きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.4.2(
)

 日本ペンクラブ電子メディア委員会が開催されました。本日の会議は極めて重要で、今後の電子メディア委員会の方向を決定付けるものでした。結論としては秦委員長の方針が全員一致で承認されました。
 この1年ほどの委員会の最重要課題は電子文藝館の立上げでした。それが軌道に乗った現在、本来の電子メディアと人権問題、著作権問題などを検討しなければならいのではないか、というのが以前からの秦委員長の指摘です。それで、さすがに作家・秦恒平さんだなと思ったのが、いつまでもその分野の専門家ではない自分が指揮するのはおかしい、という発言です。いつまでもそこに胡座をかいていたのではペンクラブのためにも強いては文芸全体のためにならない、という発想には、本当に頭の下る思いでした。己を知る、己ができることは全力を尽くす、でも己の能力を越えている場合には適任者を探す、という思考に、本来の人間がとるべき道を教えられた思いを強くしました。
 で、その適任者に来てもらいました。昨年でしたかね、横浜に日本新聞博物館というものが出来ましたけど、そこの学芸部次長の山田健太さんという方です。レクチャーを受けましたが、おそらく私たちが1年かかっても到達しないであろう分析をたった30分でこなしてしまいました。メディア規制への分析と提言を専門にやっている方です。青学や法政で言論法の講師もやっています。まったく適材だとすぐに思いました。
 私たちを指揮して、という提案には途惑っていましたが最終的には受けてくれました。実質的な活動は来月からになりますけど、弁護士・牧野二郎さんともども二人三脚で引っ張って行ってくれると思います。ペンクラブからの提案がどんどん出てくるようになるでしょう。私たちの任期はあと1年、それまで私も微力ながら協力していくつもりです。このHPでもどんどん報告していきますよ。



滋賀銀行PR誌『湖』141号
mizuumi 141
2002.4 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統括部編集 非売品

 旅行作家・西本梛枝さんによる連載「近江の文学風景」は大佛次郎の『宗方姉妹』でした。浅学にしてまだ読んでいません。小説の舞台と小説の一部を組み合せたエッセイは、それはそれで『宗方姉妹』を読んでみたいという気になるのですが、それよりも今回私が感動したのは導入部の西本さんの言葉です。次のように書かれていました。

 「折り目正しい」
 久しくこのような言葉を忘れていたような気がする。『宗方姉妹』を読みながら、明治、大正、昭和を生きた人たちの端正に生きる姿と「折り目正しい」という言葉をかみしめた。
 「折り目の正しさ」
 口ずむだけでさやさやとした心地になってくる。
 日本の言葉の豊さだ。

 まさに「久しくこのような言葉を忘れていたような気が」しますね。年配の方には敬意を払って、年下には愛情と肝要を持って、なんてことを小学生の頃に教わった記憶があります。まるで、私も知らない<修身>のようですが。
 それは違う、と思ったのは詩らしきものを書き始めてからでした。まず、古いものを否定しよう、そうしなければ新しいものは生れない、そのためにも理論武装しよう、と仲間で話し合ったのが高校1年生のときでした。そして、古い殻を破るにはハチャメチャな行動も許されるはずだと思っていたのです。今にして考えると何て浅はかな、と思うのですが、それが団塊の世代のひとつの特徴でもあったように思います。
 今なら判るな。「折り目正しい」ということと、発想の自由さはまったく別の次元のことだと。そんな低次元で争うことではなかったと。
 おそらく西本さんもそんなことは重々承知で、その上で前出のような文章になったのだと思います。西本さんと私はたかだか1〜2年ほどしか年齢は違わないのに、そんなことはとっくに判っていたのだな、と、このプロローグを拝見して感じた次第です。



  ○湯沢和民氏詩集
 『あおみどろのよるのうた』
aomidoro no yoru no uta
2002.4.10 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2300円+税

 得体の知れぬ生きもの

「さすがにお前もおトラさんにはかなわなかったわな」
と 十年ほど経ってから祖母がボツリと言ったことがあ
る 俺は黙っていた そしてそれからも このことだけ
は祖母にも誰にも言えなくて かれこれ五十年になる
その時俺はおトラさんという隣近所を圧しまくる四十女
と強かに言い争った その時俺はおトラさんを決して恐
しくはなかったが あんなこわい思いをしたのは始めて
だ 子供に言い負かされて おトラさんが一言「そんな
ことを言いくさって おれんとこの父ちゃんが兵隊に行
って居ないからこんな餓鬼にまで馬鹿にされるんだわ
な」と 突然話を逸らし 口惜しそうに言いすてて家に
入った ただそれだけだ その一言が俺を震えあがらせ
俺を黙らせてしまった それからながい間 世の中には
何かもう一つのそら恐ろしいものが棲みついているよう
に想えてならなかった そしておトラさんも死んでしま
った今 あんな捨て台詞を言わせた奴もきっとそいつじ
ゃないかと思っている

 「世の中には何かもう一つのそら恐ろしいものが棲みついている」という感覚はおもしろいと思いました。それが「突然話を逸らし」たことで見えたというのは、著者の特色ある感覚だと言ってよいでしょう。分析ではなく、まさに感覚としてとらえてしまうところにこの詩人の大きな特色があるように思います。
 詩集全体にもそれを感じます。仕事や家族や友人が出てきますけど、その隣に常に「得体の知れぬ生きもの」の存在を著者も感じていて、そこに視線は行っているのではないでしょうか。ですから多少、位相がズレます。それを現実に引き戻すところで著者の詩が成り立っていると思うのは、あながち的外れではないように思うのですが…。
 第一詩集です。おもしろい感覚の詩人が出現したなと、ひとりほくそ笑んでいます。



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