きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.26(金)
私の担当している製品に使われている高分子原料の一部は、米国から輸入しています。相手の会社にしてみれば弊社の購入量は微々たるもののようで、なかなかこちらの言うことを聞いてくれません。相手にとっても購入量が少ない割にはうるさいことを言う会社、という印象があったのでしょうね。一度、担当者同士で話し合おうということになって、本日、その会議が持たれました。
会って話をして、本当に良かったと思いました。日本の代理店の人ですから、もちろん日本語でやりましたけど、意外な事実が判明しました。私は相手から出てくるデータにいつも不信感を持っていたのです。相手のデータを信用して大失敗をやったことがあり、それ以来、弊社内の専門の評価部門に依頼して、原料を実際に測定してもらってデータを取るようにしています。ところが今日の話では、相手のデータは計算値であるとのこと。思わず、えぇーっ!?
と叫んでしまいましたよ。
元になる実測値があって、そこから標準偏差を求めていくやり方ですから、理論的には間違っていません。しかしあくまでも計算値ですので、実際の値とズレが生じます。その僅かなズレが私の製品にとっては大問題だったわけです。そんなところに落し穴があったのかとがっかりするやら、原因が判ってホッとするやら、複雑な心境でした。
相手も最近、それが問題だと気付いたらしく、この半年ほどは実測をしているとのこと。もちろん今後も実測は続け、弊社保管の過去の試料も実測してくれるということで決着しました。相手としては弊社の試験結果が遅くて、それが不満だったようですが、弊社が実測をしていることで評価が遅れることを理解してくれました。その原因が実は相手にもあることも了解してくれ、当初、険悪だったムードも最終的にはなごやかなものになりました。メデタシ、メデタシ^_^;
それにしても、データを実測値と思い込んでいた自分が悔やまれます。もっと早く気付いていれば、あるいはもっと早く「どんな測定をやって出しているデータなんですか?」と電話ででも一言聞いていれば、弊社の評価部門に余分な負担をかけることもなく、製造部門にも負担を少なくできたし、相手の不信感を避けることもできたろうなと思います。何より私自身が無駄な仕事をしなくて済んだはずです。どうせ同じ頭を使うなら、そういうところに使うべきなんでしょうね。30年も会社で仕事をしてきて、今だにそんな無駄をしているのが嘆かわしい、と思った一日でした。
○日米両国語による詩集『ざるで水を運ぶ』 ジーン シャノン詩 横川秀夫氏訳 |
2002.7.10 東京都東村山市 東西南北出版会発行 2000円+税 |
FOR M,WHOSE NAME IS GOLD
I wanted to tell you
the colors of the alphabet
how purple dwells
in the kern of the Q
and N is the yellow
voltage of heat lightning
But morning broke
like glass around us
Planes took off
for South America
and swallows nested
in Illinois
I wrote letters I never mailed
ゴールドという名のMへ
私はアルファべットの色について
話したかった
Qの文字の飾りひげに
どのように紫が宿っているかについて
そしてNは心の稲妻の
黄色い電圧
けれど朝は私たちの
周りのガラスのように明け
南アメリカに向け
飛行機は離陸し
そしてツバメは
イリノイに巣篭る
私は投函しない手紙を書いた
作者のジーン シャノンは1936年バージニア州生れの米国人女性です。1963年より詩、小説、随筆を発表し始め、現在、出版社を経営しながら創作活動を続けているとのこと。
紹介した作品は「アルファべットの色」という着想がおもしろいなと思った詩です。かすかな記憶では、英米語圏ではアルファベットを色に例えるという風習?があったと思いますから、それを知っている人にはおもしろくも何ともないのかもしれません。仮にそうだとしても「Qの文字の飾りひげに/どのように紫が宿っているか」、「Nは心の稲妻の/黄色い電圧」などのフレーズは、新鮮な魅力を与えてくれました。
難しいのは最終連の「投函しない手紙」でしょうか。表面をなぞれば「ゴールドという名のMへ」「私は投函しない手紙を書いた」というだけのことですが、「私はアルファべットの色について/話したかった」のです。しかし「朝は私たちの/周りのガラスのように明け」て、「南アメリカに向け」あなたの乗った?「飛行機は離陸し」てしまったのです。失恋の詩と言ってしまえばそれまででしょうが、「アルファべットの色」を考えると、そう単純でもなさそうです。英米語圏の生活習慣をある程度知らないと解釈は難しいのかもしれません。でも、それを離れても楽しめる作品だと思いました。
○対馬正子氏詩集『霄の花』 大宮詩人会叢書第四期(20) |
2002.5.20 埼玉県さいたま市 大宮詩人会叢書刊行会発行 1300円 |
帰郷
呼び寄せられた地(ち)の音(ね) 地の魂(たま)
のエネルギーに湧き返えり あふれて ふるさとのまつり
ねぶた祭りを 小学生の息子にも一目見せようと
二十年ほど前に勤めた会社のビルの前に立つ
土地の ほっかむりのおばあさん
基地駐在のアメリカ兵士
ビールを空ける東京本社の部長さん 遊山でやって来た
その席を確保してまつり上げる支店長
日焼けした津軽弁の車長(※)さん…
観客はさまざまな位置から
一つの祭りを見ている けれど
日本の経済成長の春と 思春期が 重なる世代の私
華やかに化粧して日日変貌してゆく
生き生きとした中央の陰に蔑まされ
時間の止まったまま萎びてゆくだけの惰性に
若い呼吸をいらだたせて憎んだこともある ふるさと
それでも 嗅覚にたたまれた潮風は
ふるさとへ帰って来た私の頭を
ひたひたと隔てなく撫でまわし ときほぐす
----よぐ来たねぇ と
極彩色に色どられた巨大武者たちが
地の魂(たま)のあかりに伝説を浮かばせて
宵闇の目抜き通りをねり歩くころ
ふるさとの海も潮位を上げてゆく
ラセラ・ラセラと跳(は)ね人(と)たち
いのちを雪(すす)ぐ脂粉の 汗が飛ぶ
アメリカ兵士も跳ねる 観客は湧き上がる
ドンツクドンツクドドンツク
ドンツクドゴさ行ってたのさ
ナンボガ捜していだんだガサ
地の中に眠る「虫」たちも叩き起こされ
若者が叩く太鼓のバチは
雑踏ではぐれた日の母の鞭 となって
私の五臓にビシリと響き 体を金縛りにする
都会人に成りすました女は 突然涙を拭く
寄り添う息子が ぎゅっと握る片手の もう一方で
(※ 社有車運転手)
著者は青森県津軽地方出身、埼玉県在住。この詩集は1989年の第一詩集より13年振りの第二詩集だそうです。全編に津軽の匂いがあって、惹き込まれる思いで拝見しました。私は北海道の、道央生れですから、直接津軽とは関係ないんですが、同じ体温を感じる詩集です。
紹介した作品は、おそらく10年も前に書かれたのではないかと思います。最近書かれたらしい作品とはちょっと趣が違うのですが、故郷に対する愛憎と母子三代の絆がさりげなく描かれていて、一番好感を持った詩です。「都会人に成りすました女」という言葉に著者の冷静な分析を感じ、「雑踏ではぐれた日の母の鞭」や「寄り添う息子が ぎゅっと握る」には血の濃いつながりを感じて、私たちが無くしていったものを思い知らされる気がします。そんなことを感じさせられた詩集でした。
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