きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.6.19(
)

 「越乃寒梅」という銘酒があります。日本ペンクラブの先輩で沼津の開業医がいて、彼を通して安く手に入れています。年に2回、4合瓶3本を5000円で買っていました。今年もその時期になり注文書が来ました。今回は一升瓶で6300円。ちょっと高めだなと思いましたけど、市販品を考えたら安いはずですから注文しておきました。
 それが今日届いたんですが、開けてびっくり。何と一升瓶が2本! あらら、12600円の支払いになってしまうなと観念して振替用紙を見て、またびっくり。2本で6300円だったんですね。1本、何と3150円! 思わず小躍りしてしまいましたね^_^;
 当然、さっそく呑みましたよ。やはり美味い。1合315円、なんて計算しながらニヤニヤして呑んでいました。3合でやめときましたけどね。好きなだけ呑んでたら、2〜3日で無くなっちゃう。チビリチビリと毎日楽しみます。



詩誌『梢』29号
kozue 29
2002.6.20 東京都西東京市
宮崎由紀氏発行  300円

 三行詩/上原章三

この小さな爆弾が
三十万のいのちを消し、殺し、のたうたせた……
その瞬間を思い眩めく。
    *
焼け爛れた三輸車の前
女子中学生は
ノートで顔を覆い 足早に去る。
    *
戦争は否と
小学生の寄せ書き、折り鶴も、
みな犯罪とするか 有事法制は。
    *
本安川のよどみに
黒ずむ石片は骨のよう、
ビルは青く 人影となって揺れる。
    *
三○○○度の灼熱に耐えたドームだ、
アメリカの高層ビルは
テロに崩れたが。

 「戦争は否と」という作品に惹かれます。有事法制が通ったら、まさに「小学生の寄せ書き、折り鶴も、」罪に問われかねません。そんな馬鹿なことがあっていいものか、という思いを強くします。
 「焼け爛れた三輸車の前」という作品は広島の原爆ドームでのことでしょうか。「女子中学生」とわが娘を重ね合せ、自分なら娘にどう接するだろうと考えてしまいました。
 「三○○○度の灼熱に耐えたドームだ、」という作品も原爆ドームのことですね。おもしろい対比で、これにも惹かれました。



鬼の会会報『鬼』360号
oni 360
2002.7.1 奈良県奈良市
鬼仙洞盧山・中村光行氏発行 年会費8000円

 金ピカの大仏さん
 いま、東大寺の大仏さんは、地金の胴をあらわにして黒ずんでおりますが、造られた当初は金鍍金で黄金色に輝いていたのです。そ
もそも、仏像そのものは仏典によりますと、身金色相≠ニ申しまして金色と説かれていました。つまり、そこには仏さまの皮膚は、黄金色と書かれています。だから仏像を金色にするのは、単なる黄金崇拝とか成金趣味ではなく、仏典に忠実にしたがったまでです。

 連載コラム「鬼のしきたり(49)」の中の文章です。「東大寺の大仏さん」を始め鎌倉の大仏さんも元々は「金鍍金で黄金色に輝いていた」ということは知っていましたが、なぜかは知りませんでした。私も「単なる黄金崇拝とか成金趣味」かなと思っていました。仏典にちゃんと書かれているんですね、勉強になりました。



詩誌『沈黙』24号
chinmoku 24
2002.6.10 東京都国立市
井本木綿子氏発行 700円

 隘路に----/天彦五男

緊急入院をするはめになった
原因不明で病名も解らない
流行性のものでムネオとかマキコとか
キヨミとかコウイチ病とか呼ぶ医師もいる

吠えたり噛みついたり臭いを嗅いだりするので
狂犬病かと思ったら 狂猫病 狂鳥病
狂牛病などが混合した狂人病らしい
そんな訳で鉄格子こそないが隔離されてしまった

炭素病 ペスト 赤痢 疫痢
エイズ ガン 淋病 梅毒 結核などなど
やや似た症状がでるがウソを嘘で塗り固めた
政治屋カプセルは黒い腹が似合うらしい
ぼくのはまだ軽くてエープリルフール病
桜の木に白桃が実り
梅の木に柿が熟してあんぽんたんと言う程度だ

病になった原因がいくつか思い当る
神経質 辛辣 浅慮 深酒 食道楽
ぼくは化学療法とかで抗漫剤や報謝線で
口舌の徒から沈黙の人へ組み替えが行なわれる
頭から爪先までラジオ・アイソトープ
ひょっとすると口から火を噴くかも知れない

欲望への欲望 愛と憎しみなどが年を重ね
喉から食道 胃から腸へと焼け爛れて
酒ばかりかジュースも水も受けつけない
飽食 グルメの報いが食道苦になってしまった
食べることは楽しみではなく苦痛とは----
国会へ呼ばれるよりキツイ閻魔大王の前で
お前は〈生〉に執着があるかと言われると
小首ひねって鷺か鴉になるしかしかたない
どうも隘路にまぎれこんでしまったようだ

 作者は日本詩人クラブの現会長です。ご自分の病気を揶揄したような作品に、作者を知る者としては居たたまれないものを感じます。しかし、そこは詩人、来るものは拒まずという強い意思をも感じています。2002年というこの現在の日本を、詩人という厳しい眼で見ていることも見逃せないことです。タイトルの「隘路に----」はもちろんアイロニー≠ノ掛けています。
 現在は病も癒えて公務に復帰しています。私も一理事として微力ながらお手伝いさせていただきす。



詩と評論誌『日本未来派』205号
nihon miraiha 205
2002.6.15 東京都練馬区 西岡光秋氏発行 800円+税

 積もった時間に/後山光行

長い旅をしたものだと
すこし錆びついた鍵をはずす
なつかしい私の生家
誰も訪ねないまま
もう何年もたたずんだままだった
人が歩かなくなった道に
草が生えて
雨の滴が
かつてきれいに塗り固められた道を
深くえぐって侵食している

まるで友人の肩でもたたくように
----帰ってきたぞ と云うべきか
----久しぶりだな と云うべきか
蜘蛛の巣が不思議な輝きを放ち
天井もこわれはじめ
床も畳の重さに耐えかねている
確かに私の生まれ育った家だ

この家を飛び出して
もう定年が見える時期が来た
思えば長い多くの時間が過ぎたものだ
その間にすっかり住人を無くした家
二十世紀の後半の日本の経済を全て盛り立てた年代が
ひとりひとり崩れはじめた時代なのだ
私も崩れはじめて
家そのものを確かめに来たのだった

四十年近く前
おさない私が意を決して
出掛ける前にひとりで座って挨拶した場所に
ひとりでたたずんで再会を確かめてみた
長い年月の時間が積もっている
空気さえも沈殿している重さがある

 作者は私より1年先輩になります。20代の初めに出会っていますから、もう30年の付き合いということになります。「もう定年が見える時期が来た」というのは私の実感でもあります。「二十世紀の後半の日本の経済を全て盛り立てた年代が/ひとりひとり崩れはじめた時代なのだ」というフレーズでは、改めて、そうだったなと思います。作者は島根県石見出身、現在大阪府在住。「この家を飛び出して」「その間にすっかり住人を無くした家」への思いが伝わってきます。我武者羅に働いてきたこの30年はいったい何だったのか。家に限らず「空気さえも沈殿している重さがある」のは、現在の日本なのかもしれません。



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