きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.4.1(月)
今日から4月。このHPの更新も遅れに遅れていましたが、ようやく昨日追いつきました。正真正銘、4月1日に書いてます。どうでもいいことですけど、何かさわやかな気分です。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』262号 |
2002.4.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円 |
私の趣味/山形定房
「音訳」という語をご存知だろうか。日の不自由な方ヘの朗読奉仕のことである。私がこの音訳を始めて5年になる。動機は永年アナウンサーをしてきたのだから、と言う安易な気持だった。が、その高慢な鼻はすぐへし折られた。第一に、「原文に忠実に」とあってルビのない地名、人名その他諸々の固有名詞、難読語は勿論、幾通りにも読める漢宇に、日本語はこんなに難しかったかと思うし、史実、虚構をおりまぜた文では時代調べに何度も図書館通いを要したりする。第二に「感情をおさえ淡々と読む」が難しい。名作小説の映画化が監督の解釈や出演者により?となるのと同様に、読み手の感情を押しつけないためだが、著者の意図、気持などが文章から伝わってくると生身の人間、つい溺れてしまう。そんなこんなで下調べ・録音・校正チェック・訂正をして、300頁前後の本一冊の朗読が完成する迄に三か月位はかかるが、人のお役にたつ意味では最高の趣昧と自負している。
「400字エッセー」という規定に則った文章です。「1行20字、20行」というのはその通りですが、編集長からはさらに「で起承転結」という注文もついているようです。そういう観点で改めて拝見すると、1字も過不足なく、きちんと起承転結になっていて驚きました。文章に慣れていないとなかなかできないことだと思います。この文章からはまずその点を勉強させてもらいました。
内容も素晴らしいものだと思います。実は私も一度だけ「朗読奉仕」をしたことがあります。「第一」の問題はないテキストでしたから良かったものの、やはり「第二」は難しいことでした。感情を抑えるということはかなりの訓練がいることだと実感した覚えがあります。「永年アナウンサーをしてきた」方でもそういう思いをするのですから、素人の私などでは無理というものだったのかもしれませんね。一度だけの「朗読奉仕」で、二度と依頼は来ませんでした。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』2001年版 |
2002.2.22 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 非売品 |
「沼声」の昨年1年間の合本です。365冊限定出版でNo.297をいただきました。国立国会図書館を始め、静岡県立中央図書館などの図書館、文学館などに寄贈されているようです。
内容は今までの繰返しになりますから割愛します。
○詩誌『饗宴』31号 |
2002.4.1
札幌市中央区 林檎屋・瀬戸正昭氏発行 500円 |
手/谷内田ゆかり
「もう いやです
この くらやみ。
出口をおしえてください」
----そう願うと
手が あらわれて
戸口を 示してくれました
重い扉の むこうには
広がる 青と緑の世界。
…よろこびに
勇んで 駈けてゆきましたか?
----いいえ。
示して下さった方の 手が
うつくしいのに おどろいて
じっと
みつめてしまったのです…
最終連がいいですね。「青い鳥」ではありませんが、身近の「くらやみ」が理想の世界だった、というオチになるのかなと思っていましたら、「手」に視線が行っています。その位相のズレが何とも言えない好印象を残す作品だと思います。なかなかこういう視点は描けないのではないでしょうか。作者の品格がにじみ出ている作品とも思いました。
なお原文では「思い扉」となっていましたが、誤植と判断して訂正してあります。私の間違いでしたら再度訂正いたします。
○詩誌『Grail』創刊号 |
2002.3.31
東京都国立市 龍生塾発行 非売品 |
長谷川龍生さんの塾生の会・龍生塾の発行です。創刊号です。お祝い申し上げます。塾生の小野耕一郎さんからいただきました。
この詩誌のユニークなところは、掲載された作品についての座談会が行われていて、その内容が載っていることです。一読者としては最初に作品を読んで、次に座談会の会話を読んで、自分と座談会出席者の論点の相違点を発見できることは、新鮮な驚きでした。不勉強な私が知らないだけなのかもしれませんけど、こういう雑誌の作り方もあるのかと感心しました。
ニューヨークのその前夜/金 水善
太陽が沈む頃
オペラ劇場の前に
何台も
リムジンがすべるように止まる
運転手がドアを開けると
イヴニングドレスの淑女と
タキシード姿の紳士が降り
劇場へ吸い込まれていく
市長夫妻も拍手で迎えられる
ふかふかの絨緞の上を
ビーズのバック
サテンのくつ
煌めくネックレス
引きずりそうな絹のドレスが動く
ボックス席に放つ 香り 香り
シャンデリアが上がっていく
明かりが徐々に消えていく
あちらこちらで宝石が
夜空に光る星のように輝く
オーケストラが奏でると
第一幕がはじまる
「オセロ」の凱旋を
円熟期のドミンゴが盛り上げていく
第二幕が上がると
飛行機が止まっている
舞台にあふれんばかりの人が
列をなしている
「えひめ丸」の実習生や
沖縄で侮辱された女の子
三十八度線で引き裂かれた父と母が
枯葉剤で手と足を失った人
パレスチナの家を失ったおばあちゃん
ヒロシマ・ナガサキで原爆にあった人が
皆、乗り込む
第三幕は
ニューヨークのマンハッタンの上を
札束で積み重ねられた
中抜きのビルに
この人たちの魂をのせて
飛行機は突っ込んでいく
「その前夜」とは、もちろん昨年9月11日の前夜のことです。飛行機に乗っていた人は、実はどんな人たちであったか、どんな人たちの魂であったか、という立場で描かれた作品です。あの事件の直後、ある詩人の集りで「あの事件をTVで見て、広島や長崎の知人から胸がスーッとしたという電話をもらいました」と発言して物議をかもした詩人がいましたが、同じような観点だろうと思います。
それが良いとか悪いとか言う気はありません。それぞれの経験も思想も違いますし、ましてや作者のように在日で選挙権も与えられないという立場の詩人の作品ですから、その重みを簡単に理解できるはずもありません。その重みを受けとめるしかないと思います。正直なところ、頭の中では共感しています。しかし私が書いても軽くなるだけで、書いてはいけないとも思っています。作品を拝見して共感するだけが選択肢なのでしょう。
純粋に作品に関して言えば、第一幕から第三幕への展開は見事だと思います。抑制された中にも恨≠ニも呼ぶべき感情が読み取れて深く印象に残る作品です。
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