きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.7.22(
)

 私の勤務する工場は4000人ほどの人が働いています。それが今日から一週間、半分になります。半数が夏休みに入ったからです。以前は4000人が一斉に夏休みをとっていたんですが、バブルの頃から今の態勢になりました。
 夏休みや冬休みというのは、当然のことながら製造設備は休止しています。その休止を狙って、普段ではできない工事をやります。バブル以前は、工事が集中しても工事業者が対応してくれたんですが、バブル期にはあちこちの会社で増産工事が行われ、工事業者も弊社だけ特別に対応してくれるという状態ではなくなりました。苦肉の策として、こちらが夏休みを分散して工事日程を確保するということになりました。
 ですから、一番ひどいときは3班に別れて夏休みをとったこともあります。さすがに今はそれはなくなりましたけど、半分ずつとるという状態は維持されているのです。
 で、半数が夏休みになった今日、ずいぶん人口密度が減ったなと思いましたね。社員食堂も喫茶室も、生協の売店もガラガラで、余裕をもって昼休みを過しました。普段は下手をすると座る席もないという状態なんです。思わず同僚に「この工場もこのくらいの人数が適切だなあ」と言ったら笑われてしまいました。笑われてもいいから、今週いっぱいは空いた昼休みを楽しみます。



月刊詩誌『柵』188号
saku 188
2002.7.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 曜日/中原道夫

今日は何曜日?
と聞かれたので
ゴミの回収日だから
水曜日と言った

実にリアルな覚え方ね
でも、侘しくない?
と言葉が返ってきた

年を取ったら毎日が休日だから
侘しいなどとは言っていられない
だいいち生きるということは
なんでもかんでも捨てることなのだから

そういえば
サラリーマンは
曜日を忘れないのはそのためだ

生きるために
自分を捨てるのと
生きるために
ゴミを捨てるのと
とどのつまりは似た者同士

公園で遊び惚ける
小さな子どもたちがいる
けれどあれは時間を捨てているのではない
与えられた自分の時間を
貪り食って生きているのだ
だから小さな子どもたちに曜日はない

隣の奥さんは
歯医者通いで曜日を覚えているという
お向かいの旦那は
血圧検査の通院で曜日を覚えているという

今日はゴミの回収日
だから水曜日であるのは間違いない

 私はまだ現役のサラリーマンですから「年を取ったら毎日が休日だから/侘しいなどとは言っていられない」という感覚はよく判りません(早く判りたいという気持は重々)。しかし、第5連はよく判りますね。やっぱりどこかで「生きるために/自分を捨てる」ことをやっている気がします。
 そして第6連、「与えられた自分の時間を/貪り食って生きているのだ」というフレーズはよく判ります。子供を見ていると本当にそう思います。
 最終連はやはりうまいな、と思います。きちんと前に返っていて、全体をキリリと締めていると言えましょう。詩の構成の勉強もさせてもらった作品でした。



詩誌『樹音』42号
jyune 42
2002.7.1 奈良県奈良市
樹音詩社・森ちふく氏発行 400円

 女寄峠/稗田睦子

国道166号線
宇陀郡と桜井市の分岐点
女寄峠
眼下に大和の国原が広がる

その昔
山の幸を売りに
重い荷車
男と女が押して行く
登りきったところで
女は
お役御免
ここからは男の仕事
残ったのは女ばかり
だからこの峠
「めよりとうげ」

さてここからの帰り道
嫁 姑 小姑
姉妹 友達
話の中身

車をとめてゆっくりと
そう思いつつ
いつもいつも
あッという間に
駆け抜けている

 特集「坂」ということですから、どんな作品が出てくるか興味津々でした。さすがに手馴れた書き手が多く、楽しまさせてもらいました。紹介した詩はそれらの秀作の中でも固有名詞をうまく使った作品だと思います。実際の地名なんでしょう。「女は/お役御免」というところに「その昔」の人達の知恵を感じます。そして「さてここからの帰り道」、おしゃべりしながら坂を降る女性たちの姿が浮かんで、微笑ましくなりますね。情景が眼に浮かぶようです。最終連で現在に戻っている点も成功していると言えるんじゃないでしょうか。無駄のない、のびのびとした作品だと思いました。



詩と批評誌POETICA32号
poetica 32
2002.7.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

 ボストン・カフェの夜/中島 登

はげしく雨が降っている
夜は細く長く
針金のように伸びて
曲がって縮んで
黄色い夜はふけていく

そんな夜は
文豪夫人の弾き語り
二○○○曲のレパートリーから
最初に選んだ「ルート66」

孤独な男女の集うところ
当たり外れの大きい
証券アナリスト
男嫌いのスタイリスト
小肥りで満面笑顔のジャズ・シンガー
出来損ないのジェイムズ・ディーン

ここは束京マンハッタン
いや23区詳細図をみればすぐわかる
ここはグリニッジ
六本木の村はずれ

急に大粒の雨が降ってきて
窓ガラスをヒステリツクにたたく夜は
駆け上がってきて湯気をあげ
ジャズで一服する男もいる

彼女はひとこと冗談をとばし
ピアノを叩きはじめるまえに
処女のようなやさしさをこめて言い残す
「太巻き頼むわよ!」

ピアノのキーはAマイナーで
闇をいっそう濃くぬりつぶす
雨はとうに止むことを忘れている
雌鹿が夜と戯れている
雌鹿よ
今夜は闇に溺れ溺れて酔うがいい

いずれ誰かが
悪夢の谷間にきみを誘うだろう

だがぼくはいま
抱くべき稲妻を持たない
ただぼくは文豪夫人と
黄色い夜を酌みかわしている

 ジャズが聞こえてきそうな、いや、ジャズをバックに朗読したくなるような作品ですね。バラードで朗読したら似合うかな?
 大人の詩だと思います。一夜の恋もありそうで、でも、それにのめり込む気もなくて、「ただぼくは文豪夫人と/黄色い夜を酌みかわしている」。若い人には判らないだろうな、この感じ。
 居酒屋でみんなとワイワイ呑むのも大好きですけど、ちょっと気のきいたクラブでバーボンでも呑む。そんなことも好きなんです。気の合った仲間と2〜3人で、普通の声量でとりとめもないことを話す。そんな時間を持ちたいものだと思わせる作品ですね。



詩誌『ぼん』36号
bon 36
2002.7.30 東京都葛飾区
池澤秀和氏発行  非売品

 薬味/池澤秀和

八百屋の店先 大葉と書かれているので
よく見ると紫蘇の葉
それほど大きくもない葉を 大葉と呼ぶのは
大柄の野菜に近い養分があるからだろうと
勝手な思い込みで 多用している

八百屋の店主は大葉なんてオーバーだよと
手渡しながらのジョーク
国語辞典に 紫蘇はあっても大葉はなく
電子辞書には両方収録されている

味を引き立てたり 引き出したり
風味もほどよく
複合の味覚が
こだわりの表情をみせて
大地の奥深い伝言を 体の芯へと広げていく

共生の味 薬味の濃淡を
目立たずに支えるので裏方と呼ばれ
今日も窓べで電話番の人もいて
人柄のにじむ 味のある声が受話器に語りかけている

近ごろ 大辛の味は好むが
辛口の話は 遠ざけられて
身振りや きつい色に魅かれるのか
含蓄があって 後味のいいものは嫌われる

持ち運びが便利で 効果の大きいものを
つくりつづけた 歴史もあって
お国柄や 土地柄ばかりか人間までも
変える薬味の かすかな匂いが 漂ってきて
ブレンドの質も ゆがんで ゆれている

 紫蘇は好きですし、大葉と呼ぶなんて知りませんでしたから、そんな興味で読み進めてきましたが、4連目でハッとしました。そういう風に見てくれている人もいるのか! そして第5連。見事な社会批評になっていると思います。「大辛の味は好むが/辛口の話は 遠ざけられて」、よくぞ言ってくれたと思いました。
 このテーマは散文では書けないでしょうね。紫蘇から社会批評へ、詩でなければ表現し得ない作品だと思います。そういう意味でも、詩として書かれなければならない作品だと思います。社会への見方とともに詩のあるべき姿も教えられました。



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