きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.5.7(
)

 5月連休も終って、今日から出勤ですね。私の場合は4連休が最大連続の休みでしたけど、もう少し長くても良かったなと思っています。なかには10日連続の休みをとった人もいたようですけど、さすがにそれはできませんでした。
 それはそれとして、連休中の失敗をひとつ。5月4日は日本詩人クラブの作品研究会があったんですけど、コロッと忘れていました。忘れて、群馬の「榛名まほろば」に行ってしまったのです。毎月、月初めには手帳に予定を記入するんですけど、今月は遅れてしまいました。それが敗因だったなと思います。関係者には迷惑をかけてしまいました。お詫びします。
 やっぱり、ボケが始まったかな^_^;



佐藤春子氏詩集『祭り』
matsuri
2002.3.24 第2刷 岩手県北上市
私家版 非売品

 手作りの詩集のようですが、フランス製本のような体裁で、中には所々切絵のカットがあって美しい本です。肉親を題材にした作品が多く、著者のあたたかい精神も感じられます。ここではタイトルポエムを紹介しましょう。

 祭り

祭りが近づいた夜
父は
 鯉の味噌煮
 鰻の甘辛煮
 野菜のざく煮
 焼き小鮒
 海老の大根おろし
などと言いながら献立と盛り付けを
火箸で炉灰に書く

両親の兄妹たちが
揃う祭りに心がはずむ
私は
母や姉を手伝うことになった
もう六年生だから

翌日晴れ
家の前の堤の水を抜く
沼海老は網で掬う
鯉 鮒はぱたぱたしている
鰻は泥の中
そっと足で探り当て
すばやく掴む
そこまでは楽しかった
研ぎ立ての出刃包丁で
鯉はぶつ切り
鰻は頭に釘を打ち背開きにする
鮒は竹串に指し炭火で焼く
海老は塩煎りだ

私は明日の祭りの
無情に 悲しかった

 小学校「六年生」の作品ですから、戦後すぐの頃でしょうか、前半では岩手の「祭り」の前日の様子が活き活きと描かれていると思います。しかし「そこまでは楽しかった」けれど、生き物を殺す「明日の祭りの/無情に」少女は胸を突かれます。著者の原点を見る思いがします。
 そして、おそらく半世紀前の情景を現在こうやって作品化することに驚きを覚えます。長い年月を生きてくると、こういう感情は世俗にまみれて忘れてしまうものだと思うのですが、著者ははっきりと記憶し、作品にしています。著者の人間性がわかる作品と言えましょう。金子みすゞに通じる精神を感じた作品でした。



個人詩誌『粋青』29号
suisei 29
2002.5 大阪府岸和田市
後山光行氏発行 非売品

 

すぐそこに
定年といわれる年齢が見えてきて
不況の大波がおしよせている

夢のはるか手前を
川沿いの道のように歩いてきたのに
しだいに川幅が大きくなって
向こう岸は遠のいていく

水の流れもせせらぎを奏でて
すぐ近くに向こう岸が見えるのに
川を渡る術がない

 後山さんは私より1年先輩ですので、この感覚は私にもよくわかります。ほんとうに「向こう岸は遠のいていく」し「川を渡る術がない」んですよね。この先どうなっちゃうのか、私たちの世代が一番悩んでいるのかもしれません。年金なんて、ちゃんともらえるようになるのかな?
 それはそれとして、作品としてはよくまとまっていると言えるのではないでしょうか。「夢のはるか手前を/川沿いの道のように歩いてきたのに」などのフレーズは詩的だと思います。
 こうやって詩でも書いてないと、やってられませんね。



詩誌『海嶺』18号
kairei 18
2002.4.20 埼玉県さいたま市
海嶺の会・杜みち子氏発行 300円

 夜の窓/植村秋江

わたしの中には
一晩中目覚めている部分があるのだろう
朝が来ても重い疲労が残っている
本当の闇に体ごと預けてしまわなければ
快い眠りは来ないのかもしれない
夜毎
窓の外の光の海をながめている
ガラスと鉄とコンクリートの
眠ることを忘れた町を

古代人のように眠りたい
梢をわたる風と沢の水音を子守歌にして
深々と眠りにおちていきたい

目覚めると朝
あたらしいページをめくるすがすがしさで
今日の日がはじまる

そんな日はもう来ないのだろう
たくさんの物を捨てなければ
欲しがることを止めなければ……

風が出てきたらしい
スモッグが吹き払われて
町の灯が 遠くまで瞬いている

 「快い眠りは来ないのかもしれない」。なぜか? 「たくさんの物を捨て」ていないから、「欲しがることを止めな」いから。この感覚はわかる気がしますね。作者の書いた他の詩や散文を拝見すると、決して「たくさんの物を」「欲しがる」ような詩人ではないと思うのですが、ご自分をそのように規定する潔さには敬服します。謙虚な人なのでしょう。
 「本当の闇に体ごと預けてしまわなければ」や「古代人のように眠りたい」という比喩はおもしろいと思います。「本当の闇」と「古代人」という言葉がうまく重なっていると言えるでしょう。そして最終連。「夜の窓」から見える風景が(今夜もまた私を「快い眠り」に誘わない)というようなことを行間で言っていると思います。作品としてもまとまっていて、うまい作品だなと思いました。



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