きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.4.8(
)

 娘が高校生になって、入学式がありました。休暇を取って行ってみました。創立96年という歴史のある学校ですけど、かなりの生徒が茶髪・金髪で驚きましたね。私も勧めた学校だったんですけど、マズったかな。
 でも、入学式ではちょっと安心しました。例の「君が代」があったんです。君が代斉唱・起立、と言われたら立たないでいようと思っていました。しかし、その前に「開会の言葉」というのがあって、そこで全員起立を求められました。これは拒否する謂れがないので従ったところ、「開会の言葉」のあとにそのまま君が代斉唱になってしまったんです。やれやれ、しょうがない、歌わないだけにしようと思いましたね。
 君が代は男声とともにテープで流れました。それに合せて一斉に歌声が…、と予想していましたら、なんと誰も歌わない! 2〜3人はボソボソと小さい声で歌っていましたけど、500名ほどのほとんどが歌わない。黙って聞いているだけでした。思わず笑っちゃいましたね。
 でも、フッと思ったのは、新入生諸君は歌詞を知らないのではないかということです。以前、娘に聞いたら歌詞を知らないと言っていました。歌う機会が無かったそうです。私よりは10歳ほど年下になる保護者諸兄姉もそうなのかもしれませんね。私ひとりだけが取り越し苦労をしていたのかもしれません。



季刊・詩とエッセイ『焔』60号
honoho 60
2002.4.1 横浜市西区 福田正夫詩の会発行 1000円

 泡の中の赤ちゃん森 やすこ

従姉妹と二人で、石鹸の泡をたて赤ん坊を洗っていた
赤ちゃんて、キューピーを洗ったときと同じね。滑り
 やすくて。
従姉妹は微笑んだが、何も言わなかった
棚には、籠に入った赤ん坊たちが、数十人も数百人も、
 喃語を呟いていた

ふと、家事を思い出して、一人の赤ん坊を、洗い上げ
 て帰るわ。
 と言った
従姉妹は頷いたが、洗っている手は止めなかった
額の汗は頬まで流れ落ちていた

廊下を渡り、扉を開けると、教会の前には、
 狭い間道ができていた
身を捩って通り抜けると、道は、二手に別れていた
広い道を選んで歩きだしたが、道路の先端は細く、長
 く、暗い海中に続く砂州になっていた
背後で、間道にできた木戸が「ギイッ。」と閉まる音が
 聞こえた

従姉妹は、明日の朝日が上るまで、赤ん坊たちを洗い
 続けるだろう
従姉妹のやさしさに、いつも負けるのであった

 正直なところ、何度読み返してみてもよく判りません。しかし、どうしても惹かれてしまう作品です。解釈など必要ではなく、ある日突然、ああ、そういうことだったのか!と気付く作品のように思います。「
赤ん坊たち」を死者や植物、野菜などに置き換えて読んでみましたが、まったくの見当外れでしょう。
 やさしい表現、一見やさしそうな情景の中で、何かとてつもなく恐ろしいことを書いているような気がします。ああ、この詩を判りたい!



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