きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.4.21(
)

 雨の日曜日。出掛ける予定がない日の雨というのは、いいですね。落ち着いて本を読んでいられます。ときどき、ケーンと雉が鳴いて…。ここ一週間ほど鳴いています。昨年、書斎の窓から見える蜜柑畑を歩いているところを目撃しましたが、おそらく同じ雉だろうと思います。今朝方、庭の向うを1mほどの大きさの雉が歩いていたと家内が言っていましたが、それかなあ。それにしても1mとは大袈裟な…。もし本当ならずいぶんと成長したものだなと思います。私が見たときは30cmほどでしたから。また、鳴いた。書斎前の畑に出てこないものかなと、ときどき眼をやりながらこれを書いています。



横川秀夫氏訳詩集『風景画のいしぶみ』
fukeiga no ishibumi
2002.3.22 東京都東村山市 東西南北出版会刊 1400円

 日本詩人クラブ会員の横川秀夫氏からいただきました。原作者は現職の駐日インド大使アフターブ・セット閣下です。英文と日本語の対訳となっていますから、その両方を紹介してみます。

 Distant Neighbours

In tree Iined Clifton’s white-washed mansions,
in desert Indus town
we lived our white-walled
Separat lives

   Separated by sixty yawning yards,
   terrifing chasms
   created by
   many miles of bitter years.

     Across that tragic harvest
     we reached out;
     Sometimes
     our minds met
     and there was friendship.

        Now,
        as you stand poised
        to shed your outer raiment
        and make another life,
        I wonder,
        will those yawning yards,
        those terrifying chasms,
        disappear?

          For how much longer
          must our countries be
          distant neighbours;
          as once we wer
          in desert lndus town?


遠い隣人たち

砂漠のインダスの町にある
樹木で囲まれたクリフトンの白い清潔な豪邸で
私たちは白い壁で囲まれて
別々の生活をしていた。

 六十マイルもの欠伸の出るような距離を隔て、
 苦い年月の経過が
 作り出す
 恐ろしい裂け目。

  恐ろしい凶作のさなかにも
  私たちは手をさしのべ合った。
  時には
  意気投合し
  そこには友情があった。

   そして今、
   君は素っ裸になって
   宙ぶらりんな立場にたち
   新たな生活を始めようとしている、
   この気の遠くなるような距離
   この恐ろしい裂け目は
   消えてゆくかと
   私は疑念を抱きながら考える。

    かって私たちは
    砂漠のインダスの町に共にあったというのに、
    私たちの国が
    遠い隣国同士として
    あと幾年あらねばならないのか。

 インドの「隣国」と言えば、当然のように思い浮かべられる国があります。国際的な「恐ろしい裂け目」について専門外が論評のようなことをするのは避けますが、現職の大使がこのような作品を書くことに、その自由さに驚きます。それは当然なのかもしれません。しかし、2000年10月に日本詩人クラブ50周年記念祭で駐日オランダ大使を招いた時、閣下≠ニいう敬称を義務付けられた経験を持っている私などには、やはり驚きです。大使は一国の代表者ですから、それなりの不自由もあると先入観を持つことは無いのかもしれません。
 作品としても隣国への親しみが感じられて好感を持ちました。今年は日印外交50周年、来年は日印協会が創立されて100周年だそうです。早く「かって私たちは/砂漠のインダスの町に共にあった」状態になることを願っています。



論稿書新版 現場からみた新聞学』
天野勝文・生田真司編著
shinbungaku
2002.4.1 東京都目黒区 学文社刊 2500円+税

 こちらは寄贈本ではありません。購入本ですが紹介します。4月2日の日本ペンクラブ電子メディア委員会で紹介されて購入したものです。当日の委員会で、共著者の山田健太氏よりメディア規制のレクチャーを受け、その内容がこの本に書かれてものでした。「取材・報道を中心に」という副題が付けられ、基本的には大学のマスコミ論教科書です。

 教科書ですからちょっと浅い感じはしますけれど、9・11テロ後の報道のあり方や新聞の歴史的な役割などが網羅されて、入門書としておもしろいと思います。あまり詳しく書けませんがタイトルを拾ってみましょう。
   第T部 報道・言論の現在
   第U部 取材システムと報道手段
   第V部 報道と人権のはざま
   第W部 新聞の新しい担い手

 これだけでもおおよその内容は理解いただけるでしょう。日々接するマスコミはどういう仕組で、何を考えているのか、興味を覚えるものばかりです。特に電子メディアに関係する人には基礎資料として必見だと思います。



小林尹夫氏詩集『方舟の光景』
hakobune no koukei
2002.4.20 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2000円+税

 詩集タイトルの「方舟の光景」という作品はありません。あとがきで「動物たちにとって、人間の言う自由だの平等だの平和だのという言葉はどのように聞こえているのであろうか」と述べている通り、世界はノアの方舟であり、その光景を描いた詩集と言えましょう。

 あらいぐま

無邪気なお客の、
「かわいいっ!」という声ばかり掴まされて、
毎日虚しく手ばかり洗っている。
たまに手にするりんごは妙にテカテカしていて、
洗っても洗ってもりんごにならない。

 「方舟」を表現する典型的な作品だと思います。「無邪気なお客」が発する声のやるせなさ、「洗っても洗ってもりんごにならない」という視点の鋭さを感じます。短い作品の中に人間の傲慢さと「あらいぐま」の哀しさがよく伝わってくる作品です。小林詩のリリシズムをも端的に表現したものと言えるでしょう。



季刊詩誌『楽市』44号
rakuichi 44
2002.4.1 大阪府八尾市
楽市舎・三井葉子氏編集 1000円

 春/司 茜

 二

市バスに乗っています
前の席のおばさんが 百円玉を落しました

気がつかないので
わたしが すこうし肩をたたいて知らせました

降りていくとき
なんども 頭をさげていきました

桃の花を
だいじにかかえて 降りていきました

降りてからも
わたしに 手をふってくれています

 まさに「春」らしい光景でうれしくなる作品ですね。「おばさん」の人間性も良く描けていると思います。「降りていくとき/なんども 頭をさげてい」くのは、まあ、当り前ですけど、「桃の花を/だいじにかかえて」いることでこの人の人柄が少し判った気になり、「降りてからも/わたしに 手をふってくれ」ることから、ああ、本当にうれしかったのだ、本心から喜んでくれたのだと実感します。
 最近、こういう光景をなかなか見かけないと思うのは錯覚なのかもしれません。作者のような視線で世の中を見ていると、意外と見落としているだけじゃないかという気になってきます。勇気を与えてくれる作品だと思います。



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