きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.7.2(
)

 日本ペンクラブの電子メディア委員会に行ってきました。5月から兜町の新館がオープンしていたんですが、私は委員会を5月、6月と欠席したので、今回が初めての訪問になりました。1階から2階、3階、4階そして屋上とすべて見てきました。楕円形の建物ですから安堵感があります。3階、4階の半分のスペースを吹抜けにして大会議室になっていました。ちょっと声が反響しやすいという点はありますけど、広々として開放感があります。定員30名ほどでしょうか。理事会にはちょっと狭いかもしれないけど、通常の委員会では充分な広さです。2階の事務室の隣には7〜8名が入れる応接室、4階にはこれも7〜8名ほどの小会議室があります。
 会費で建てられた新館ですから、会員の皆さんは機会があったら行ってみるといいでしょう。でもセキュリティーはしっかりしていて、インターホンで訪問の趣旨を言わないとドアを開けてもらえません。予め電話しておいて、できれば会員証も持参した方が良いと思います。
 肝心の委員会ですが、電子文藝館の些細な問題点の解決法のほか、E-メールの使える会員にアンケートをやろうかということが話合われました。過去2回アンケートを実施していますけど、時代は大きく変わってきていますし、文藝館が開設してからは初めてになりますから私は賛成しました。詳細はこれから詰めることになります。インターネットと表現者の立場などを聞いていくことになるでしょう。この冬には実施できるかな? その節はぜひ建設的なご意見をお寄せください。



平野裕子氏詩集『南京豆』
nankin mame
2002.7.1 大阪府北区 編集工房ノア刊
2000円+税 

 南京豆

引き揚げが間近になると
あちこちから集まってきて
共同生活を始めていた頃

八路軍がやってきて
女の人だけが連れていかれるという
噂で持ちきりだった

食事が済みストーブを囲んでいた時
隣まで恐怖の足音がして
みんなは急いで押入に隠れたが
私はその場に立っていた

やがて八路軍がどやどやと
軍靴のまま上がってきて
あっちこっちの押入を開けていたが
息をつめて隠れている
ストーブのそばの押入だけは開けず
鏡台の引き出しの
貴金属を見つけ持ち去ったらしい

私はおかっぱ頭で立ちすくみ
どんな顔で見上げていたのか
若い軍人はふとわらいかけ
茶色い紙袋の南京豆を
袋ごと私に手渡して出ていった

あの袋の中に入っていたのは何だったのだろう
凍てついた氷のなかから掘り出される
人のこころの温もりか
緊張の後の香ばしい兵士の香りが
今も立ちこめている

 詩集のタイトルにもなっている作品です。敗戦前後の旧満州の緊迫した状況が描かれていて、私などには想像もつきません。著者はこのときには5歳か6歳だったようですが、どんな思いで八路軍と向き合ったかと考えると胸が締めつけられる気がします。
 八路軍とは日中戦争時の中国共産党軍で、後の人民解放軍です。いわばレジスタンス軍と言っても良いでしょうから「若い軍人はふとわらいかけ」というのは判るように思います。その「人のこころの温もり」が「今も立ちこめている」と言うのですから、たとえ「貴金属を見つけ持ち去ったらし」くとも喜びはひとしおだったろうと想像できます。亡くなった父上、母上のことを書いた作品も含めて歴史の貴重な記録でもある詩集と思いました。



隔月刊詩と評論誌『漉林』108号
rokurin 108
2002.8.1 東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏発行  800円+税

 道草/池澤秀和

盛り場の交差点
信号を待つ人と 人待ち顔の人でいっぱい
週日だというのに どこから集まってくるのだろう

誰を待つでもないが そこに立ち止まり
熱気のようなものを 呼吸しながら
道路を挟んだ 反対側のビルをみる
昔ながらの 大時計の下も大勢の人

しばらく そのままでいると
避けながら 擦り抜けながら行く人に
押されたり戻されたり ひとところに立つ難しさ
連れだって歩く人達に 肩を押され
飾りつけられ 彩られた建物に沿って すすんでいく

個々の 内包するものは見えないが
眼差しも一様ではないが
角を曲がる人 デパートへ入る人
一瞬のうちに 姿をかくす

回り道や寄り道に 教えられ支えられて 今日まできたが
視線を落とせば 街路樹の下
光を目指し 背伸びする呼吸がある
雑草と呼び 本当の名は知らないが
焔の彩りをして
季節を知り 刻を持たない息吹がある

 「回り道や寄り道に 教えられ支えられて 今日まできたが」というフレーズにドキリとさせられました。まさに「道草」だったのでしょうね、私の半生は。でも作者は「光を目指し 背伸びする呼吸がある」「季節を知り 刻を持たない息吹がある」と雑草にあたたかい眼を向けてくれています。この作品に登場する大勢の人たちに対する視線も含めて、前向きに「道草」をとらえています。ドキリとさせられましたけど、結局のところは救われた思いのする作品ですね。



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