きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.3.15(
)

 日本ペンクラブの3月例会でしたが欠席しました。例会に出るためには、会社の仕事をサボって15時頃出掛けなければならないんですけど、その余裕がありませんでした。それにHPの更新も遅れていましたから、その時間を確保したかったこともあります。きちんとHPを更新していかないと気持が悪いし、詩集・詩誌へのお礼も遅くなりますからね。来月は行けるようになれればいいなと思っています。



松田悦子氏詩集
『十字路のスクランブル』
jyujiro no scramble
1988.4.13 東京都港区 スタジオヒロ刊 1800円

 通り過ぎた風

娘の初節句に男がきた
まだミルクを飲むほど小さな娘を
男はひざに乗せて優しくミルクを飲ませた
やつれた顔をして
澄んだ目をしてミルクを飲ませた

男は私の周りから消えた
祝いの金を 血のでる金をくれて
なにもかも消えた

しかし私は男の居場所を知っている
故郷すてた男達が集まる所に
日雇仕事をして
焼酎飲んで 政治のはなしもしているだろう
ちゃっかり組織なんかも作って
給対部長でもやっているのでは

男に会ったら話してほしい
彼の奥さんは子供を連れて結婚したよ
今でも船橋では
あんたのこといい人だと言っているよ

すっかりかわってしまったらしい男に
私も元気に仕事をしていると
話してやりたいが
私の言葉は流れては行かないことだろう

 その存在だけは知っている、詩集『ジジババ』の著者からいただいた詩集です。この詩集は14年も前のものですが、まったく古さを感じさせませんでした。人間の描き方がしっかりしているからだと思います。紹介した作品でも「男」と「彼の奥さん」、そして「私」の存在が、短い中に過不足なく表現されています。その前では時間の経過など何の意味もないとお判りいただけると思います。
 詩集の中では「べんとう」「雛まつりの日」「大阪西成区花園町」なども優れた作品です。朝日カルチャーセンターで藤原定さん、安西均さんのお弟子さんだった方です。お二人とも素晴らしいお弟子さんを遺してくれたなと改めて感じました。



詩誌『コウホネ』11号
kouhone 11
2002.3.10 栃木県宇都宮市
コウホネの会・高田太郎氏発行 500円

 光るもの/高田太郎

宇都宮陸軍飛行場
巨大な円形給水塔上の模擬対空機銃に
取りつくため
おれは鉄梯子を上がっていた
視察中の東條大将の星章と眼鏡が
綺羅りと光ったが
腰に吊ったものはぶらぶら揺れ
サムライの殺気はなかった
折しも飛行中の高等練習機の宙返り
逆様になった大将の姿はどんなものかと
おれもまねして
首を回した途端
梯子を踏み外して堕ち
跛になった
おかげでおれは今こうして生きとるよ
大団地と化した元飛行場の冬の喫茶店で
そんな話が後ろから聞こえてきた
突然 眼前のスプーンがどきっと光り
少国民のぼくの目蓋
(まぶた)に残る
敵機グラマン搭乗員の
風防眼鏡の光と重なった
コーヒーも血の色にぎらつき
アフリカ最高峰の美しい名をもってしても
ぼくの悪夢を欺くことはできなかった
その雪の頂に干からびて凍りついた一頭の豹
この席にも
腐臭と火薬の匂いが漂ってきたが
ぼくは後ろを振り返らなかった

 戦後生れの私には判らない部分なんですが「そんな話が後ろから聞こえてきた」りすると「少国民のぼくの」時代を思い出すものなんですね。深い傷を負った高田さんの年齢の方のこだわりを見る思いがしました。そして「この席にも/腐臭と火薬の匂いが漂ってきた」という時代認識は重要だと思います。アフガン報復戦争に参加している自衛隊の現状を見ていると、かなり深刻な事態に日本は突入したなと感じています。そんなことは一言もこの作品では言っていませんが、行間に感じさせる作品だと思います。



詩の雑誌『鮫』89号
same 89
2002.3.10 東京都千代田区
<鮫の会> 芳賀章内氏発行 500円

 アフガンの詩人/大河原 巌

 戦争を生きのびたドイツの詩人が、戦後に「人間が人間の敵であ
ることについて考えよう」という詩を言いた。その詩は〈きみが人
間ならば、きみから離れたところで進行する大凶事も、きみという
人間に責任があるのだ〉と告げていた。

 人間に生まれてきたのだ
 元へはもどれない
 人間として生きつづけて
 自分と出会って
 人と出会う
 アフガンの草や木や虫たちと出会う
 山や空や川もある
 村々には
 土づくりの家があり
 たくさんの人がいて
 言葉をおぼえ
 世界のものごとを分けて
 身を分けて
 アフガンの人間に成りつづける
 それが人間の責任だ

 報復の爆撃をあびた詩人が、年賀に「わたしは無力ではない」と
いう詩を送ってきた。その詩に〈だまって死んでゆく 殺される
ひもじく飢えたアフガンの子どもたち ブッシュが にらんでいる
ように 陽がのぼり 月が照らす〉とあった。

 「戦争を生きのびたドイツの詩人」の言葉も重いですが、「報復の爆撃をあびた詩人」の詩も重いものを感じます。安全地帯にいる私などには簡単に口に出すのも憚られますが、人間の重み≠ニいうものを考えさせられます。そして「人間に生まれてきたのだ/元へはもどれない」というフレーズに、覚悟を求められていると思います。それを常に自覚して生きよ、と教えられる作品です。



隔月刊詩誌『東国』119号
togoku 119
2002.2.20 群馬県伊勢崎市
東国の会・小山和郎氏発行 500円

 絆創膏の中の指/新延 拳

キリンの首が捩れている
あたりまえ
地下鉄東西線の駅の壁は三層三色のタイル
前に座っているやつの顔を思いきり蹴り上げる
人事担当者はITに何を期待しているのか
直通シャトルバスで湾岸リゾートへと
どうぞ

鏡の前で胸を張る
空海の闇
法然の殺気なき気合
置き去り
白いぞ
空の黙

もっと気儘でもっと身近
思い出の書に基督の舌の栞
よしっ

掌を当てて黄泉の川幅を図るぞ
募集要項
凧ひとつ

大根を煮つめて祭
五十代へ

 そうか、新延さんも「五十代へ」向うのか、と変な感激を受けた作品です。私にも覚えがありますが、50の声を聞いたときには並々ならぬ決意がありましたね。人生わずか50年、を越えれば生き抜く自信が持てるぞ、と。個々の言葉やフレーズは正直なところ判らない部分もあるのですが、全体として同じような決意を感じます。「よしっ」というフレーズはその典型でしょう。「キリンの首が捩れている」「基督の舌」などからはベルナール・ビュッフェの絵を思い浮かべます。タイトルの「絆創膏」は「大根を煮つめて」と関係があるのかもしれません。新延さんって、こんな詩も書くのかと感心した作品です。



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