きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.6.23(日)
久しぶりに生のジャズを聴いてきました。高校生の姪が所属している学校の吹奏楽部が、ジャズバンドと競演するので来ないかと誘われていたものです。5000円の入場料ということで、高校生の発表にしては高いなと思っていましたら、何と「マンハッタン・ジャズ・オーケストラ」との競演でした。ジャズを知っている人には有名なバンドです。
写真撮影、録画・録音はもちろん禁止されていましたから、パンフレットで雰囲気をお伝えします。競演とは言っても、20曲ほどの中でたった1曲でしたけど、16人のプロの間に40人の女子高生が入り込んでの演奏を想像してみてください。壮観でしたね^_^; 姪の所属する吹奏楽部は県大会でも入賞するほどですから、しっかりスイングしていました。姪もトロンボーンの独奏をやって、立派なものでしたね。うちの家系で音楽をちゃんとやれる奴がいるとは驚きです。
曲はスタンダードが中心で、「黒い炎」「アイ・フィール・グッド」「テイク・ファイブ」など一般にも馴染みの深いものばかりでした。私がここのところ聴いているのは、クラブでのシャンソン・ライブばかりで、ジャズやロックなどの激しいコンサートは、十数年前の武道館で行われた「ASIA」が最後だったかな? 今田勝のジャズコンサートが最後だったかな? いずれにしろずいぶん昔のことです。前から6列目という絶好の場所で音を堪能しました。どうせやるなら、彼らのようなバンドをバックに朗読したい!
^_^;
○詩誌『象』106号 |
2002.6.25
横浜市港南区 500円 「象」詩人クラブ・篠原あや氏発行 |
会話から/篠原あや
ゆうべね
芳行さんが隣に寝ているんだ
ふーん
呼び掛けても
知らん顔してんの
変だな と思った時
そうだ
この人死んだんだ って
そう思ったら
何かふっと抜けたの
娘が剪定したピラカンサは
来期は赤い実を沢山つけることだろう
こうして
ひとつ ひとつ
軋みながら 何かと溶け合い
そして静かに 奥深く沈潜していくのか
家の角を曲る時
癖のように見上げるべランダ
そこに
彼の笑顔が再び見えるようになるのも
そう遠くはあるまい
それが甦えりの
三人の日 だ
「芳行さん」は「娘」さんの、亡くなったご亭主。作者と同居していたと考えらます。「家の角を曲る時/癖のように見上げるべランダ/そこに/彼の笑顔が」あった生活は、過去のものとなったのでしょう。しかし、それはいつか「甦えり」「三人の日」が再び訪れると書く作者の心境を思うと、さまざまな気持に襲われます。無常感、諦念とは違ったものを感じ、人生の深さとでも言ったらよいのでしょうか。あるがままを受け入れよ、と教えられる気がします。
○月刊詩誌『柵』187号 |
2002.6.20 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
午後の庭園/中井ひさ子
瓦屋根の門をくぐる
日射しが地面で
足を洗っている
蝉が噴き出てくる声を押えるように
空を堀っている
黒揚羽が忙しげに
時間を縫っていく
風が池の水に触りながら
歩いて行く
名も知らぬ鳥が
少し汗ばんで飛び立つ
いちょうの大木が大様な顔をして
散らばった夏を飲みこんでいく
長年首に巻いていた
蛇を
ゆっくりとはずし
放つ
細く赤い舌をしゅるると出し
乾いた目で
草蔭に消える
中井さんの言葉はいつも新鮮だなと思います。第2連から8連まで、もったいないほどの言葉が並んでいますね。私だったら8編の詩で使いたくなるほどです。すごい才能だなと呆れるほどです。そして、夏の「午後の庭園」がネットリと迫ってきそうです。
問題は「蛇」でしょうか。何の喩なのか容易に答は見つかりそうにありません。永年持っている思い込みのようなもの、という解釈もできるでしょう。蛇から連想して、執念深さ。長さからの連想で、身に合わないもの。様々な喩として考えてよいと思います。読者に任せられているのかもしれません。勝手に解釈させてもらうのも詩を読む楽しみだと思っています。
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