きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.7.24(
)

 昨夜のことでしたか、TVのニュースを見ていて唖然としました。総務省の片山大臣が、住基ネットに接続しない旨を宣言した福島県矢祭町について「以前にも市町村統合をしないことを宣言したりして、目立ちたいことが好きな町なんだな。あの町が参加しなくたってどうってことないよ」(村山意訳)と発言していました。えーっ!? と思いましたね。
 その後、矢祭町長の発言があって、市町村統合をしないのは「薄まった水を集めても濃くならない、より薄くなるだけ。住民サービスが低下する」とし、住基ネットについては「安全性が確認できない限り、町民に対して責任が持てない」(いずれも村山意訳)と言っていました。核心を突いた立派な発言だと思いました。特に「薄まった水…」は詩的な言葉で、これだけでもこの町長の見識の高さを知った思いです。
 それに対して片山大臣の何と下品な発言。目立ちたいからやるような話ではないでしょう! そんな宣言を出せば、国からの補助金も削減されかねないのに、それでも出すというギリギリの選択だったろうなと、私などは思いますけどね。
 それに、一番ムッとしたのは「あの町が参加しなくたってどうってことない」という発言です。どうということのない住基ネットなら止めちゃえ! 止めたいという自治体は多いんです。はっきりやりたくないと言っているのと、どちらかと言えば、を合わせると半数を越えるでしょう。それをゴリ押ししていることぐらい、当局も充分承知でしょうに…。
 住基ネットについては、日本ペンクラブ電子メディア委員会でご一緒している文芸評論家・加藤弘一さんが文字コード上でも問題があると発言しています。現在、4000億円をかけて開発した統一文字コードは、符号化されていない残存外字が多くて実用上問題だと指摘しています。さらに書体の開発を請け負った某出版社は、韓国のフォント会社に丸投げしたらしく、韓国風の書体になっているようです。いずれ書体も変更せざるを得ないだろうと報告しています。やれやれ。
 この問題は書き出すと一冊の本になっちゃいますから、これ以上は止めておきますが、最大の疑問はなぜこうも急ぐのか、なぜこんなにゴリ押しするのかという点です。当然、利権がからんでいることは想像できますが、それ以上に軍事的な背景もあるだろうとにらんでいます。もう少し調査するつもりです。



詩とエッセイ『焔』61号
honoho 61
2002.7.10 横浜市西区
福田正夫詩の会発行  1000円

 風船になって/森やすこ

春の小径を3人でスキップしていった
右の2人が親しく話し合う
左端のあたし、真ん中にしてもらった
れんげの小径、真ん中には蟻地獄の穴がぽっかり
落ちたのは、あたし
2人はスキップしながら行ってしまった

あたし、体に刺した櫛を抜いて崩れる穴から這い上がった
櫛の五段活用を考えながら。
2人の後姿が小さかった
あたしもスキップをして2人を追いかけた

レストランに着いた時、2人は食事を始めていた
開けて、開けて。
2人は三か月の横顔を見せて、食事を続けていた

あたし、2人が三か月なら晧晧と照る満月になろうと思った
気付くと、春の風船になって屋根の上から2人の横顔を見つめていた

 不思議な作品ですが、よく見ると怖いですね。「あたし」が「蟻地獄の穴」に落ちても「2人はスキップしながら行ってしま」う。そこで何かが起きるのかと思うと、何も起こらず「あたしもスキップをして2人を追いかけた」だけ。でも、「あたし、2人が三か月なら晧晧と照る満月になろうと/思った」のですから、これは決して二人を許しているわけではないと受け止められます。そして「春の風船になって屋根の上から2人の横顔/を見つめてい」るわけですから、「三か月」に対して優位性を保っていると考えられます。
 こういう見方は偏見なのかもしれませんが、女性同士の確執を感じます。小説の分野では多く書かれてきたことですけど、詩作品としてはあまり無いのではないでしょうか。私のヨミがまったくの的外れの可能性がありますけど、ヨミ通りだとすると、意外と書かれていない世界で、新鮮な印象を受けました。



福田美鈴氏文集
『父福田正夫「民衆」以後』
chichi fukuda masao
2002.4 横浜市西区 私家版 非売品

 福田正夫さんは、1950年の日本詩人クラブ創立当時の会員です。1951年に入会し、翌年に亡くなっています。著者の美鈴さんは、福田正夫さんの末娘になります。
 父上についてはこれまで多くの雑誌にお書きになり、私も数多く拝見してきましたが、この本によりそれらの文章がまとまった形となって、ずいぶん勉強させてもらいました。
 なかでも意外だったのは、明治43年に起きた逗子開成中学ボート部遭難事件を題材にした「七里ケ浜の哀歌」の作詞者が福田正夫さんだったということです。「真白き富士の嶺 緑の江の島/仰ぎ見るも 今は涙/帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に/捧げまつる 胸と心」という有名な歌ですけど、某女性の作ということで知れ渡っていたと思います。私もそのように記憶していました。
 しかし、事実は違うという主張をしています。その証拠も記録されていますが、何より、その女性は一度も自分の作であると主張していなかったようです。著作権の確立もなされていない時代でしょうから、おおらかと言えばおおらかな時代だったのでしょうね。今日では考えられないことです。
 それが娘の美鈴さんによって解明されていくことには意味があると思います。当時は当時として、現代の視点から検証する必要性はあるでしょう。そういう意味でも貴重な論だと思いました。
 私としては、福田正夫さんを巡る詩人たちにも興味津々でした。民衆詩派として詩史に名を残す『民衆』に集った詩人たちには、実は日本詩人クラブの創設会員が多くいます。詩人クラブ会員名簿の電子化を担当している私にとって、垂涎の情報が満載でした。さっそく物故会員の個人情報に加えさせてもらいました。そういう面でも貴重な資料でした。



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