きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.7.17(
)

 アクセスカウンターが20,000を超えていました。開設して3年半かかって、やっと20,000と言うか、もう20,000と言うか、判断はつきません。おそらくこの手のHPとしては、まあまあという数なんでしょうね。年平均5,700ちょっと、日平均15ちょっと。毎日見てくれている人も何人かはいらっしゃるようで、一週間も更新しないとお叱りのメールが来ます^_^;
 日本ペンクラブでご指導いただいている作家・秦恒平さんのHPには「闇に言い置く」という副題が付いています。HP開設者としては、まさにそういう気持です。CRTの向うの闇に戯言を言い捨てる、雑誌に作品を書くのとはちょっと違う感覚です。少なくとも雑誌には編集者がいて、その人の目を通って作品は世に出ていきます。しかしHPにはそれがありません。それを「闇」と秦さんは表現しているのだと思います。だが、闇の向うには何人かの知った顔があります。その何人かに向って言葉を発している、日々その繰り返しと申せましょう。これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。



中山直子氏詩集『トゥルベッコイの庭』
tourubekkoi no niwa
2002.6.6 宮崎県東諸郡高岡町 本多企画刊 2500円+税

 探し物

自由が丘の駅で 開いた紅ばらを一束買い
走って世田谷の両親の家に行った
母が下の入歯をなくしたという
往診のお医者様が「少し面変りされた……」
とおっしゃってわかったとか
サイド・テーブル 抽斗 鏡台 タオル入れ
「いつから無かったの」「大分前からよ」
私になつかない美しい猫が
チラとこちらを見て 別の部屋に逃げる
身体を洗ったことを余程怒っているのだ

ベッドの下 ベッドの上 あったあった
ほら 枕と蒲団のちよっとした死角に!
「ああ よかった 私は もう
 一晩中寝ないで 入歯を見張っていよう!」
母の言葉に父が大笑いをする
ようやく落着いて 母はいつもの話を始める
母の故郷の家には 軒に這い上る程の
大きなばらの木があり 六月には
八重の赤い花が房になって咲く それを
植えた祖母は 母九歳の夏にみまかった
「ある壮大なものが 徐
(しず)かに傾」(註)くその前に
例えば一九三六年頃からの詩誌「四季」
を読めば 次第に強まっていく軍靴の音
硝煙の臭いを 人は想像できるだろう
心とは何か 国家とは何か
みどり児を胸に 母は出征する父を送った
駐屯地の高い塀に沿って二人は黙って歩いた

そして多くの国民は 入歯を作る年を迎える
ことなく死んでいった
今また何かが傾き始めているようなこの時
私達が探すべきもの
夜を徹して見張るべきものは 何か
母のような若妻が 子を抱いて 呆然と
高い塀の中に去る夫を見る日が来ないために

  (註)伊東静雄「夏の終」(詩集『春のいそぎ』所収)参照

 巻頭の作品です。「私達が探すべきもの/夜を徹して見張るべきもの」を「入歯」と「軍靴の音/硝煙の臭い」に重ね合わせた佳作だと思います。「母」と「詩誌『四季』」に重ねているのも詩人らしい発想で、好感が持てます。「一九三六年頃」から70年近く経った現在、詩人の怖れが現実にならないことを願うばかりです。
 小道具の使い方もうまいと思いました。「私になつかない美しい猫が」「身体を洗ったことを余程怒っている」様子は、笑いさえ誘いますね。そして、その笑いの後に70年前が提示されて、ふと顔が固まります。構成の妙とも言えましょうか、考えさせられる作品だと思いました。



詩誌『現代詩神戸』200号
gendaishi kobe 200
2002.6.25 神戸市東灘区 和田英子氏発行
非売品 

 ダム・カプセル/永井ますみ

谷底の家の暗い土間
上がりがまちに腰かけて扇子を使っている男たち
今ふうに立て替えるも良し
子の学資の足しにもなるぞ
こんな谷底の暮らしから這いあがらんか
聞き耳を立てる私は
大人の話だからと外に出された
地面に釘で絵を猫いて遊んだ

雪溶けの水が流れ込み
水が満ち 小道が潤み
家の土台が浸され
木が溺れる
そうして水面下に密閉された私たちの故郷

葉子と通った土橋
一緒に拾ったドングリの実
不意に隠れて慌てさせた木戸の陰
手を取って駈け上がった山の中腹あたり
大きな桐の樹があった
春には薄紫の花が揺れて
夏には大きな影を作った

干天の夏 ダム湖を訪れる
水量の滅じた湖底には
うっすら泥土に被膜された小道が現れ
土橋が現れる
ドングリの木が裸の腕を振り上げたまま突っ立ち
その斜面
かろうじて生き残った桐の木が
ひとまわり大きく枝を広げている

下流の潤される筈の田は
既に人の住みかとなり
河は行方にさまよっている

 おそらく実話だと想像するのですが、子供の頃に暮した村が「カプセル」として残っている様子に暗澹としたものを感じます。造られたダムが「下流の潤される筈の田」に役立っているのならまだしも、「既に人の住みかとな」っているのでは、何のために村を提供したのか判らないという憤りもあるのでしょう。まさに「河は行方にさまよっている」状態です。
 失職した元長野県知事・田中康夫氏は、言い方や行動に問題があったとしても、基本のところでは間違っていなかったのではないかと思います。この作品を読んで、特にそう思います。先日、実家に帰ったら近くで圃場整備の工事が始まっていました。唖然としましたね。減産政策の一方での圃場整備。どう理屈がつくのか見(み)物です。
 それにしても「ダム・カプセル」という言葉はいい。役に立たなかった見本として後世に残せば良かろうと思ってしまいます。憤りを抑えた作風にも好感を持ちました。



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