きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.5.21(
)

 新聞社から原稿依頼が来ました。熊本日々新聞というところです。私は神奈川に住んでいますから、見たことのない新聞です。ニチニチも日々と書くのか日日と書くのか、それさえも判りません。まあ、インターネットで調べればすぐに判ることなんですがね。
 ある詩集の書評を書け、というものです。著者からは事前に知らせを受けていました。原稿用紙2枚。主張のはっきりした詩集ですから、書きやすい部類だと思います。10枚でも20枚でも書きたいところですけど、新聞じゃあそうもいきませんね。どれだけ凝縮させるかがポイントだろうと思っています。
 それにしても友人というのはありがたいものです。著者は現在、熊本在住。お会いしたのは3、4度ほどですけど、こうやって書かせてもらえるとは思ってもみませんでした。期限まであと10日、著者にも読者にも納得してもらえるものを書きたいと思います。



紫圭子氏詩集『受胎告知』
the annuuciation
2002.5.20 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

 エシュロン

投網する 愛人から逃れて
春の雨にぬれて咲く
連翹 雪やなぎ
水仙は水にひそむ仙人だ
水と光の時空を手繰りよせて
地中に卵状球形の鱗茎
(アンテナ)を張りめぐらせて
花から渦巻く暗号をキャッチする
地中に頭をつっこんで養分を吸いあげる
ナルキッソス、ナルシス、水仙
鱗茎は 地中海沿岸から
シルクロードをとおってわたしの庭までやってきた
根は 雲根
(うんこん)のかたさだ
深山の岩間からうまれてたちのぼる雲の内部は石
雲根 水を吸う石 石の根 鱗茎

(地中の鱗茎
(アンテナ)は「愛人(レディラブ)*」にひっかからないよ
(地中には電波がとどかないんだ
(水仙は仙人だから、とっくの昔に傍受を予知して地中にもぐりこんだのさ
(地中には地中の、水中には水中の繁栄
(いきかた)があるんだ
(きょうから水仙をナルシス・エシュロンと呼ぼう

 「エシュロン」のパートナーである英国では、すでにピカデリーサーカス
 のようなロンドンの目抜き通りで通行人の挙動を覧視するモニター装置が
 日夜、公然と作動している。**

わたし スーパーで買物をする
自分の姿をモニターテレビに映して
ポーズする
(鏡
(モニター)って植物的ね

 *三沢基地にあるエシュロンのコードネーム
 **<グローバル化の裏側で動き出した「情報支配」>(『VERDAD
(ベルダ)』'00年4月号より)

 詩集の中ではちょっと異質な作品ですが、私が最近関心を持っている「エシュロン」について書かれていましたので、あえて紹介してみました。ご存知の方も多いと思いますが「エシュロン・Echelon」とはアメリカによる全世界の盗聴システムです。作品にもあるように日本の米軍基地の中では三沢基地がそれを担っているとされています。
 昨年、EU議会でその存在が公に認められました。そして、気をつけなくてはいけないのは、EUはそれを非難することなく、対抗として同じようなシステムをEUに作ろうとしていることです。核を廃絶するのではなく、対抗策として核を持とうという発想と同じですね。この2月には参議院議員会館の第1会議室で、EU議会で特別委員を務めた議員を迎えて勉強会が行われました。私は残念ながら出席できませんでしたが、最近、日本ペンクラブ会員になった福島瑞穂議員が呼びかけ人になっていますので、私の加わっている電子メディア委員会にお呼びして経過を聞けるのではないかと思っています。いずれこのHPでも報告するようになるでしょう。
 そんな背景のもとにこの作品を鑑賞してみますと、さすがは詩人の感性だなと思います。例えば「きょうから水仙をナルシス・エシュロンと呼ぼう」という発想は、皮肉たっぷりながらアイロニーを感じさせます。「鏡
(モニター)って植物的ね」という最後のフレーズは「わたし」と「ナルシス」を重ねながら、「植物的」にならざるを得ない個人を象徴しているようで、論理は別として作品上では納得させられます。なにより、「エシュロン」に真っ向から取り組んだ作品として評価できると思います。外国はいざ知らず、日本では初めて出現した作品ではないでしょうか。これからの時代を予感する、詩人の重要な感覚も見事に見せた作品であるとも思いました。



詩と散文・エッセイ『吠』19号
bou 19
2002.5.15 千葉県香取郡東庄町
「吠」の会・山口惣司氏発行 700円

 豚声人語/飯嶋武太郎

生まれてから
たった一ケ月で五倍
三ケ月で二十倍
半年で八十倍になる豚の体重
中には百倍になる奴までいる
少ない餌で短期間に育つのは人間にとっては
金になる優良な豚と言えるだろう

ところが人間に抵抗するかのように
食わせても食わせてもなかなか太らぬ奴がいる
いわゆる大めし食いだ
痩せの大食いは人間だけの話ではない
すこぶる元気で特別病気というわけでもない
そいつにしたら早く太る奴が異常だというかも知れない
まるで生き物の生長には種属ごとの
適度なスピードが必要なんだと言ってるようだ

しかし人間はそいつらをあまり歓迎しない
そいつが多いと儲けが減るから
発育が悪いそいつらは淘汰の対象となり
そいつらの子孫は残さないと決めている

豚はそんな人間の思惑などまるで知らず
今日も餌をくれとぷひゃーぷひゃー鳴いている
明日の命を知らずにぷひゃーぷひゃー鳴いている

 「豚声人語」はもちろん朝日新聞の「天声人語」のもじりです。天の声・人の語というと当り前ですけど、豚の声というとオヤッと思いますね。作品はそのオヤッと思う読者の気持を最後まで惹きつけて離さないものになっていると言えるでしょう。「ぷひゃーぷひゃー」という擬声語もピッタリで、本当に豚小屋にいる気分にさせられます。
 「生き物の生長には種属ごとの/適度なスピードが必要なんだ」という豚声に、「そいつらの子孫は残さない」という人語。ユーモアの中にも人間とは何かを考えさせられる作品と言えましょう。



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