きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.29(月)
住基ネットについて各界で反対声明が続いていますが、日本ペンクラブも7月26日付で下記のような声明を出しました。転載して皆さまにもお知らせいたします。
「住民基本台帳ネットワークシステム」の強行に対する抗議声明
小泉内閣は、「住民基本台帳ネットワークシステム」(以下、住基ネット)の実施を、予定通り強行する姿勢を鮮明にした。日本ペンクラブは、以下に述べる重大な危惧と憂慮により、住基ネットの実施に強く反対する。
小泉首相自らが不備を認めるように、住基ネットは、セキュリティー面のみならず、国民総背番号制に繋がるプライバシー侵害や市民生活の自由の蹂躙等、容認しがたい大きな問題を抱えている。殊にネットワークに関わる関係各方面から、地方自治体作成の住民個人情報が、防禦不能のまま全面的に漏洩・流出する怖れはまことに深刻で、また防衛庁リスト作成事件で露呈されたように、行政側の管理能力・意識にも、国民として黙過し難い異様な欠陥が放置されたままである。現在国会に上程されているいわゆる「個人情報保護法案」も上記の問題点を到底解決し得ず、むしろ廃案が至当と考える。
もともと「住民基本台帳改正法」成立時に、時の小渕恵三首相は国会答弁で、個人情報保護のための法整備は、いわゆる住基ネット稼働の当然の「前提条件」であると繰り返し明言していた。この政府「公約」をすら不当に無視し、国民多数の理解を全く得ていない住基ネットを「とりあえずスタート」させようとする小泉内閣の姿勢は、国民の自由と安全を著しく脅かす意図に出たものと強く強く非難せざるをえない。
日本ペンクラブは、住基ネットの強行が将来に重大な禍根を残すであろうことを重ねて警告し、その実施の延期および「国民の一人一人に網をかぶせる」(法案作成者の発言)これらの法自体の廃棄を強く強く要求する。
2002年7月26日 社団法人 日本ペンクラブ 会長 梅原 猛
この声明は電子メディア委員会のメーリングリストで素案を検討したという経緯があります。文字コード上の問題、ワイルドカード使用の危険性なども討論されてきましたが、それは含まれていません。しかし必要最小限は書かれていますので、当面はこれでもしょうがないと思っています。早く、きちんと反対声明を出す方が先決ですから。それに、新聞などで全文を掲載してもらうにはこのくらいが限度かという判断もあります。もっと危険な状態になったら、このHPでももっと詳細を報告していきます。ぜひご注目ください。
○詩誌『極光』創刊号 |
2002.5.31 札幌市西区 極光の会・原子修氏編集 1000円 |
犬の穴/金 光林
犬を自由にさせて囲うため
ネックレースを解き
まがきを巡らした
煙草一本吸う
隙もくれないで
こやつ 外に出ちゃう
----何処から出たんだろう
餌を投げ入れたら
すかさず中に入る
よし と其処を閉ざしてしまう
犬の吠え声がするので扉を開けたら
こやつ 尾を振りながら
一緒に付き合いたいポーズを取っている
棍棒を握りしめて
逃げ行く穴を見究めてから
またも塞ぐ
これならもう大丈夫だろうと
散歩から帰って来たら
こやつ 余裕たっぷりに
庭全体を荒らし廻ったらしい
こちらを封じ
あちらを鎖し
犬とのうるさがらせは
今日も止まないのである
犬の穴は
隙間さえ生じたら
くぐり抜けられる
社会の不條理みたいなものらしい
作者の金光林氏は韓国の著名な詩人です。日本語も達者のようですので、翻訳ではなく、ご本人直接の作品だと思います。
私も犬を庭で飼ったことがあり「犬を自由にさせて囲う」ということもやってみました。おとなしい犬でしたので穴を開けられたことはありませんが「庭全体を荒らし廻」られたことはあります。ですから、最終連に行くまではよく理解できて、ああ、そういう作品なのかと思っていたのです。
ところが、最終連を拝見して驚きましたね。さり気ない社会批判ですが、言っていることは強烈です。そういう「隙間」を「不條理」と言うのだ、とも教えられ、眼から鱗が落ちた気分です。何気ない犬の行動を社会科学に変えてしまった秀作だと思いました。
○個人詩誌『空想カフェ』8号 |
2002.7.20
東京都品川区 堀内みちこ氏発行 非売品 |
碧い大きな鳥/堀内みちこ
天空が鳥でなくて良かった
碧い大きな鳥だとしたら
飛び去っている
こんなに汚れた地球を捨てて
碧い大きな鳥だとしたら
哀れな人間
愛くるしい動物たち
素直な植物たちを
捨てられないで
翼を広げたまま
飛び立てないのだ
堀内さんの作品はいつも発想が豊かだと思うのですが、この作品もそうですね。「天空」を「碧い大きな鳥」と誰が発想するでしょう、堀内さんをおいて他にないと思います。
この作品はそんな自由な発想とともに、第1連と2連の矛盾が魅力です。いったい「飛び去って」しまったのか「飛び立てない」のか、どっちなんだろうと迷いますけど、それが「碧い大きな鳥」の迷いでもあると気付かされます。そういう矛盾に満ちた世界なんだなと改めて考えさせられる作品でもあると思います。
○詩誌『黒豹』100号 |
2002.7.25 千葉県館山市 黒豹社・諫川正臣氏発行 非売品 |
蛇の死/尼崎安四(一九五二・没)
降りそそぐ雨に掘りだされた草の根のやうに
ゆるゆると 蛇は巻いた輪を解く
美しい鱗が洗ひ晒されるのも待ちきれないで
銜へた餌物を口から放し
大地に縋る力を喪ひ
蛇は流れに泛びあがる
凡ゆるものが輪から離れ
星のやうに 遠のいてゆく
遠いものに捧げられた 流れに随ふ蛇の寂かさ
鮮かな鱗の屍の上に 雨はやさしい響をかなで
裏返った腹を守らうともしない
流れるままに流れてゆく蛇
100号記念号ですが、諌川さんは編集後記の冒頭に「写真もなければ年表もない、記念号らしからぬ一〇〇号記念誌をおとどけします。同人わずか六人の零細誌、いまさら背伸びしてもはじまりません。これが分相応のものでしょう」と書いています。この謙虚さにまず敬服しました。51年間で100号というのは、確かに少ないかもしれません。しかし、平均年2回の発行であり、それは決して少ない数字ではないと思います。まずは継続に敬意を表し、お祝いの言葉を申し上げます。おめでとうございます。
紹介した詩は、諌川さんの師にあたる方の作品です。諫川さんがお書きになっている「尼崎安四との出合いと別れ」という文章でこの作品に触れ、この作品を書くのにノート2冊を費やしていたと紹介しています。そういう眼で見てしまうからかもしれませんが、さすがに無駄のない作品と思います。「蛇の死」という喩も、人生でもあり自然そのものでもあり、まさに「凡ゆるものが輪から離れ」ていく様を描いて、宗教的とさえ言えるでしょうか。ここは的外れなことなど書かずに、皆さんの鑑賞に任せたいと思います。
次の100号、200号と継続なさっていくことを願ってやみません。
○文芸誌『海嶺』11号 |
2002.7.7 千葉県銚子市 グループわれもこう発行 600円 |
ブッケロの小壷/田杭あしか
小壷を両の掌につつみ
螺旋状のかいだんをおりて行く
陶鈍(とうにび)いろの空
石鳥居のまんなかを夕陽がおちて行く
----まっすぐなこの道を行くと あの塔へつくのでしょうか
館の執事に尋ねたら
----この道をとおるのは やめなはれ
弱法師の衣は
ちぬの海に沈み行く 太陽のいろ
命を賭した彼岸の赤色
ガラスに眠る 紀元前の赤色顔料
ブッケロの小壷を
近づけない塔とは
気になる作品ですので紹介を試みたのですが、浅学にして判らない言葉がありました。まず「ブッケロ」。手持ちの辞書や百科辞典では歯が立ちません。インターネットで検索して、ようやくギリシャかオリエントの壺のようだと判りました。詳細までは不明なんですが、そういうものとして鑑賞しました。「ガラスに眠る 紀元前の赤色顔料」はそれを修飾していると思います。
次は「ちぬ」。これは国語辞典で確認できました。茅渟と書き、黒鯛の異名だそうです。
最終連の「ブッケロの小壷を/近づけない塔とは」がポイントになると思いますが、やはり「ブッケロ」の厳密な意味が判らないと解釈は無理かもしれませんね。私は雰囲気だけを味わいました。判らないなりにも何かありそうな作品と思われます。どなたか詳しく解説してくれるとうれしいのですが…。
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