きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.5.29(
)

 私の仕事は基本的には個人プレーなんですが、今日は珍しく本社営業部の男と実験室に篭りました。新製品の性能をチェックしようというものです。思ったより良い結果が出て、二人で「呑むかあ!」ということになりました。駅前にある「もくもく亭」というおもしろい名前の居酒屋に行ったのですけど、そこでおもしろい日本酒に出会いました。その名も「もくもく酒」。オリジナルの酒なんですね。都内の居酒屋ではオリジナル酒を置いている店もあるんですけど、こんな田舎では珍しいことです。宮城の酒屋さんで造ってもらっているということで、確かに宮城の味でした。けっこうイケました。4杯も呑んでしまってヘロヘロになってしまいました。でも、仕事がうまくいって、気のあった同僚と呑むというものはうれしいものです。後味さわやかな夜でしたね。



詩誌『花』24号
hana 24
2002.5.25 埼玉県八潮市
花社・呉美代氏発行 700円

 大根/高田太郎

馬鹿か虚仮
(こけ)のほかに
知恵遅れの子とか施設の子ということばがなかったころ
おやじはどこからかおれの子守女を見つけてきた
あれから六十年もなるが
戦争に負けたことも知らず
ましてや新世紀などといってはしゃぐこともない
(とし)や銭(ぜに)は数えられないから縁はない
風船のような太陽を手玉にとって
野良の草取りばかりして
おれの家で生きすぎるほど生きてきた
今、かつておれのしょんべんで汚れた背を光らせ
冬の小川で大根を洗っている

 短い作品ですがいろいろなことを考えさせられます。「知恵遅れの子とか施設の子ということば」に至る歴史的な背景をまず感じ、人間の幸せっていったいどこにあるんだろうと考えてしまいます。「戦争に負けたこと」を知り、「新世紀などといってはしゃぐこと」、「齢や銭」を数えることが本当に幸せなんだろうか。「風船のような太陽を手玉にとって」「おれのしょんべんで汚れた背を光らせ」ることが、本当は幸せなことなのかもしれない。
 そう簡単に、短絡的に結論が出ることではありませんけど、そういう視点も考えなければいけないんだろうなと思いました。それにしても最終行は光っていますね。作者の根源的なやさしさを知らされた思いがします。



詩誌『木偶』50号
deku 50
2002.5.25 東京都小金井市
木偶の会・増田幸太郎氏発行 300円

 河太郎/仁科 理

梅雨あけまでは水泳禁止だと
そんな話ってあるものか
おれたち
先生の怒ったときの顔を思い出しては
こっそりと潮見川で泳いだんだ
おそろしかった
先生のゲンコツなんかじゃないよ
河太郎のことがだ

いつも爺がいっていた
潮見川の河太郎は
梅雨あけまえには
かならず子どもを喰ベるとぞ
時には大人でん喰うぞ
河太郎に喰われると
死体はいつまででん
川底から揚がってこんとばい

おれたちが神妙にしていると
爺はまた話すのだ

心配はいらん
梅宮神社のお札ば笹舟に乗せて流すとよか
笹舟がひっくりかえり お札が沈む
そこば探すと仏さんがおらすと
あとは簡単たい
潜って仏さんをひと蹴りすると
仏さんは自分で浮き上がるばい
不思議かばってん
河太郎に喰われた仏さんは
水は一滴も飲んではおらん

そんな話ってあるものか
川で溺れたら腹はふくれるぞ
河太郎に喰われたら死体は残らんよ
あれやこれやと
おれたち悪態つくのだが
めんどくさくなると
爺はいつもの狸寝入りだ

おれはある晩
河太郎にこっそり聞いたんだ
ジイノハナシハミナウソダ
ムカシムカシカラツタエラレタハナシデハ
河童巫トイウ長老ガイテ
梅雨アケマエノコロニナルト
ムラデヤクタタズニナッタトシヨリヲ
潮見川ニステニキテハタノムソウダ
河太郎様ガ喰べたことにしてください
河童巫ガヤクソクスルト
コウブツノキュウリトイッショニ
仏サンニナッテイル死体ヲナゲコムソウダ

ムカシムカシノ話ダヨ
アシタモ泳ギニオイデ

そんな話ってあるものか

 「そんな話ってあるものか」というフレーズが最後の最後まで効いている作品だと思います。ちょっと長い作品ですが、途中を抜いてしまうとそのフレーズの良さが半減しますので全行を紹介してみました。「爺」の話もおもしろいのですが、やはり河太郎の話がいいですね。捨老伝説をうまく使って、現代を批評しているようにも思います。詩の書き方という面でも勉強させてもらいました。



濱本久子氏詩集『母の伝説』
haha no densetsu
2002.6.1 横浜市西区 福田正夫詩の会刊 1500円

 グリム兄弟よ

長い間 思い違いをしていました
『グリム童話』はグリム兄弟が創作したものと
本当はグリム兄弟によって収集された
「子どもと家庭の昔話」でした

初版の『白雪姫』『ヘンゼルとグレーテル』の母親は実母でしたが
グリム兄弟は
実の母親が 冷酷で無慈悲であることはよくないと
『白雪姫』は第二版から
『ヘンゼルとグレーテル』は第四版から
継母に変えました

グリム兄弟よ
あなたがたのお節介が
悪役を 継母に押しつけ定着させました
初版のままでしたら
世界中の継母と継子の涙の色は違っていたでしょうに

グリム兄弟よ
私の母は実の子の私を捨て
よその子の継母になりました
五十九年の歳月のなかには
継母と継子の確執もあったでしょうが
母は亡くなる一ケ月まえ
「○子も△子も私の子」と
義理の子に言い置きました
しかし
棺に入っても
母は継母の面を被されたままでした

グリム兄弟よ
もの云わない母の無念の一矢を
せめて
あなた方に向けたいのです

 参考文献 グリム〈初版〉を読む 吉原高志 吉原素子 編著

 「T 母の伝説」「U 美しい言葉」の2章に分かれた詩集です。Tでは、紹介した作品のように「実の子の私を」2歳で祖父母に預け、他家に嫁いでいった「私の母」がテーマになっています。作者が詩を書くべき本質を示した章だと思います。最終連の重みが私にも伝わってきました。
 私事ですが、私も継母に育てられてきました。実母とは9歳のときの死別ですから、作者よりは緩衝があったと思います。作者とは逆の立場ですが、この作品を拝見して私も「グリム兄弟よ」と言ってやりたくなりましたね。「悪役を 継母に押しつけ定着させ」た罪は重い。少なくとも私の継母は立派な人でした。その母も亡くなって8年近く経ちますが、血の繋がりよりも人としての繋がりの方が重要と教えられた母でした。
 グリム兄弟の「お節介」は、やはり現実でしたね。実母が実子を飢え死にさせたり、暴力で死亡させたりの新聞記事を読むたびに、継母のみを悪役にした真意は何だったのかと改めて思います。それにしても、詩を書くべき人の詩集に出会ったと思いました。



新・日本現代詩文庫1『中原道夫詩集』
nakahara michio shisyu
2002.6.5 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

 名前について

街の四ツ角で
ぼくは思わず笑ってしまった
眼の前にある家の表札が「角田
(かどた)」さんであったから
そこは典型的な角
(かど)の家
そういえばいつか山に行ったとき
山の上に「山上
(やまがみ)」さんが住んでいた

しかし、東京には「長崎」さんが住んでいて
横浜には「福岡」さんが住んでいる
総理にふさわしくない人が内閣総理大臣になっていて
頭の悪さが売り物の大学教授もいたりする
品の良いタクシーの運転手
教養にじむ居酒屋
(のみや)のおやじも
巷の中には数えきれないくらいいるものだ

先生だからと頭をさげるな
社長さんだからと頭をさげるな
議員さんだからと頭をさげるな

名前と人のあわない人が
名前と頭のあわない人が
名前と力のあわない人が
この世の中には住んでいる

ぼくはコンクリートの街に住んでいて
野原のない街に住んでいて
「中原道夫」というものだ

 中原さんの詩集は、『石の歌』1956年、『雪の歌』1959年、『薔薇を肴に』1989年、『だから女よ』1991年、『腫瘍』1994年、『雪の朝』1995年、『傘のないぼくに』1997年、『ぶら下がり』2001年、とあり、それらから抜粋された文庫です。私は第1〜第3詩集までは拝見したことがありません。紹介した作品は第3詩集の『薔薇を肴に』に収められていたものです。
 最終連が何とも言えぬ雰囲気を感じますね。「野原のない街に住んでいて」も中原さん。その前の連を受けた中原さんの矜持が読み取れて、こちらまで胸を張りたくなります。中原詩のひとつの切り口だと思います。1989年の詩集ですが「総理にふさわしくない人が内閣総理大臣になって/いて」という状態は、現在でも変っていないと言えるでしょう。時代を超越した作品が多く、中原詩の魅力を余すところなく示してくれた文庫です。



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