きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.3.30(土)
ある詩誌の詩祭に誘われていましたが、欠席の返信を出しておきました。畑仕事をする日になっていたからです。家族の願いもある程度聞いておかなくては居心地が悪くなります^_^;
でも、結局はそれも出来なくなりました。日本詩人クラブの『詩界』240号と『詩界通信』9号の校正が届いたからです。まあ、半日もあれば終るかな、と思っていましたけど、とんでもない、朝の9時から夜の10時まで、正味12時間もかかってしまいました。いかにボランティアとは言え、これはちょっとシンドイなと思ったのが本音です。会社に休日出勤したら、おそらく4〜5万円の収入になったろうと思います。それを考えると、何でそこまで、と思ったのは偽らざる気持です。印刷会社の希望に応えてFaxも送信しましたけど、50枚を越えていたろうと思います。これも無償です。
でも、すぐに考え直しました。日本詩人クラブが創立されて以来、私が初めてそんなことをやったわけではない。先輩が全て通ってきた道です。私の担当する編集部などそれでも楽な方で、例えば理事長は全生活をクラブのために捧げる事態だと聞いています。ですから、金額で換算したことを今は恥じています。まあ、ボランティアとはそんなものでしょうね。
畑仕事は明日になりそうです。雨が降らないことを祈っています。
○文芸誌『らぴす』16号 |
2002.2.20
岡山県岡山市 アルル書店発行 700円 |
毎号楽しみにしている連載で、岡嶋隆司氏の「料理の雑学」というものがあります。今回は9回目で<食と外来語>でした。天麩羅を始め、おじや、ポン酢、けんちんなどの由来が記されていて、楽しいエッセイですが、最後に出てきた「日本料理の献立で使われている外来食材の漢字」という記述が圧巻でしたね。
<「石勺柏=アスパラガス」、「唐柿・珊瑚茄・番茄・赤茄=トマト」、「半角=ピーマン」、「面熟瓜=メロン」、「麺麹=パン」、「甘藍・玉菜=キャベツ」、「鴨梨=ヤーリー(洋梨)」、「阿蘭陀辛子=クレソン」、「洋山葵・山葵大根=ホースラディッシュ」、「芽花野菜=ブロッコリー」、「火焔菜=ビーツ」、「阿蘭陀三つ葉=セロリ」、「花野菜=カリフラワー」、「菊萵苣=エンダイブ」、「朝鮮薊=アーティチョーク」、「作茸・西洋松茸=マッシュルーム」,>
そういえば高級料亭の品書きでこんな書き方をしていたように思います。たまにしか行かないので、仲居さんに説明されてもチンプンカンプンでしたけど、こうやって書かれると少しは理解できるかもしれませんね。それでもホースラディッシュとかビーツ・エンダイブ・アーティチョークなんてどんなものか想像もできません。貧乏人の貧しい食卓では縁のない食材なんでしょうね。
林小冬氏のエッセイ「空の神話」は、いい文章でした。1974年に32歳の若さで亡くなった画家・難波田史男の学生時代の同級生であった作者の思い出話ですが、醒めた視線の中にも天才画家を見つめる作者の心底でのあたたかさを感じました。巨匠・難波田龍起の子息として早くから注目を集めていた史男氏の夭折が痛まれます。
○季刊詩誌『象』105号 |
2002.3.25
横浜市港南区 「象」詩人クラブ・篠原あや氏発行 500円 |
会話/篠原あや
幽霊だっていいんだよね
うん?
うん
何してんのかね
夢にも出て来ないんだよ
あんなに心配させたのに
あちら側へ行ったらね
お父さんやお母さん
それにお兄さんとも久しぶりに逢って
一別以来の積もる話をしているんだよ きっと
そうかな、
それにしても薄情だよね
その中
きっと
元気にしてるかって来るよ
ゆっくり待つことだね
野鳥の冬の餌に と彼が植えたピラカンサは
毎年沢山の実を付けていたが
剪定するひとのいないまま 今年は少く
鳥たちは変わらず飛来するが
ただ 樹のみ蓬々と立つ
来年は
刈らなきゃね
うん
「幽霊だっていいんだよね」という第1連にはドキリとさせられます。そして自分にも幽霊でもいいから逢いにきてほしい人がいて、次々と行を追っていきました。作者には作者の、私には私の逢いたい人がいて、それぞれは全くの面識がありません。しかし、この本の上で作者も私も同じ思いをしたことによって、逢いたいと思われた人同士が出会う(はず)不思議さ。時間も立体も超越した詩の持っている力なのかもしれません。
まったく論理的でない、観念的な思いですが、作品を拝見してそんなことが頭をよぎりました。観念の世界の自由さをも体験したような気になっています。
○詩誌『すてむ』22号 |
2002.3.25
東京都大田区 すてむの会・甲田四郎氏発行 500円 |
浅い海/閤田真太郎
海 時化てるね
いつかの あなたみたいにね
‥‥‥‥‥
で どしたのよ?
掛かってきたんだよ 元日の夜
なんて?
詩人は「浅い海」のような存在だって
へえー何か面白そう‥‥
黒い森のやたらにある国の
偉いひとの言葉だって言うんだけれど
悪口らしいの
え? 詩人の悪口‥‥‥
古い友達でね 年は息子ほど離れてるくせに
エライの‥‥‥
僕がね 鋭く反応して
すぐ波立つからかいって‥‥‥
言ったら なんて?
あんたは 善人だって‥‥
それで?
それから いつものように
すぅいーと逃げるの
その偉いひとの
本音が知りたいわね
浅い海も透明だと
底が見えて拙いのかなあ
あら あなたは濁ってないけど
底がないわよ
えぇっ!
それに静かなくせに
やたら波立つわね
‥‥?‥?‥?
耳の痛い話ですね。「底がないわよ」と言われているのはもちろん作中の「僕」に対してですが、詩人≠キべてに当て嵌まることかもしれません。現在、名を成している詩人も、先人から見ればすべて「底が見え」るどころか「底がない」のかもしれませんね。
作品としては掛合い漫才のような話し言葉が奏効していると思います。「で どしたのよ?」と何かの話の続きのようですが、それもうまい効果を出していると言えるのではないでしょうか。身につまされる作品ではありますけど、思わず<今に見てろ>と言いたくなってしまう作品でもありますね。
○季刊個人詩誌『天山牧歌』54号 |
2002.1.31
北九州市八幡西区 『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏発行 非売品 |
命の塩/ルオウーラチエ(彝族)
蜂蜜よりももっと美味しいもの
銀貸よりもなお貴重なもの
わたしたちの舌は
それから離れられない
牛や羊の舌は
もっとその潤いを求めている
太陽の光とおなじように輝き
泉の水とおなじように大事なもの
風の舌もひっきりなしに舐(な)める
わたしたちの皮膚の
しょっぱい味を
塩がひろげた掌のうえにあるだけで
牛も羊もわたしたちの周りを取り囲む (秋吉久紀夫訳)
(1999年8月 雲南人民出版社刊『中国少数民族文学経典文庫1949〜1999詩歌巻』379頁)
表紙を飾る作品ですが、彝(イ)族について訳者の秋吉さんは次のように説明しています。
<彝族は雲南省および四川省南部一帯の高原地帯の平均海抜二○○○メートルの涼しい山地に居住している。その祖は遠く唐代に雲南で栄えた南詔国に遡ると考えられている。南詔国は二部族から組織されていて、一つは雲南地区に古代から定住していた農耕民である「白蛮」と、二つは雲南に北部から移住して来たチべット系の遊牧民「鳥蛮」との融合国家である。人口は併せて約六五○万人。現在でも四川省大涼山地区と雲南省麗江地区小涼山などの彝族は、ノ・ス(黒い人)と自称しており、昆明から西、雲南省楚雄イー族自治県、大理ペー族目治州内のイ族はロ・ロやラ・ロと自称している。麦、蕎麦トウモロコシ、馬鈴薯、水稲を栽培し、また放牧をも営んでいる。宗教はアニミズムが主である。>
作者は1958年生れ。涼山州作家協会首席兼『涼山文学』主編とありました。まだ若い作家・詩人で、作品は塩≠フ貴重さを充分にうたったものだと思います。「蜂蜜よりももっと美味しいもの/銀貸よりもなお貴重なもの」という感覚は、減塩を強いられる日本人には理解を越えていますが、切実なことなのだろうという想像はつきます。まさに「命の塩」なんですね。私たちの減塩≠フ向うで、こういう種族も存在していることを知らされました。
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