きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.6.22(土)
池袋の東京芸術劇場で「サロンDEボンドール」展を観てきました。日本詩人クラブの女性会員お二人が出品しています。お一人の作品は「淋しい犬」というタイトルだったかな? 犬の目が本当に淋しそうで、うまいもんだなと思いました。もうお一人は抽象画。こちらは黒を基調にした作品で、絵に動きがあるのが良いと思ったんですけど、ご本人に言わせるとそれじゃ駄目なんだそうです。私は絵は門外漢ですけど、他の方の作品もアマチュアとは思えないほどで楽しみました。絵は一目で解るからいいですね。制作は大変なんでしょうけど…。
その後は新宿で「螻(ケラ)の会」に行ってきました。もう176回目の集りで、田中眞由美氏による「現代詩の音声による表現」というテーマです。要は朗読詩ですが、なかなか難しいテーマです。朗読に向く詩、向かない詩などの観点を盛り込んで話合われました。もちろん、まったく向かない詩というのも存在しますから、それは除くとして、一般的にはほとんどの詩は朗読できるんじゃないかと私は思います。朗読するかどうかというのは別問題ですけど、話合いの中で意外なことに気付きました。
行分け詩が詩になっているかどうかの検証は、散文詩にしてみると判ると私は思っています。散文形式に置き換えてみて本当に散文になってしまったら、それは詩として問題がある。その延長で思い付いたんですけど、散文詩を朗読してみると、詩になっているかどうかが検証できるのではないか。朗読して引っかかるところが出てきたら、それは散文詩としても問題があるのではないか。つまり、行分け詩→散文詩→朗読と進めることによって検証が深まるのではないか。
まあ、単なる思い付きですから、それこそそれを検証しなければなりませんけど、まあ、やってみる価値はあるかな。そんな訳で、ちょっと刺激された集りだったのです。
○美濃千鶴氏詩集『風の眼』 |
1991.8.1
大阪府交野市 交野が原発行所刊 800円 |
手紙
わずか数行の用件を
一行あけでのったりと書き
それでもエアメール一枚にしかならない
薄い手紙は手の中で冷たくて
未熟な女の背中のようだった
言いわけするように息を吹きこめば
ぬくもりがはんなりと
封筒を持つ手に伝わっていく
ありがとうございました
お元気ですか
それだけ書いて
後が続かなかった頃もあった、のに
いつのまにか
書いて書いて
ぶちあてるように書いて
しっかり封じなければならない気持ちが
弾け飛びそうになっていた
背伸びしてつっぱって
どれだけ言葉を送っただろう
大人の袖口をつかまえて話しかけるこどものように
必死で横顔を見ていた
送った言葉の束の底に
死んでいった言葉の無念が
渦まいている
あなたの言葉の底にも
同じものが潜んでいたろうか
そして手の中の----
ぬくもりが消えるたびに
息を吹き入れた
著者が20歳の時の詩集です。驚いたことにこの詩集が2冊目。大学1年で第一詩集を出したようです。紹介した作品は19歳か20歳頃の作品でしょうか、完成度の高さに瞠目しました。私もその年代には書いていましたけど、ここまで完成されていなかったなと思います。私だったら「未熟な女の背中のようだった」「しっかり封じなければならない気持ちが」「死んでいった言葉の無念が」などのフレーズが今でも書けるかどうか、怪しいものです。
「あなた」は異性でしょうか。そのように受けとめて良いと思います。そうすると、この抑えたタッチがたまらない魅力として伝わってきます。あとがきでは「この詩集は、二十歳の記念碑ではなく、これから始まる二十代への布石なのです」とありました。詩人としての明確な意思を持った言葉だと思います。
○美濃千鶴氏詩集『十二号系統』 |
1998.12.1 大阪府交野市 交野が原発行所刊 800円 |
接弦定理
三角をみっしりと抱えこんだ
円が
ノートを占拠する
円にはぺったりと接線
逃れようもなく接線
接線と円と三角と
一点集中の角度を問われる
十五歳の接弦定理
だから∠Bは42度
そういわれて
どうしてとも聞かず
あなたは素直にうなずくけれど
ごめんね
それがどうして42度なのか
どうしてそれが定理なのか
本当はわたしにも
よくわかってはいないのよ
忘れようとしていた
角度の求め方を
接線の引き方を
円周に手足を縛られた
三角形の怯えを
自信のない赤ぺンが
塗りつぶすように
確かめていく
計算間違いなど
時々偉そうに
指摘しながら
こちらは7年後の第3詩集です。著者は中学校の教師になったようです。数学の先生でしょうか。「接弦定理」なんてもうすっかり忘れていますけど、数学をちゃんと詩にしているなと感心しています。数学そのものは詩的だと思うのですけど、私ならそういう面で書いてしまいそうなんですけど、著者はしっかりと人間に根ざしています。「どうしてとも聞かず」「素直にうなずく」中学生も存在感がありますが、やはり「わたし」をきちんと描いているなと思います。「計算間違いなど/時々偉そうに/指摘しながら」なんて最終のフレーズを見ると、思わず、いい先生に教わっているなとニンマリしてしまいます。
○詩誌『回転木馬』111号 |
2002.6.20 千葉市花見川区 鈴木俊氏発行 非売品 |
わたしの一九四七年(昭和二十二年)/佐野ヤ子
小学二年生
急性盲腸炎で町にたった一つの鉄道病院に運ばれた
手術には「サラシ一反」持参が条件
両親は町じゅうの呉服屋洋品店を走り回ったが
敗戦直後の田舎町
店の棚に商品などある筈もなかった
わたしはべッドに放置されたまま
灯台もと暗し
元軍人の叔父が持っていた「ヤミ物資」の一反が
手遅れ寸前のわたしを救ってくれた
二○○二年(平成十四年)
あれから半世紀以上もたって
「サラシ一反」要求する医師が
いまだに絶えない
「『サラシ一反』要求する」というのは、単に金品の要求を指すのではなく、医大への入学に絡む賄賂なども含まれるだろうと思います。もちろんほとんどの医師は真面目な方で、私の接して医師も信頼のおける方ばかりでしたが、確かに?と思う医者もいるにはいます。胃潰瘍の判断もできず、持病だから生涯付き合えと言った医者。娘が仮死状態で産れて、後遺症は保証できないと逃げた医者。薬を間違えて出し、私の指摘であわてて訂正した医者などは、どういう勉強をしてきたのだろうという実感したこともあります。
1947年の「サラシ一反」は、医師の側でも止むに止まれぬものがあっただろうと想像できます。包帯も無い時代のことですから…。しかし、現在の「サラシ一反」は容認できませんね。作者の怒りは理解できます。過剰投薬、過剰検査も「サラシ一反」と考えてよいのかもしれません。
(6月の部屋へ戻る)