きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.12(金)
異動で私のところに来てくれた男を歓迎する会を行いました。うちのグループには若い女性が2名いるんですけど、彼女らは欠席。男も数人欠席して、結局、むさい男ばかり10人ほど集りました。女性がいると男共は少しおとなしくなるんですが、今回は男ばかりということだったせいか、うるさい、うるさい。挙句の果てには喧嘩まで始めて、コップは割ってしまうわ、店の人は飛んで来るわで大変でした。最近、みんなおとなしい人ばかりですから、ずいぶん久しぶりに見た光景だなと感動しましたよ^_^;
まあ、実際はそうのんびりしたものではなくて、暴力的になった男を抑えて、気が静まるまで隣に座って、酔いも覚めちゃいましたね。そのまま帰ったんじゃ後味が悪くなるだろうと思って二次会を設定して連れ出しましたけど、まあ、良かったかな。少しは気が晴れたようでした。
暴力は良くないけど、たまには喧嘩も必要だろうと思っています。でも、酒の席ではやらないように私はしています。素面でやる、それをモットーにしていますけど、最後に喧嘩したのは何年前かな。もう5年ぐらい経つかもしれません。相手の先輩は2年ほど前に定年で会社を去り、それ以来、気に入らないヤツはずいぶん減った^_^; でも、まだ何人かいるなあ。身体、鍛えておこう^_^;;;
○新・日本現代詩文庫5『三田洋詩集』 |
2002.6.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
世紀の食事
いなかに夕暮れがきて
奥座敷に裸電球がともされる
飯をくうかとちちがいっている
むすこはかしこまっている
とおい柱時計をくぐってお膳がはこばれる
どこともしれずけむりがたちのぼり
ちちは飯盆のふたをとっている
ははは残飯をたべている
むすこは芋粥をすすっている
まごはブラウン管にむかってハンバーガーをほお
ばっている
きょうも敵の襲撃で戦友がよけい仆れてのうとち
ちがいう
こないだ空襲があってなあそちらはだいじようぶ
かのうとははがいう
鴨居のうえにもそらはひろがっている
こちらは焼け跡ばかりで進駐軍が女をつれてある
きよるとむすこはいう
新幹線はこんでたよとまごは口をとがらせる
テレビジョンをけしなさいとむすこはいう
べつにとまごはいう
さらによるはふけていき
奥座敷に霧たちこめ
家族の影はその濃さをましていく
いつのまにかみんな裸形で
しだいに声をあらげはじめる
塹壕から戦友が呼んじょるのがきこえんのか食べ
るもんがのうなったらどねえするんや買ってくれ
はやくゼニくれよ
おおごえをだすがとどかない
分けた血はどこからどこへながれていくのか
かおをそむけあったり
だまりこんだりして
世紀はしきりにふけていく
1970年の第一詩集『青の断片』から始まって、1975年『回漕船』(第4回壺井繁治賞)、1992年『一行の宵』までは抜粋された作品が載せられ、1996年の第四詩集『グールドの朝』は全編が収められています。その他にエッセイが4編あり、紹介した作品は第三詩集『一行の宵』に載せられていたものです。第一詩集の「国立科学博物館」「じぶんの顔」、第二詩集の「回漕船」、同じく第三詩集の「ふたり」「食餌」なども紹介したい作品ですが割愛せざるを得ません。
三田さんの持論は抒情詩の復権≠ナすが、それが「世紀の食事」に良く表出していると思います。しかも抒情性とともに時代がカチッと設定されていて、まさに日本の20世紀100年を食事の場を通して見せてくれています。小野十三郎の言う短歌的抒情≠ナはない、新しい形の抒情詩と言っても良いでしょう。すでに10年も前にこんな作品を発表していたのかと思うと驚きです。
コンパクトにまとめられていて、三田洋研究には欠かせない一冊と思います。
○池澤秀和氏詩集『秒針』 漉林叢書17 |
2002.7.15 東京都足立区 漉林書房・田川紀久雄氏発行 1500円+税 |
一心と一針
みんなで決めたことなら
力を合わすことができる
こころを ひとつに----という声もする
どこかで聞いた言葉だ
こころは ひとつにならないはず
この国を変える という男がいる
一億人近い瞳を集めて拳を振り上げる
どこかで見た光景だ
一億と一心を結び付けてがんじがらめに 行動を強制したのは
今から五十六年前までのこと
一心と言う字が嫌なので集中力に置き換えてみる
表皮が包含する 柔軟なところが抜けている様で気にいらない
一心二葉という言葉もある
一つの季節を突き抜けて芽吹く若葉の呼称だが
若々しい息吹を一針二葉と書いてみる
一針は一心の誤字だが
言葉の奥には闇があるという
瞳の奥を刺し 見通すいのちのためなら
ぎらぎら照りつける陽光にも耐えられる 筈だったが……
いつの間にか
刻の体温に暖められ
脈拍のなかに溶けこんでいるものが
十三歳の夏 敗戦の焦土で
蚤やしらみにも 飢えにも耐えたのだが
熱帯夜だからと
冷房のスイッチをおしている
作品の中にあるように「十三歳の夏 敗戦の焦土」を経験なさっているようです。ですから「この国を変える という男がいる」に敏感で、「どこかで見た光景だ」と忠告しているのかもしれません。後輩の私らは傾聴しなければならない言葉だと思います。
作品としては最終連が秀逸だと思います。特に最後の2行は、ある意味では作者の弱音をさらけ出してくれていて、ホッとしますね。こういう言葉があるから、作品全体にさらに重みが加わるのではないでしょうか。
○季刊個人詩誌『天山牧歌』55号 |
2002.4.15 福岡県北九州市 秋吉久紀夫氏発行 非売品 |
ケトマン/秋吉久紀夫
ながい年月、シルクロードの文献を紐解いていたわたしだが、
なんとも解(げ)せない一つのことばにいつも絡みつかれていた。
それは「ケトマン」という独特の農業用具のことである。
ところが、そいつがとうとうわたしの前にいとも容易に躍り出たのだ、
アフガニスタン国境に近いカシュガルの職人街のまっただなかで。
そいつはタクラマカン砂漠のオアシスの農民たちが、
汗水流してサンサンと光り輝く無垢の太陽の下で、
黙々と絶対神のアラーを祈りながら耕作する鍬の一種だった。
鍬とは言っても日本語の鍬のように平べったく斜めに傾斜してもない、
まただからと言って唐鍬みたいに刃幅の狭い代物でもさらさらない。
言うならば、刃が分厚い楕円形の西域特有の鍬とでも言おうか。
まるで天蓋をすぽっと脱いだ青空市場の敷石の路上に、
赤々と真っ紅に焼けた炭火の大きな七輪を据えた鍛冶屋の前で、
そいつは頭つるつるの老人と斑髭(まだらひげ)を生やした男の二人に叩かれていた。
これでもか、やいこれでもかと鎚音カンカンと周りをどよめかせていた。
なるほど、これほどの力と魂とを必死に込められれば、
ただ溶鉱炉から銑鉄を型に流したわたしたちの鍬とは異なり、
さしものなまくらとても全身火だるまとならざるを得ないはず。
わたしには読めて来た。かれらが古代から営々と幾世代にもわたって、
個れ果てた砂漠の下に潜り込み、命の泉のカレーズを掘鑿し続けるのが。
わたしには読めて来た。これを手にしたこの地の農民たちが、
眩いばかりの知恵の光に照らされて白鳥の群がり飛ぶ大空の下で、
疲れを忘れて終日、いっしん不乱に大地に不滅の記録を刻むのが。
この卑小とも言うべき人間どものひたむきな生き方に、いかなる神とて、
手を差し伸べずにはいられまい、眼を注がずにはいられまい。
この詩誌は中国の少数民族・ウイグル族などの作品を翻訳、紹介していることに特徴があります。今号も古くは1938年頃から、最近では1981年頃までの10編が載せられていました。それらの作品の中にも「ケトマン」は出てきます。その「ケトマン」に対する秋吉さんの思いが素直に伝わってきて、この作品を紹介したくなった次第です。
我が家の裏に80坪ほどの小さな畑があって、物置小屋には一応、鍬も置いてあります。家内のおばあさんが楽しみで作っている畑ですから、私はほとんど手を出さず、実際に鍬を使ったことはまったくありません。その乏しい知識からしても「ケトマン」とは随分ズングリしたもののようですね。それを「わたしには読めて来た。」と語り、「この卑小とも言うべき人間どものひたむきな生き方に、いかなる神とて、/手を差し伸べずにはいられまい、眼を注がずにはいられまい。」と書く秋吉さんに敬服します。中国語や少数民族の言葉を研究するということは、文化を含めた人間を研究することに他ならないのだと改めて気付かされた次第です。「ケトマン」という小さな農機具に至るまで知り尽くそうとする研究者の熱意にも敬服する次第です。
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