きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.15(月)
午後から会社のプロジェクトチームの会議があって、その後は懇親会になりました。10人ほどの参加でしたが、よく呑んだなあ。部長の経費から出ていますから、みんな遠慮なく、もちろん私も遠慮せずに呑ませていただきました^_^;
会社の附属施設ですが、まあ、まともな酒を揃えています。今回は部長の好みということでワインが主になりました。フランスのシャトー・なんとかというワイン。名前は忘れました。結構、いい味でしたよ。3500円ということですから、まあまあかな? それを4本も呑んじゃって、ゴメンナサイですね。でも、あとで聞いた話では、施設が揃えている中では中級だそうです。一番高いのは1本1万円を越えているとのこと。失敗したなあ。次は絶対にそれ呑もう!
○吉野令子氏著『風の捨て子』 |
1986.11.21
東京都中央区 日本随筆家協会刊 1600円 |
「螻(KERA)の会」という何の束縛もない気楽な集りがあって、そこで最近ご一緒している著者よりいただきました。著者の作品には触れたことがなく、読み始めて純文学だと判りましたから夢中で読みました。私も一時、小説の同人誌にいたことがあり、30〜100枚程度の小説らしきものも数編書いていましたから、その面からの興味もあったわけです。この本は1986年刊行ですが、ちょうどその頃、私も書いていた時期と重なります。
いずれも、確信はありませんが自伝をなぞっているのではないかと思われる4編の小説で構成されています。1編目は、16歳で孤児院を出て美容師見習として働く「彼女」と、短大を出て銀行で働いていた21歳の美弥子が、銀行を辞めて同じ美容師見習として倉庫のような部屋で一緒に暮す
<風の捨て子>
。ここには「だいじなものは家々の奥まったところにしまいこまれた気配で、静まりかえっている。」、「空は、大地を逆さにしてもそうちがわない、気が遠くなるような濃い闇が広がっている。」などの、詩として使いたい言葉が散りばめられています。
2編目は、孤児院を出て美容師見習として働く「ウブ」が、孤児院時代の5歳も年上の「シマオ」との小学生時代を回想する「天の魚」。幻の鯉を求める「シマオ」に対して、夢で見た夜更けの「金色の尾鰭」を夢と言わずに知らせ、突然の洪水に溺れさせてしまったトラウマが描かれています。
3編目は、両親に祖母の家に置き去りにされた「奈津」を主人公とした
<顕夢>
。祖母と一緒に住んでいる伯父は、戦争で片足を無くし放蕩三昧の末に交通事故で死んでしまいます。「奈津」を可愛がってくれた伯父がある日、飼っていた「おんどり」に向けた狂気。人間の深い哀しみを「奈津」の眼を通して考えさせられます。
最後は、戦争末期に疎開してきた母子3人のうち31歳で知恵遅れの「とし子」と、幼稚園に通う「尚子」との交流を描いた
<友よ> 。「とし子」の弟の「勝男」の、無縁墓に埋められた母と「とし子」の骨を持ち出して失踪する生き様が胸を打ちます。
いずれも、深い人間の孤独を描いていて、私がヤワな文章を書いていた同じ時期、こうも硬質な完成度の高い作品を書いていたのかと、改めて驚きました。情景描写で心理を描くというのが基本ですが、それはもちろんきちんと成されていて、その上に心理の深化があって、それが新に情景を創っていく、そんな文体と言えるでしょう。読み出したらなかなか止められない本でした。
○吉野令子氏著 『愛、風を捕らえるように』 |
1995.4.26 東京都新宿区 あすなろ社刊 2300円 |
こちらは1989〜1995年に初出された短編3編と掌編3編が収められています。表題作の「愛、風を捕らえるように」は商事会社のニューヨーク支店に出向しているN・Rという30歳の男が主人公。従姉妹にあてた50枚ほどの手紙という体裁をとっています。自分だけ、自分の家族だけ、自分のコミュニティーだけが幸せならそれが幸せだという、中流意識の中に潜む罠を描いた作品と言えましょう。そんな単純な言葉では表現しきれませんが、それをひとつのテーマとしてとらえました。
短編「別れる日」は海辺の町にナナハンでやってきた20歳の「アキオ」が、ひとり暮しの35歳の「奥津敏江」と同棲するが、殺人事件の犯人と間違えられそうになって去っていく話。妊娠8ヶ月の「敏江」は、「アキオ」に自首するか逃亡するかの選択を迫る。そこに匿う≠ニいう発想がないことに愕然とするというもの。「捉えどころのない打ち方で」鳴る柱時計が効果的に使われていて、心理描写のうまい作品だと思います。
同じく短編の「文鳥」は親子3人の意識がピタリと合って買ってしまった文鳥の死をめぐる作品です。文鳥の死を認めた朝の1時間ほどの、夫婦の心理が見事に描かれた作品です。幼稚園に通う子が明るく階段を降りてきたところで終わっていて、読者をいつもでも離さない余韻があります。
3編の掌編、「『哀しい夢』沢崎みおりの作文」「傷痕」「朱理の夜」の中では、「朱理の夜」が秀逸だと思います。両親を交通事故で亡くした大学生と高校生の姉妹が、自宅マンションのそばの公園に寝起きするホームレスに心を痛め、遺産を役立てたいと相談するものですが、前出の「愛、風を捕らえるように」と同じ思想を感じます。
この本は『風の捨て子』より硬質な部分は取れてしまっていますが、その分、人間の心理の深いところをより探っているように思いました。おおよそ10年の著者の蓄積の賜だと思います。文学作品として着実に進化・深化しているのを感じさせられます。私も一度お会いしたことのある文芸評論家・金子昌夫氏は『海燕』1993.7月号で表題作について小説の面白さがある≠ニ評したようですが、まさにその通りだと思いました。
○吉野令子氏詩集『秋分線 retornello』 |
1995.8.15 東京都新宿区 思潮社刊 2800円 |
冬の旅人
ばすを降りると
そこは砂丘だった
おもわず身震いをした
冷たい風が吹きつけてきて
首を廻したが 何遍も廻したが
何も見えない ぼおっとした頭で
爪先立ちしたがもちろん無駄で 犬一匹いない
じつは無銭で降ろされたのだ
手鏡の中でおもいきり泣いた顔面をしている
いいのだろうかこんな
金銭で紙片より軽くとまあまあ恨み言をしきり
いやはやとんだことになった……
陽が翳る
あわてて地図を取り出したけれどしーずん外れで
道なんてものはないのだった
とは言えこんな処にいつまでもいると
(死ぬ)きっとと かすかな夏の
態をなさない筋を歩きはじめることにしたのだ
これ天涯ひとりの足取りかと のろのろのろのろ歩む
そのうちに廃車の捨て場があったけれども 種々満杯だった
ぼんねっとのみ残しうるわしく 風紋に埋もれようとしていた
もう筋はぷっつりと切れていた 下方で暗い谷が口をあけていた
筋が途切れたあとのことは まるきり目算がなかった
たんに地形まかせにずるずる傾斜を下っていったのだ
被さってくる砂が ざあざあ ごつごつ目に入った
----「ああなんてことだ 痛い 痛い」と呟き
いまさらの愚痴 金銭のと
ほんとうに砂が重い そしてますます底ヘ沈んでゆく……
そのときだった 風にのってばすの乗客の声が甲高く響いてきた 「こころが
けがわるいから」と……
(そのうちに頭上で星が流れ風がぴたりと止んだ
ああ わたしはこれで死ぬのだろうかと ……)
良い詩人は良い文章を書く、ましてや小説をや。自分のことはさて置いて、これは持論です。ここまで吉野さんの小説を読んできて、詩人の素質を感じていました。最初にお会いしたのが詩人の集りでしたから、詩も書いているのだろうとは思っていましたが、こうして詩集を拝見すると、私の勘は当っていたなとひとりほくそ笑んでいます。
安部公房の「砂の女」を連想しました。場面の設定は違いますが底に同質のものを感じます。「燃えつきた地図」も加わるかもしれません。それにしても「こころがけがわるい」のは人間の常。それに乗じる気はないけど、逃れられないのも業というものでしょう。「金銭で紙片より軽く」扱われるのも世の常。「恨み言をしきり」になるばかりですけど、吉野さんの小説と詩を読むと、いっちょ悪態でもついてやるか、という気になるから不思議です。もちろん著者はそんなことを一言も言ってません。そういうパワーが醸し出されてしまうのです。
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