きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.20(土)
シャンソン歌手・金丸麻子さんに誘われて、銀座「マ・ヴィ」のジョイントライブに行ってきました。森小夜子さんという方とのライブで、場所も雰囲気がありましたね。今回はピアノとともにギターも加わって、ちょっと豪華なコンサートでした。
華やかなデュエット |
左:金丸麻子さん、右:森小夜子さん |
観客は30人弱ほどでしたかね、ちょうどいい感じでした。ステージの最後の頃に、星座を盛り込んだ歌があって、自分の星座のとき観客は手を挙げるという楽しい趣向があったんですけど、これは×。オレの星座が出てこないじゃないか! あとで金丸さんが謝りに来ましたけど、何かひとつ忘れていたなと思ったそうです。まあ、楽しいライブだったんで許しちゃいましたけど。ちなみに獅子座です。
前座としてお店の若い男が自作を披露してくれましたが、これも良かったです。タジマ君って言ったかな? ひとり暮しを歌った「真夜中の部屋掃除」がおもしろかったですね。男のひとり暮しは私も長い経験がありますから、妙に好感を持ってしまいました。
たっぷり2時間。休日の夜を過ごすには最高の時間です。来週の土曜日も西麻布でライブがあるので、それも観に行くことを約束しました。このあと一週間、ライブを楽しみに働けそうです。
○2002年版『広島県詩集』23集 |
2002.6.15
広島市中区 広島県詩人協会発行 2500円 |
わが標準語/松尾静明
花
明日(あした)んために 色(いろ)を取っとく
というこたぁせんので
明日んために 今日はちよっとだけ咲く
というこたぁせんので
みてたら(無くなったら) どうしょうか
そがぁなこたぁ 考えん
花いうもんはのう
いっつも 全部でぇ
全部じゃけえ 花 言うんよ
半分や 三分の二 ということはなぁ
1959年に設立された広島県詩人協会の、ほぼ隔年でのアンソロジーです。長い歴史と持続性にまず敬意を表したいと思います。
紹介した作品は昨年刊行された同名の詩集の中の詩だと思います。本の整理が悪く、現物で確認できませんが記憶に残っている作品です。方言で書かれた作品は、どうしてこうも説得力があるのかと思いますね。「みてたら」はさすがにルビがないと意味不明ですけど、それ以外はよく判ります。話しているのはお年よりという設定なのでしょうか、人生訓のようにも受け止められて、その魅力もある作品だと思いました。
○2002『中四国詩集』1集 |
2002.6.30 岡山県浅口郡鴨方町 中四国詩人会発行 1500円 |
白い鴉/長津功三良
いちばんうえのあにきゃのや ピカにおぁてもお
らんのに げんばくびょうで しによったんや
いわくにのぐんじゅこうじょうに つとめちょて
なんもしらんとからに すぐ
きゅうえんに いかされよったけぇね
投下されたのは新型爆弾で 熱線と 爆風や火
災などでやられたが 他にガンマ線と
中性子が 爆発点付近から 大量に放射噴出
中性子は ウランやプルトニュウムの原子核が
分裂する時に発生する
初期放射能は 物質への透過が非常に強力で
人体内部にも 深く浸透して 組織を破壊する
ひろしまが やられたちゅうて めいれいでいか
されち そのこらぁみんななんもしりゃあせんけ
いっしょうけんめぇ きゅえんかつどうしたげな
爆心地における放射能数値(単位ラド)
広島 ガンマ線一○三○○ 中性子一四一○○
長崎 ガンマ線二五一○○ 中性子 三九○○
広島が 残留放射能が強く
長崎は 直射の影響が強い
人体の全身が受ける放射能の許容量は
一年間に 約○・五ラド と考えられている
かえっち しばらくしたら からだにちからが
のうなってしもうち あつい あつい ちゅうて
くるしんでの のたうちまわっちょったいゃ
そのこらぁ わしゃあこどもじゃったろう
まいにち あいたにへ こおりをかいにやらされ
ての いえのもんも できるだけのこたぁ
しちゃったんじゃが なんぼぉ こおりで
ひやしちゃっても あつい あつい ちゅうて
くるしんだり めもあてられんかったい
大火災は 火事嵐を伴う
広島では 爆心地から 北西方面に
広範囲に 長時間 降った
すさまじい火の海で発生した大量の塵を含んだ
油っぽい 粘り気のある 黒い雨 であった
きいたはなしじゃが ひとときはひどいあめ
じゃったげな まなつで やけどで のどがかわ
いちしようがないけぇ のもうとおもったら
みずたまりに あぶらみたいなもんが
ういとったんじゃと そんでも みんな
ほしゅうて しょうがないけぇ のんだんじゃと
黒い雨 には
ウラン またはプルトニュウムの 核分裂で
出来た放射性元素が濃縮(死の灰)されている
ひとらは この雨に 打たれ
溶け込んだ 水槽や 川の水を 飲んだ
きゅうえんにいっち そこいらじゅう
みんな みるも むざん じゃったと
でも あにきゃ なんにもしらんと
あのこらぁ だれも そんなことしりゃぁせんが
めいれいのまんま ひろしまヘ いっち
じぶんも むざんなもんや わこぅて
おんなも しらんとからに
しんじ しもぉた
広島は
内海を抱え
夏は 夕凪があり
風の止まった 暑い日が続く
空は あくまでも 碧蒼(あお)く 深い
そんな日の 黄昏れ時
旧産業奨励館(ゲンバクドーム)のあたり
うすい かすれた かげの
しろい からすの
むれ とぶのが
みられる
ちょっと長い作品ですが全行を引用しました。広島や長崎の記録は、風化させることなく記憶されるべきだと思っています。平仮名の連と漢字仮名交りの連との効果も大きいと思います。「白い鴉」という喩はなかなか難しいのですが、放射線による変異なのか、傷痍軍人の白衣の象徴なのか、「黒い雨」に対する空想の対比なのか、そんなところだろうかと考えています。
ここでも方言は効果を上げていると言えるでしょう。広島弁でなければ表現し得ない作品と思います。長く語り継がれる作品とも思いました。
○遠藤恒吉氏詩集『十月の痰壺』 |
2002.5.1
茨城県筑波郡伊那町 国鉄詩人連盟発行 1500円 |
慣れる
---帰還兵の話---
便衣隊は
農夫を装って
家族と一緒に住み
うしろから
いきなり撃ちかかる
あとくされのないよう
皆殺しにして
火を付ける
赤ん坊は刺さない
軽いので
銃剣が抜けなくなるから
頭を押し潰す
戦友がやられたとき
なんでもできるようになった
どんなことでも
慣れてしまえば
あとがきによると1941年10月に教育召集令状が来て、電信隊に入隊したそうです。戦争の異常を知ってもらうためにこの詩集を編んだ、とありました。「言葉の解説」という頁があり、便衣隊について「支那兵の一部にこう名付けられた兵がいた。捕えて殺すと家族がいるから大騒ぎになるので、家族ごと皆殺しにした」とあります。
赤ん坊さえ殺す、しかも「頭を押し潰」して殺すという異常さに胸を締め付けられます。それさえも「どんなことでも/慣れてしまえば」「なんでもできるようになった」と語る「帰還兵の話」に、戦争とは何であったのかと考えさせられます。そして、著者を始め私の父親も兵として同じようなことをしてきたのかと思うと、改めて有事立法への怒りがこみ上げて来た作品です。
○詩誌『蛙』2号 |
2002.7.20 東京都中野区 菊田守氏発行 200円 |
動物戯画
−アリとアリジゴク/菊田 守
昔の子供の遊びの本を読んでいると
田舎の子供の遊びに
「アリジゴクつり」というのがあったという
田舎は田んぼや麦畑があり
麦畑にはギンヤンマがとび
雑木林にはカブトムシやクワガタがいた頃のはなし
子供たちは
農家の床下にあるアリジゴクの巣の上に
糸に吊るしたアリをそっと下ろして
アリジゴクつりをしたという
いつも餌食になる可哀そうなアリを
わざわざ捕まえ糸に吊るし
吊り下げられたアリの
見えない冷や汗 聞こえない悲鳴と
吊りあげられたアリジゴクの
人目にさらされた
のっそりした相貌と不様な身なりと
目をつむるとみえてくる
夕闇のなかをとぶウスバカゲロウの
不確かな生と
生き長らえて
ウスバカゲロウの死体を運ぶ
黒光りしたアリの群れと
注・アリジゴクとは、トンボに似て、夏の夕方、薄暗闇をとぶウスバカゲロウの幼虫。すりばち状の穴を掘り、落ちてくる虫を捕えて食う。
ある意味では子供の残酷さを表出させた作品と言えるかもしれません。それと同時に自然界の厳しい生存競争を詩化した作品とも思います。アリを食べるアリジゴクと、ウスバカゲロウを食べるアリ。そこには勝者も敗者もないことを知らされます。さらにここでは、人間の子供を含めて自然≠ニ言っているようにも思います。小動物の詩人・菊田守さんの眼を通した自然は、このように写るのかと教えられた作品です。
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