きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.5.26(
)

 日本詩人クラブ会員・田中眞由美さんの詩集『降りしきる常識たち』の出版記念会が赤坂でありました。10年ぶりの詩集ということで、仲間たちどころかご亭主、娘さんたち、ご両親までお祝いに駆けつけて90人も集りました。場所は赤坂の会員制クラブ、いい雰囲気でしたね。私は写真担当ということで、家宝のニコンF70を持って行きました。
 ちょっと役得がありまして、久保田の萬壽をどうするか、とご亭主から相談がありました。もちろん「オレが全部取り仕切る!」と言っちゃいましたよ^_^; なにせ一升しかありませんからね、日本酒の味が解る人しか選びませんでした。全部で、私も含めて5人ほどですかね。ほとんどの人は知らなかったと思います。ここで深くお詫びいたします。でも、旨かったなあ。私が二合呑んだところで終っちゃいましたから、ご亭主に「ねえ、もう一本ないの?」と聞きましたら、「ある訳ないヨ!」と怒られてしまいました。当り前か^_^;

020526
お礼の言葉 田中さん

 ご家族が一緒ということで、会の雰囲気も変りますね。田中さんのお人柄そのままのご家族で、出席の皆さんも和んだ時間を過したのではないでしょうか。いつまでも記憶に残る、いい会だったと思います。個人的には、ご亭主ともう一度呑みたいですね。



詩とエッセイ誌『千年樹』10号
sennenjyu 10
2002.5.22 長崎県諫早市 岡耕秋氏発行 500円

 サラダの作り方/岡 耕秋

単身赴任のある日
盛り沢山のサラダを作る
レシピは次のとおり

キュウリ 小    1/2本
ニンジン      l/4本
タマネギ スライス 1/4こ
パプリカ      1/4こ
セロリ         適量
レタス         適量
茄でタマゴ    乱切りlこ
それにフレンチ・ドレッシングとする
気にいらなければゴマ・ドレッシングでも
マヨネーズ・ソースでもよい
それから記号化する

キュウリはパールロングネックレスで
ニンジンはロンドン骨董市場で求め
タマネギは誇らかな歌と踊りで収穫し
パプリカは貸切公演でみつけ
セロリは温かい時間に育て
レタスは庭園美術館で拾う
茄でタマゴはアクセサリー感覚のルーペに
フレンチ・ドレッシングは浮世絵の一種とする

脈絡を切り刻み 論理をぶっちぎる
原形なくサラダボウルでかきまわして
いわゆるサラダをつくる

A・ウィニコットの架空の書
『現代詩演習による連作』にならって
意味あるようにパッチワークする
同じような好みの球面でも
サラダボウルは冷たいエロス
なでまわしてみる ぐるぐるまわしてみる
ウサギになる バンビになる バニーガールになる
電話がかかる 電車に轢かれる 電波がかかってくる

星座になる コンステレーション 破砕のためにある
神経繊維のネットワークの点滅になる
英雄になる 永遠になる 皇帝になる

精神病棟の
ドクター・Dに電話する
今日は宇宙記念日
サラダをご馳走したい

支払い代行サービスで
ボンド・ストリートから
コレクション・アイテムを下げて
フェンデイゴールド・ステラの若いゲイと
午前三時に一緒に来て欲しい

カンディンスキーを近代美術館で見損ねた
宇宙究極の
『言葉のサラダ』はいかがですか

 「サラダの作り方」が詩になるなんて、おもしろいですね。「記号化する」ことがキーなんでしょうか。一般的な言語が詩≠ノなっていく秘密を見せられて気もします。「意味あるようにパッチワークする」ことは抽象化と言えるのかもしれません。「今日は宇宙記念日/サラダをご馳走したい」というフレーズでは、例のサラダ記念日≠連想しますが、パロディーとして受けとめてもいいのかもしれません。最後の『言葉のサラダ』で、きちんと押えられて作品だと思いました。



個人詩誌『伏流水通信』3号
fukuryusui tsusin 3
2002.5.30 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行 非売品

 ユウジ/うめだ けんさく

ユウジは立ち上がる
ひとむかしまえ
戦争だったときの姿を変えて
暗黒の闇から亡霊をひきつれてやってきた
きな臭い煙の向こう
空爆の炎に包まれた人たちが
京浜の虹を渡ろうとして
真っ逆様に落ちていく

ユメか?

ユウジの街の夢を見た
甲高い怒号
鉄の雨が降り注ぐユウジの街
道のいたるところ
逃げ惑う人であふれ
破壊の音響がこだましている

危険区域の書き込まれた地図
ユウジは宰相であり
全指揮を統率する
ユウジは一戸毎に赤く記した地図を示して
命令する

 イノチヲアズケヨ
 イエヤシキヲアケロ
 クイモノヲサシダセ

希望を失わせ
星空を奪う
巨大な指揮官
夜の運河に
屍体が満ちる時代の貌が
ユウジの姿だ

 「ユウジ」とはもちろん有事≠フことです。現国会で審議されようとしている有事法案の本質を表現している作品で、戦争体験を経た人の言葉には説得力があると思います。私たちのように頭で考えているだけでは「夜の運河に/屍体が満ちる時代の貌」という表現は出てこないのではないでしょうか。その意味でも、時代の証言者には作品化してほしいと思っていました。
 原文では「ユウジ」はゴシックになっていました。パソコンでは太字として表現しましたが、うまくいってますかどうか…。作者がわざわざゴシックにした意味を考えたいと思います。



   back(5月の部屋へ戻る)

   
home