも
三月
逃げ場を探す私を見透かし

 時の番人は
 容赦なく檻を狭めていく

 「武史」君について説明しなければなりません。宮ア潤一氏による「跋」では、「武史」は生まれながらに背負ったハンディキャップをもつ少年である。「武史」の母親の目を通して、武史自身が一つ一つ乗り越えて行く過程が、一瞬、一瞬を切り取って描かれている≠ニなっています。「私」は母、「武史」はそのご子息と受けとめてよいでしょう。
 重要なポイントは「逃げ場を探す私を見透かし」というフレーズにあると思います。ハンディキャップを負った少年(この場合「高等部卒業生」も同様と考えられます)が「ぼくの夢は…」と語るとき、「囲まれている」「容赦なく檻を狭めていく」現実を知る母親の心理を考えると胸が痛みます。詩という土俵でしか救われない思いなのかもしれません。著者は直接には語りませんが、そんな現実を私たちに突き付けてくる詩集だと思います。



木島始氏作『四行連詩葉書』
linked quartrains

 木島始氏からいただいた葉書です。小さくすると読めないので、ほぼ原寸大で載せます。57KBと、ちょっと重くなりますがご容赦ください。ここに載っている英語の詩人の検索の便のため、キーワードも記載します。
 「三言語四行連詩ハガキ−Trilingual Postcard of linked Quatrains by Kijima Hajime & Klaus Martens」
 ドイツ語はまったく判りませんが、英語と日本語を対比させて読むとおもしろいですね。



詩誌『花筏』3号
関西野火・義仲寺ゼミナール
hanaikada 3
2002.3.10 兵庫県加古川市
住吉千代美氏発行 非売品

 着地点/三瀬千秋

北海道大雪山の唐松林の樹を切り
SOS文字をきれいに並べその横で
女性の登山姿の死体が形だけ残り
飛行機の真下から発見された

覚悟の自殺にしては演出ができすぎて
狼狽している影がみえ泣き叫ぶ
長い沈黙のあとの涙さえ見えるように
誤って高い所から落ちたのだろうか
再びはい上がる事が出来なかったのか

夕暮れの寂しい夜を生きながら
幾度迎えたであろうか
この地で埋没したかったのか

山びこになったあなたの声
指にふれた春夏秋冬の影も
すべては大雪山に残して!

 この事件は記憶にあります。今は絶えたモールス符号の「SOS」とともに、不思議な事件(事故?)として記憶しています。
 それはそれとして、作品として見ればその「登山姿」の「女性」の心理にいかに迫り得るかという点が大事だろうと思います。その点では第2連、第3連できちんと表現された作品だと思います。最終連もあくまで「あなた」に寄り添っていて、この詩人の心根を見る思いでした。



詩誌『燦α』14号
san alpha 14
2002.4.16 埼玉県さいたま市
燦詩文会・二瓶徹氏発行 非売品

 形見/ささきひろし

「行って来るよ」
洋服夕ンスの中の
ツィードの背広に声をかける
十五年間
吊られてきた父の背広

病院嫌いの父は
長年 胃の痛みを
市販の胃腸薬でごまかしてきたが
八十キロの体重が五十五キロまで
落ちた時は さすが観念した
「今度入院したら もう帰れない
 ガンだ 俺にはわかる」と
形見分けに新着の背広をくれた

帰らないはずの人が
照れながら三日後に退院
ポリープを三個切っただけという
やがて体重も
強気の性格も元に戻った

背広だけが持ち主に戻らぬまま
宙ぶらりん
いつの日か その日がくるまで
樟脳の匂いをたっぷりと合み
存在感を漂わせながら
吊られている

 良い詩を書くことのひとつに人を描く≠アとがあると思っているんですが、この作品では「父」がよく描けていると思います。「病院嫌いの父」や「八十キロの体重が五十五キロまで」というのは事実そのままで、人を描いたことにはならない。「照れながら」は少し描けているかな? そして「強気の性格」というのは描いたことになると思っています。通常は、この言葉では駄目なんでしょうが、「やがて体重も」というフレーズがあって、それに呼応して性格をうまく表現できたと思います。もちろん「照れながら」も奏効しています。普通の言葉を使いながら、その相互作用でうまく表現できた珍しい作品だと思います。



   back(3月の部屋へ戻る)

   
home