きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.6.26(水)
社内教育インストラクターの集りが15時半から17時までありました。集りそのものは、今期実施の研修の反省と来期の予定でしたから、そう大したことはありませんでした。終って、17時半から会社の施設で慰労会をやることになっていたんですけど、これが集りが悪かったですね。私は職場に戻らずそのまま会場に行けるように帰り支度で来ていました。しかし、そんなヤツは誰もいない! 私を除いて全員、一度職場に戻ってしまいました。しょうがないから、ひとりで呑んで待ってましたよ。
これも遅れて来た事務局の女性に言わせると、この集りのメンバーは真面目なんですって。他のグループは会議は出ないで呑み会だけ出る人もいるのに、ここは逆で、会議だけ出て呑み会には出ない人も多いんだそうです。じゃあ、何かい? オレだけ不真面目なのかい? とカラミましたけど、まあそんなことはないと慰められました。こっちだって仕事のやりくりをして出席してるんだと言ってやりたくなりましたよ。でも、何十人も、場合によっては100人近い部下をかかえた現場の長と、一匹狼で好き勝手やってる技術屋とでは、どだい土俵が違いますから勝負になる話ではありませんけどね。そのせいか、今夜の私の酒はちょっと控え目でした。
○秦恒平氏著『湖(うみ)の本』47 「なよたけのかぐやひめ・他」 |
2002.6.19
東京都西東京市 湖(うみ)の本版元発行 1900円 |
日本ペンクラブ理事・電子メディア委員会委員長の秦さんよりいただきました。英語指導のチューターの集り用に朗唱台本として書下ろした「なよたけのかぐやひめ」と、連続3回の講演録です。「竹取物語」に秘められた古典文学の謎を解明する、と言ったらちょっと軽くなりますが、内容は重大なものを含んでいます。
講演録の中で私が最も心惹かれたのは「古典への招待」です。高校までの古典は、一応、及第点は取ってきたものの、実は得意分野ではありません。できれば避けて通りたい方です。なぜかと言うと、文法です。古典の授業は文法が主で、それができないと試験は通りませんでした。しょうがないから勉強しましたけど、嫌でしたね。もっとテキトーに読みたいものだと思ったものです。
そこを秦さんは(古典に限らないけど)、本に読み方の規則はないのだ、と説いています。判る範囲でいいから読む、できれば2度でも3度でも好きな作品を読む、そうすればどんどん読み方が深くなると説きます。書いてはないけど、文法なんか後からついて来るよ、とも読み取れました。
まあ、そんな枝葉末節より「なよたけのかぐやひめ」の話をしましょう。私の記憶する「竹取物語」とはずいぶん違っていました。実在の貴人5名がかぐや姫に言い寄って5つの難問を与えられたこと。文を交わすまでに至った帝がかぐや姫からもらった不死の薬を、死ななければかぐや姫に逢えないからそんなものはいらないと富士山頂に捨てさせたこと。そこから不二山という名が生まれたことなど、私の記憶にはないことでしたね。それに「竹取物語」に類似した説話は、日本各地のみならず世界中にあるということも…。
書き出したらキリがないんですけど、たった50枚ほどの「竹取物語」から5時間の講演をし、150枚以上の原稿を書いても書ききれないというのですから、まだまだ奥が深いようです。各地の「竹取物語」との比較も文藝という観点で書かれていて、これも圧巻。推薦しますので、良かったら著者のHPにアクセスして注文してみてください。
○橋爪さち子氏詩集『光る骨』 |
2002.6.30
東京都東村山市 書肆青樹社刊 2400円+税 |
月
食卓の上は
暮色の風ばかりが大盛りに盛られていて
しゅうとめとわたしは さっきから
向かいあって座っている
ほかに誰もいないと
にわかにしゅうとめの波長で呼吸しはじめる家の不思議
わたしは きょう聞いたばかりの話をした
人形づくりの好きだったA女史の母上は戦時下の疎開先で いつ
とはなく取っておいた華麗な布を使っては 夜なべにフランス人
形をつくった 翌日それらの人形はお百姓家に持ち込まれ 日々
の食料に換えられるのだった
残り布が減るにつれて人形は小さくなっていく やがて手持ちの
顔型も無くなり 人形の顔は古い肌着で工夫され 鼻柱には米粒
が使われるようになった
ある朝 卓に置かれた まあたらしい人形の顔がぼろぼろになっ
ていた ひと粒の米のためにネズミが食いちぎったのだ
「わっ」
しゅうとめが叫んだ
「こわい話ですなあ
ふびんな人形や きっと
棄てるにしのびなんだことやろ」
しゅうとめが無残な人形をかばいとったそのとき
わたしとしゅうとめと
せっせと人形をつくった女(ひと)と
人形を抱きしめた女たち
の産み継ぐ性をつらぬく哀しみの背骨が
あざやかに連帯した
窓の外にはほのかな白い顔 十三夜の月
著者の第二詩集だそうです。紹介した作品は巻頭にありました。「こわい話」と受けとめる「しゅうとめ」の感性の鋭さにも驚きますが、それを「女たち/の産み継ぐ性をつらぬく哀しみの背骨が/あざやかに連帯した」と感じとる著者の感性にも瞠目します。男には感じ取れない部分なのかもしれません。その分、男は女に負けているなとも思いました。
最終連も見事です。辞書によると「十三夜の月」とは十五夜の月に次いで美しいとされ、女性の奥ゆかしさをも表現しているようです。人形の「白い顔」と重なり、タイトルともうまくマッチした佳作だと思いました。
○詩誌『石の森』108号 |
2002.3.1 大阪府交野市 金掘則夫氏発行 非売品 |
未遂/美濃千鶴
三丁目の電信柱
に忘れ去られたトタンの看板
の四隅を留めた針金
そのなかの一本が外れた
外れた針金は
長く伸び
風に揺れるその先端が
道行く子どもの
目玉を窺っている
先週二丁目で起こったできごとを
この町の人々は知ろうとしない
黒い見出しの新聞記事は
廃品回収の車に乗って
行ってしまった
コンクリートの樹に
銀色の蔓
空も地面もまだ青い
やがて
電信柱を見たひとりの青年が
針金をくるくるとまるめ
その場を立ち去った
風景への視点と言い、人間への見方と言い、優れた作品だと思います。「外れた針金」が「道行く子どもの/目玉を窺っている」という危機感、電柱と針金を「コンクリートの樹に/銀色の蔓」と表現するのもおもしろいですね。そして「先週二丁目で起こったできごとを/この町の人々は知ろうとしない」という冷静な分析。なにより「ひとりの青年」の行動が光っています。そんな町でもこういう青年がいる(分別盛りの中年でも老人でもなく)という安心感。人間を信頼してみたいという気持が素直に伝わってきました。もちろん、タイトルの「未遂」は最高です。何気ない風景を人間に根ざして見事に切り取った作品だと思いました。
(6月の部屋へ戻る)