きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.4.20(
)

 二日前から時間を見ては進めていた、日本詩人クラブ雑誌『詩界』の再校が終りました。今日一日かかると思ったいたのが午前中で終り、得した気分でいます。でも、午後は詩人クラブの電子名簿のメンテナンスになってしまい、結局、詩人クラブデーの休日でしたね。現在22時半、ようやく自分の時間になって、いただいた詩集を拝見しています。



阿賀猥氏詩集『山桜』
yamazakura
2001.11.1 東京都新宿区
思潮社刊 1800円+税

 

雨が降る、そのわけについて私はよく知り尽くしていました
雨は地の底を安住の地として、そこに沈みたがっていたのです
 ----そこにお前がいようがいまいが、もうどうでもいい
投げやりな口調で、こう呟く声が、はっきりと聞こえました
雨の声でした。
雨は私に腹を立てていたのですね。

私はニシンのマリネを食べていたわけですし、
雨にもめげず、おいしくニシンのマリネを食べていたわけですし、
それほど心惑わせる事もなかったでしょうに
けれど気がつくと私もニシンもまた地の底をめざしていたのです

雨に従い、雨の命ずるままに、ひたすら地の底へ、
私からもニシンからも雨のようなものが、こぼれ出し
私たちは、いつか雨のようなものになって、ひたすら落ちはじめて
 いたのです

気がつくと私たちに雨以外の部分はなく、
私たちはもともと雨のようなものであった事がわかったのでした

 タイトルポエムの「山桜」には1と2があり、詩集の重要な位置を占めていることが判ります。そこには亡夫への鎮魂が感じられ、それがこの詩集全体の主要なモチーフでもあると思います。しかし私はあえてその主流≠離れてこの作品を紹介してみました。詩としての完成度が「雨」は高いと思うからです。
 ご覧のように視線、リズムともに申し分のない作品だと思います。特に「雨は地の底を安住の地として、そこに沈みたがっていたのです」というフレーズにはハッとさせられるものだあります。雨がなぜ降るのかという理由を文学的に、このように表現した作品に出会ったことはありません。大江健三郎の名著『レインツリーを聞く女』(だったかな^_^;)の視点とはまた一味違うものだと思うのです。
 「ニシンのマリネを食べていたわけですし、」という繰返しは、リズムの上でおもしろいですね。最終連の「私たちはもともと雨のようなものであった事がわかったのでした」というフレーズは作品のテーマであるとともに、作者の思想の根源であるように思います。個性的な詩集と思いました。



詩誌『馴鹿』30号
tonakai 30
2002.4.15 栃木県宇都宮市
tonakai・我妻洋氏発行 500円

 植物考 −メヒルギそしてオヒルギ−/我妻 洋

白砂に祈る媼らを
混沌の樹林帯が寿ぎ
メヒルギそしてオヒルギは
抵抗のごと繁茂する
マングローブの暗い連帯
明快な珊瑚礁の発光体
戦艦朽ちる冥海の潮境を
細胞堆は浮遊しつづけ
鎮魂を負う南の島に
太陽を指して
メヒルギそしてオヒルギは
神話のごと犇き立つ

 *メヒルギ、オヒルギとも熱帯や亜熱帯の浅い泥海のマングロ−ブ林に生える。
  オヒルギのムが高さもあり、葉も大きい。蛭の字を当てる。

 「南の島」を訪れた折の作品のようです。「戦艦朽ちる冥海の潮境」という状況を目撃する作者に、「抵抗のごと繁茂する」「メヒルギそしてオヒルギ」が「神話のごと犇き立つ」ように強い印象を与えたのだと思います。そして「白砂に祈る媼らを/混沌の樹林帯が寿」ぐ様子に、自然が人間に対するあたたかさを今だに持っていることを感じたのではないでしょうか。
 自然破壊が叫ばれて久しい中、このように自然に憧憬を抱く作品に出会うとなぜかホッとします。あるいは作者が真正面から自然に向っている姿に感動するのかもしれません。『馴鹿』30号という記念号を支える作者の、根底の強さを示している作品だと思いました。



詩誌『貝の火』13号
kai no hi 13
2002.4.10 神戸市須磨区
月草舎・紫野京子氏発行 800円

 謎/ダニエーレ・カヴィッキャ 松本康子 訳

閉じた扉を通り抜けながら
次第に 謎の正体が現われる、
腰かけて新聞を読み 欠伸をする。
ところが 夕方になると、不安に
駆られた視線で 鎧戸が閉ざされる。

空論として、まだソファーに腰掛けて
いるのか、退屈しているのか知らないが、
庭に下りた証拠を残している、辛うじて
外部に見えるあの証拠。多くの場合、
不思議な想像には 言葉は不要だ。

空論では、何かが変わったのか、どうか、
僕たちは知らないが、証拠を求めて、
室内を彷徨い歩いているのは確かだ。
新聞はソファーの上に開かれたまま、
記載記事で 時の緯過が憶測される。

 まさに「謎」めいた作品ですが、雰囲気は判りますね。「空論」「証拠」などがキーワードになるのでしょうか。「不思議な想像には 言葉は不要だ。」「記載記事で 時の緯過が憶測される。」などのフレーズは、それだけでも魅力的な詩句だと思います。おそらく「謎」そのものを楽しんでいる作品なのかもしれません。作者がどこの国の人かは判りませんが、日本人の感覚とは違った作品として鑑賞させていただきました。



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