きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.7.30(
)

 一日中、会議ばっかりでした。会議も仕事のうちですから文句を言う筋合はないんですけど、やっぱり実験室にこもったり現場を歩く方がいいですね。でもまあ、会議の大半は新製品に関するもので、順調に製品化が進んでいますから、ストレスは全然ないんですけど。皆さんのようなエンドユーザーに使っていただくものではなく、装置メーカーに使ってもらうものですから、一般の眼に触れることは少ないと思いますけど、メーカーさんからは早く出せと催促が来ています。モノが出来る前の営業の売込みが奏効した結果ですが、モノの開発責任者たる私は自信満々です。だって、珍しく理論が先行したもん^_^;
 うちも儲かる、お客さんにも喜んでもらえる、社会に貢献できる、この三つが揃って初めて、技術屋冥利というものでしょう。同時進行の別の新製品は失敗しましたから、これの見通しが明るいのは、本当にうれしいですね。モノ造りの醍醐味を味わった一日と言えるでしょうか、たとえ会議ばっかりでも。



望月良夫氏著
『望月産婦人科医院30周年』
mochizuki sanfujinka
2002.6.10 静岡県沼津市 私家版 非売品

 日本ペンクラブでご一緒している沼津の産婦人科開業医・望月さんよりいただきました。医院開業30周年の記念誌です。1968年から2002年の、主に「医家芸術」や「日本経済新聞」、「随筆春秋」、「文藝春秋」に寄稿なさったエッセイが収められています。医師としては、開業以来1名の死亡例もない事実に現れているように立派なお仕事をし、傍らエッセイを多数発表なさったり、落語の会や月刊誌を発行するなど、非常にバランスのとれた生活を送っていらっしゃって、何も不満もないと傍目には思うのですが、こんな文章に出合いました。

 日本の文化レベルに問題
 春のこと。友人Kさんが、銀座のポストへ日本ペンクラブ宛の封書を投函した。一か月の後、自宅に返送された。
 開封された形跡があったので消印の赤坂局へ出向き抗議したが、局は「規格のちがう外国製封筒だったので」と理由にならぬ言いわけをし、らちがあかない。Kさんは、あらためて書留速達で送り、事なきを得たが、国内投函の外国製封筒なので検閲されたのか、あるいは彼女が、ユダヤ研究者であるため公安からマークされていたのか、真相はわからない。
 この話をきいて私は、敗戦後、私宛の封書の下部分が開封され、
occupid JAPAN(占領下の日本)と黒字で印刷された透明テープが貼られたりした屈辱は忘れられない。
 制度40年をむかえる日本国憲法に、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密はこれを侵してはならない」とある。
 昨年、こんなこともあった。NTTの、本杜某課長の専用電話にダイヤルしたとき。私の話をすこし聞いた彼は、「ちょっと待ってくれないか、こちらからかけるから」と切り、「赤電話からかけている、僕の電話は盗聴されることがあるのでね」とわびた。
 先ごろ、共産党幹部宅の電話盗聴がマスコミにとりあげられていたが、公務員の意識には問題があり、庶民の文化レべルも高くない。戦争を有事といったり、あるいは経済摩擦を経済戦争と新聞がかきたてても、民衆は黙認している。何より、現在の軍備は明らかに憲法達反なのに、憲法改正をしようとしない。
 国家秘密法は、一流国なら当然もたねばならぬと思う。
 条文を読む限りでは、どうということはないが、日本の文化レべルに問題がある。拡大解釈、歪曲
(わいきょく)実施の危険があろう。
 三流国から二流国へなったあたりで、秘密法の上程を考えたらどうか。現段階では、私は反対である。

 1988年の「岩波ブックレット」の<「国家機密法」わたしたちはこう考える>に寄稿なさった文章です。個人的には何不自由のない身でも、きちんとしたモノの見方をなさっていて感服しました。それに、この文章に息づく思想は、現在の住基ネットの問題にぴったり対応しているのではないかと思います。「公務員の意識には問題があ」るという状況は、16年経った現在もまったくその通りです。望月さんには先見の明があると私は喜びますが、何も変わらなかった現実には憤りさえ覚えます。
 そして「敗戦後、私宛の封書の下部分が開封され、
occupid JAPAN(占領下の日本)と黒字で印刷された透明テープが貼られたりした屈辱は忘れられない」という部分にも驚きました。私は戦後生れですが、敗戦前後には日本史として最も興味があり、そこそこ学んだつもりでいましたけど、これはまったく知りませんでした。当事者は本当に屈辱的だったろうと思います。こういうことはぜひ後世に伝えていただきたい。そういう意味でも一医師の見た日本戦後史の貴重な一冊と思います。



徳永遊氏詩集『雲子』
kumoko
1996.11.1 滋賀県野洲郡野洲町
アスタリスク刊 1500円

 牡丹

私の名前はケイコ
六月の街を
白い軽自動車で走っております
四角い顔に眉毛は一文字
頭髪は常に短く
(それしか似合わないんです)
少し受け口で
少々自信のあるのは目なのです
目の輪郭は墨で塗ったように
はっきりして
(睫毛が濃いからなあ)
他人
(ひと)よりは大きくて
黒目勝ちの瞳です

親にすすめられた縁談で
夫になった人は
カボチャのツルのような顔をした
人だったけれど
順風満帆型の人だったので
たまにはケンカもしたけれど
気ままな私とも
頑なな両親とも
なんとかうまく行き
一男二女をもうけました

子供もやっとこのごろ
一人前になったので
この間二人で
長谷寺の牡丹を見に行きました

その時も牡丹の朱
(あか)が/
濁った池の水面に浮いておりました/
ゆらゆらと浮いておりました/
私はぼんやりと/
それをながめておりました/

なんとなく結婚などと呼ばれるものをして
なんとなくタンコブのような子供ができて
なんとなく家業の商いを継いでしまい
六月の街を日々
白い軽自動車でさすらっているけれど
これがほんものの生活だとは
どうしても思えないのです

 空想力の豊かな詩人のようで、詩集のあちこちで卓抜な空想に驚かされました。それは詩人として重要なことですから、この方は生来の詩人なんだと思いましたね。それと関連するのかもしれませんけど、モノの見方が童女のようだとも思いました。意識して論理的に見ようとするのではなく、あるがままに、感じたままにモノを見ている、そんな印象を受けるのです。
 紹介した作品は、それらの中ではかなり論理的にもとめようとしているのかなと思いますけど、最後の2行でハッとしたのです。「これがほんものの生活だとは/どうしても思えないのです」。あっ、これだ! この感覚がこの人の根源なんだ、と思いましたね。いつも何か夢を見ているような、それこそ童女のような、そんな感覚で書いているのかなと思ったのです。
 内実は判りません。止むに止まれぬものがあって、それを根底に置いて表面を軽くかわしているのかもしれません。私の読みが浅いので、そこまで読み取ることはできませんが、何か夢を見ているような感覚を表現するのも詩人の仕事です。他人にはなかなか出来ない作品、詩集だと思いました。



詩誌『あかぺら』2号
a cappella 2
1999.12.15 滋賀県守山市
徳永遊氏発行 非売品

 おユキさんと亀/徳永 遊

おユキさんは疲れると
大きな亀の上に乗って
ジダンダすることにしている

亀はそんなおユキさんを
キライなのだけれど
なんせ動きが鈍いのでどうしようもない
それをちゃんとおユキさんは知っていて
「あ」も「い」も言わさず乗ってしまうので
亀はもうすぐに諦めるのである

 何故に神様は私に大きな甲羅を
 お作りになったのだろう
 と亀は時々考える
 おユキさんを乗せるためか
はたまた自分の意気地無さが暴かれた時に
こっそり頭や手や足なども隠せて
知らぬ存ぜぬ どうにでもしてくれ≠ニ
石のようになれるからであろうか

裏返しになってしまったら
その丸い甲羅のために
中々起き上がれなくて
自分で起き上がろうと必死にもがく内に
頭や手や足がニョキニョキと出てきて
そのおそろしい正体がはじめてわかるだろう

それなのにおユキさんは
全くそれを知らない

けれどとにかく
自分は動きが鈍いので
あの短気者のおユキさんにとっては
この上ない安らぎの揺り籠になるらしい

 「亀」の喩をどう考えるかでずい分変ってしまう作品だと思います。「亀」を亭主ととらえても、母ととらえてもおもしろいのですが、どうもこれはもうひとりの「おユキさん」自身ではないかと考えられます。あるいは作中の「おユキさん」の創造主である作者ととっても良いかもしれませんね。
 前出の詩集の紹介でも書きましたが、ともかく想像力・空想力の豊かさを示している作品が多く、この作品もそうですが、読者を引きずり込んでしまいます。作者の想像力と読者の空想力がぶつかって、また別の場面・作品を作り出してしまう、そんな魅力のある作品と言えましょう。



詩誌『あかぺら』6号
a capprlla 6
2001.12.16 滋賀県守山市
徳永遊氏発行 非売品

 拒否/山本英子

いつからか右手の親指と人差指中指の腹に 氷のかけらに
触れているような痛覚がはじまった。それがいっこうに消
えない。見た目に異常はない。緩和も激化もしない。生活
に何も支障はない。ただ絶えず冷たいのだ。他に意識が集
中していれば忘れているが 気づけばそこが冷たい。医者
に行くほどでもなかったが 医者に行ってみた。種々の検
査の結果案の定 気のせいでしょうと言われた。

「そういうことなのだが」と あるパーティの席でめずら
しく会った人に 右手をひらいてみせて私は言った。彼女
が医者だったというせいもあるが。彼女はその時は何も言
わず 会が退けると私を小さな店に誘った。

「あなた その指で何かを拾った記億はない?何か見たこ
ともないもの」
言われて私はしばらく姿勢を正し ふと思いあたった。一
昨年の同じパーティで 女の人が落としたものを拾ってあ
げたことがある。青い小さな石とも金属ともしれないもの。
「それね」

それは〈拒否〉なのだと彼女は言った。人間の感情 怒り
や憤り 喜びかなしみ 淋しさといったものは時に 一人
の人間の内で長い時間をかけて あるいは瞬時に結晶し
光の中にその姿をあらわす。物質化した他人の〈拒否〉に
触れると 触れた肉体の部分は以後絶えず冷たい痛みを覚
えるのだ
「馬鹿げてるよ そんな話」
「別に信じなくてもいいけど
でも 今度は左手で拾ってくれる?」
そう言って彼女は手のひらのものをカウンターにこぼした。
光るものが私を射た。それはあの時私が拾って見知らぬ女
性に手わたしたものだ。青い 小さな石とも金属とも知れ
ないもの。

そんなことはない。あの時の女性は一度も見たことのない
人だった。断じて彼女ではなかった。彼女----ではない。
別れた私の妻では。

 「めずらしく会った人」と「女の人」と「別れた私の妻」が、実は同一人物だったというおもしろい設定になっています。それらが〈拒否〉というキーワードで繋がっていて、なかなかやるなと思いました。頭の中で3人と「私」の関係を整理しようとするとオカシクなりますから止めますけど、〈拒否〉の定義って、本当におもしろいですね。それを導き出すために作られた作品だと思うのですが、私なんかの頭ではこうは書けません。
 小説やエッセイで書けるかな?とちょっと考えてみました。無理そうですね。詩でなければ書けない作品だろうと思います。



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