きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.6.27(
)

 現地調査の必要があって、製造現場の担当者と工場の屋上に登ってみました。雨があがったばかりで足元が濡れていましたけど、屋上というの何度行っても気持のいい所です。4階建の工場ですから高さもちょうどいい。近くに見える景色は配管だらけの他の工場であったりコンクリ打放しの建物であったりと、夢のあるような風景とは言い難いんですけど、それでもすがすがしい。眼を遠じれば丹沢連山、箱根山系が見えるはずですが、これは厚い雲の中。
 屋上を調査する本来の目的も忘れて、しばらくボーッとしていました。いつもは部屋に篭ってばかりの生活ですから、たまには外の空気を存分に吸うのもいいものです。



木島始氏編『4行連詩葉書』
renshi-1

 木島さんの許可をもらってありますから、ほぼ同寸大で再現してみました。60kバイトを越えていますからちょっと重いんですがご容赦ください。それでも読み難いですね。テキスト化してみます。

  Ask the
   god
what happened
  to god,

たずねよ
神の身に
何が起こったか
その神に      リーザ・ローウィッツ


Can you,genes,
 hold secretly
what happened
to the creatures?

なあ、遺伝子くん
命あるものに
何が起こったか
隠し持ってられるんかい? 木島 始



木島始氏編『4行連詩葉書』
renshi-2

 こちらは何とか読めそうですね。約50kバイト、ほぼ原寸大です。お楽しみください。



詩誌『地平線』32号
chiheisen 32
2002.5.15 東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏発行 600円

 秘密/田口秀美

私のささやかな秘密は
誰かに話したら笑われそうにたわいない
よろこびのあるときや
聴くのも面倒に思われそうな
かなしみを抱えるとき
ひとりある町に出かける

電車を乗りつぎ 駅前から
川の向こうへ行くバスに乗って
橋のたもとで降りる
なつかしい路地を歩く

少年の僕はこの路地を
朝な夕な新聞を配って走りぬけた
路地は生活のにおいに満ちていた
この角の家のおばあさんは毎朝
玄関のガラス戸を細く開けてにこやかに
紙に包んだお菓子を手に 待っていてくれた
かのおばあさんのほほえみは
いまでも心をあたためる
このマンションのある場所に
木造アパートがあった 一階一号室に
いつも部屋の奥で工作する職人さんが
僕と同じ年頃の娘さんと暮らしていた
かの少女は 確かに僕の瞳を誠実に
見つめてくれた かの瞳に
いまでも心がときめく

路地は豊かな意匠で塗り固められたが
いつでも回想を拒絶しない
ここに暮らした人々が
路地にあそぶ幻想を楽しんで
においの無くなった川風のなかに
帰るバスを待つ

 豊かな感性の持ち主だなと思います。「朝な夕な新聞を配って走りぬけた/路地」は「私のささやかな秘密」であるのかもしれませんが、それ以上に路地の人々が活き活きと描写されていて、読む者の心を打ちます。おばあさんの具体性、少女の具体性が作品を奥深くしているのだと思います。
 確かに「誰かに話したら笑われそうにたわいない」秘密なのかもしれませんけど、そういう場所が近くにあるということは幸せなことと言えるでしょう。羨ましくさえ思う作品です。



詩誌『こすもす』42号
cosmos 42
2002.7.10 東京都大田区
蛍書院・笠原三津子氏発行 450円

 空の鏡/笠原三津子

エルサレムの空コバルトブルーに澄んで
今にも天使が顔を出すと思っていると
ミサイルが飛んでくる
挨拶より先に銃口向ける兵士
ラマラの心地よい散歩道 突然戦車が犇めく
イスラエル占領軍の過酷な行為は人々の目を覆う
友の両親たちの住んでいるジェニン
住宅地が大規模破壊され 五千人が家を失った

さつき晴れの東京の朝 雲一つない
凧ひとつ光っていたナブルスの空を懐かしむ
東京空襲で歌舞伎座が焼け落ちたとき
ああ 奇麗! 叫んだ女性は 空の中

あの国々の空 この国の空
いちまいに続いている 仲良くしようよ
空の中から私に話かける鏡がある

私の心の深みをのぞきこむ内視鏡
丸い鏡 四角い鏡
成層圏から仰ぎ見る
この世のものとも思われない清浄なブルー
その もっと深い空に私は行ったことがない

空の鏡に姿を映す
光る空
曇る空
涙こぼす空

 おおえとぞ おおえとぞ思うます鏡
 現れぬこそ 光なりけり

祖母の和歌を口ずさみ
長いこと生きてきた
心を映す祖母の鏡も
私と共に生きている

 「天使が顔を出すと思っていると/ミサイル」「挨拶より先に銃口」という現実、「東京空襲で歌舞伎座が焼け落ちた」過去、それらには実は「空の中から私に話かける鏡がある」のだという着想に瞠目します。「空の鏡」とは人工衛星であるのかもしれませんが、ここはやはりアナログな鏡ととりたいですね。そう考えることで「心を映す祖母の鏡も/私と共に生きている」という最終連も生きてくると思います。
 空に鏡があったら「仲良くしようよ」という作者の呼びかけは通じるのかもしれません。己が身を写す鏡は、いつでも必要なのもでしょう。そんなことを考えさせられた作品でした。



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