きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.6.30(
)

 サッカーのワールドカップ決勝戦を観ながら書いてますけど、なかなかシュートって決まらないもんだなと思います。サッカーにそれほど興味があるわけじゃないんですが、決勝ともなると選手の動きに無駄がないように見えて、そこは観ていて楽しいです。今を去ること40年ほど前の中学生のときはバスケットの一応キャプテンをやってましたから、動きの速いスポーツは好きです。私のシュートもなかなか決まらなかったから言い難いですけど、それにしてもサッカーのシュートも決まらないなあ。
 おっ、やった! ロナウドが決めた! お見事。カーンでも止められないな、あれでは。おおー、2点目! またしてもロナウド。あと10分、これで決まりかな?
 とうとう終りましたね。ドイツは最後は力尽きたという印象を持ちました。ドイツも褒めてあげたいけど、やっぱりブラジルだな。おめでとう!



滝口悦郎氏詩集『周縁 開く』
syuen hiraku
2002.6.17 東京都豊島区 東京文芸館刊 2000円+税

 凧の情況

プラスチックの骨にビニールの薄紙
ひ弱な凧は地を引きずられ痛めつけられ
わずかの風に煽られて
こわごわ揚がれば横風に胸を突かれ
ゆれてふるえて薄紙は破れんばかり
身にそぐわない高揚などは望まないのに
あがれあがれと引っ張られ
どこかの凧と競争させられ
細糸が身を締めつける叱咤する
砂のつぶて煤煙の微粒子も食わされる
糸の支点も気まぐれに位置を変えられ
そのいらついた指令の方が絶対だ
吹き上げる強風に身は崩壊せんばかり
哀訴の声を押し戻す風の層の厚み重み

ごうごうとおればかりを翻弄する風に
ただフィットしようと己をよじるばかり
頼りない糸は張りつめ糸は極限にふるえ
宙に浮かびでた閉塞図

糸がぷっつり切れたのはいつ?
切れた凧の行き先はどこ?
もはや時や場所など重くはない
小凧は揚がって切れるもの
もはや事件はまれではなくて
凧はどこかにひっかけられたまま

糸が切れたわけの淵源
WHY…?
だけが驚きとともに重いが…
饒舌もいつか立ち消えて
影ばかりが反芻され
そのかげから新たなWHY…?
が立ちあがる

 「身にそぐわない高揚などは望まないのに/あがれあがれと引っ張られ/どこかの凧と競争させられ」というフレーズは身につまされました。そうやって競争させられて、ずっと生きてきたなという思いをします。学校の先生であったり会社の上司であったりしますが「そのいらついた指令の方が絶対だ」とばかり感じてきたように思います。そんな私たちの心情をうまく汲み取ってくれた作品と言えるんじゃないでしょうか。
 でも、いつかは「糸がぷっつり切れ」て、「WHY…?」と誰もが考える時期が来ます。そしてある程度の解明がなされることでしょう。しかし、作者は「そのかげから新たなWHY…?/が立ちあがる」と言っています。ここがすごいところだと思います。「WHY…?」は永遠に続くと言われているようですね。さて「凧」は何を考えたら良いのか。難しい設問を与えられた作品と言えましょう。



詩誌『花音』20号
kaon 20
2002.3.25 大阪府池田市
花音舎・片山礼氏発行 200円

 ジョギング日誌/いしだひでこ

 【光の続く道】

芝生の間の道を行く
両側を高い杉の木が立ち並ぶ
木の間には果実の形をした水銀灯
行く先を照らす光が
遠くのほうまで続いている

だんだん空と道との境目が
あいまいになって
走るからだが空のほうヘ浮いていくようだ

光が続く限り 道はあるんだろう
だから走り続けるだけ
ひかりの輪が何重にも広がり
体ごと光の中へ吸い込まれていく

 3人の同人による詩誌です。今号は20号記念ということでいしださんの特集となったようです。「ジョギング日誌」というタイトルのもとに3編、その他3編の計6編の作品が載っていました。紹介したのは「ジョギング日誌」の最後の作品ですが、夜間の情景でしょうか。夕暮の、水銀灯が点いた直後と受けとめても良いかもしれません。第2連が幻想的で、雰囲気がありますね。私ももうちょっと若い頃は駅伝をやっていましたから、ジョギングの感覚が素直に伝わってきます。
 最終連の「体ごと光の中へ吸い込まれていく」というフレーズもいいですね。走る醍醐味を味あわせてくれる作品だと思いました。



詩誌『火皿』100号
hizara 100
2002.5.31 広島市安佐南区
火皿詩話会・福谷昭二氏発行 800円

 経験/松井博文

ビールを飲むとラーメンが食べたくなるってのは
科学的に証明できるんだそうですね
そうかい 八つぁんにしてはよく勉強しましたな
この間テレビでやってました
考えてみりゃあ経験で知ってることですよね
あっしなんか横町の酒屋で二三杯引っかけると
熊んとこのまずいラーメンでも必ず食べますからね
経験してても意識しない内は知ったことにならない
知ったことは出来るという訳で
アメリカではキャンというな
利口な犬のことですかい?
いやいや 英語で can だ
さすが御隠居 学が深い
ところで
店賃がこの三月
(みつき)滞っているのは御存知かな
いいえ 知らないことは出来ないっと……
困ったお人だ

 こういう書き方をすると作者に対して失礼かもしれませんが、ホッとしています。もちろん落語仕掛けで読みやすいからなんですが、オチがうまくて、思わず笑ってしまって、いいなあと思いました。人間の存在や生死の問題を扱うのも大事な詩の役割ですけど、こういう作品もあって良いと思います。しかも、ただ笑わせるだけでなくて「経験してても意識しない内は知ったことにならない」なんてフレーズは非常に哲学的ですし、教えられます。『火皿』は100号。100号の継続には松井さんのような作品もちゃんと受け入れるという懐の深さがあったからではないかと想像しています。他の詩誌でもこういう作品をもっと読みたいものですね。



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