きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.4.22(月)
7年ほど前に退職した方が昨日亡くなったと、職場で知らされました。明るい先輩で、退職後は伊豆に移り住んで、悠々自適に生活しているものだとばかり思っていましたから、ショックを受けています。今の時代で70歳にもならないで亡くなるのは、やはり早過ぎると思います。70年も100年も、地球の歴史の中では長さに変りはないのでしょうが、個人にとっては大きな違い。ましてや後輩としては先輩が長生きすることで自分も救われるような気になるものです。ご冥福をお祈りいたします。
○月刊詩誌『柵』185号 |
2002.4.20
大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
盗られる/肌勢とみ子
まだ夜も明けやらぬ内におきだして
洗筆のための水を汲んでいると
あたりを憚るように弱々しく
玄関のチャイムが鳴った
こんな朝早くにいったい誰だろうかと
訝しく思いながらも不用意に開けてしまったドアから
冷えきった風が激しく吹き込んで
わたしの腕をつかんで外へ引き出そうとする
あやうく逃れて素早くドアを閉めたあとで
自分は今 盗(と)られそうになったのだと思った
目が覚めてから不思議に思った
さっき夢の中で
どうして 自分を盗(と)られるなどと思ったのだろう
だいいちそんな言いまわしさえ聞いたこともない
わたしは無意識の底で
誰かの所有になるのを恐れているのだろうか
もしかしたらあの風の手は
わたしを何処かへ連れ出してくれるつもりかもしれなか
ったのに
すっかり覚めた耳で
いつまでも風のゆくえを追っている
「自分を盗られる」という感覚は、たとえ夢の中とは言え、おもしろいですね。「誰かの所有になるのを恐れているのだろうか」というのは女性特有なのかな、という気もします。実は誰もが潜在意識の中で持っているものかもしれません。生きることの不安定さを描いた作品とも受け取れます。作品の主題としては「わたしを何処かへ連れ出してくれる」かもしれない、という言葉に掛かっていると思うのですが、読者の勝手な読み方としては、やはり生存への不安というふうに考えたいですね。
そういう作品として読むと、これはなかなか出てこない感覚だなと思います。不況になって久しいのに、いつまでも浪費が続く私たちのボケを戒めているようにも受け止められる、そこまで言ったら読み過ぎかもしれませんけど、どんどん深く考えられる作品と言えましょう。
○文芸誌『蠻』129号 |
2002.4.30
埼玉県所沢市 秦健一郎氏発行 非売品 |
ほほえみにかえて/月谷小夜子
身体の奥で
秘かな音をたてて
壊れていくものがある
ほんの少しずつ
毎日あきることなく
決して他人(ひと)に知られてはいけない
小さな音だ
それがたまに
不安という表情になったり
苦痛の端っこについてきたりするが
思い出として浄化されることもある
生まれて来るときには
母親と痛みを分け合ってきたが
死ぬときは
身体の奥の秘かな音を
ほほえみにかえて
静かに去りたいものだ
心の奥のオニも一緒に
毎日毎日、細胞が死んで、そしてついには人体の死を迎えるわけですが、「身体の奥の秘かな音を/ほほえみにかえて/静かに去りたいものだ」という心境はよく判りますね。たまたま今日、7年ほど前に退職した方が亡くなったという知らせが職場にあって、人の死というものを考えていたときにこの作品に出会いました。第1連をその方の死と自分の死に重ね合せて拝見した次第です。
作品としては最終連の最終行がよく効いていると思います。自分の中には「オニ」がいるという認識は大事でしょう。そこから文学が始まるのだろうと思います。そんなことまで考えさせられた作品でした。
○詩誌『COAL SACK』42号 |
2002.4.25
千葉県柏市 コールサック社・鈴木比佐雄氏発行 500円 |
保護/中原道夫
一人の男が
何かを呟きながら歩いてくる
ときどき叫ぶように
ときにはだれかに語りかけるように
だれもが
可笑しな奴と言いながら
可笑しな奴になれない自分を
蔑みながら
声のする方をじっと見る
(一言言えばリストラになるのだから)
(口は災いの元と言うのだから)
人の波が船の喫水線さながらに
男の進む方向に分かれていく
交番のお巡りが飛んでくる
男は叫ぶことを止めない
語ることを少しも止めない
みんなはじっと見る
みんなは振り返る
男を見ながら
自分自身を振り返る
男はニヤッと笑う
そうなのだ
(俺の言ってることは真実なのだ)
まもなくパトカーがやってくる
男を保護するのだと言う
ほんとうは
言いたいことの言えない
たくさんのぼくを保護して欲しいのに
本当に嫌な時代になったものだと思います。「(一言言えばリストラになるのだから)/(口は災いの元と言うのだから)」というのは、私を含めたサラリーマンの実感ですね。労使というのは力関係ですから、不況になったら経営者側が強くなるのは当り前まんですけど、でも、私たちにも抜けは無かったかなとも考えます。国旗・国歌の制定、自衛隊の戦争参加、靖国神社の公式参拝と立て続けに右傾化政策を打ち出して、そのくせ何ひとつ構造改革≠やらない首相を9割の国民が支持したということは、今頃「自分自身を振り返」っても遅いのだ、という気になっています。
「たくさんのぼく」たち、すべては私たちの責任だということを考えなければいかんでしょう。この作品がそこまで言っているかどうかは読み取れませんが、そんなことを考えさせられました。「保護」してくれる者なぞ、誰もいないでしょうね。
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