きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.7.31(水)
今日は私の誕生日で、53歳になりました。自分でも信じられないくらいの年齢です^_^; でもまあ、事実なんですから素直に受け入れましょう。定年まであと7年。楽しみだな。
何人かの方からはお祝いのメールをいただきました。ありがとうございます。覚えていてくれてうれしいのと、驚いています。私は誕生日に特段の意味をおいていない方ですので、他人様の誕生日はほとんど覚えていません。それなのにお祝いの言葉をいただけるなんて…。少しは反省して、他人様の誕生日も覚えるようにしなければいけませんね。あっ、そうだ! 1年先輩の大阪の永井さんは私と同じ誕生日だ。これは覚えている^_^;
今日はもうひとつの記念日?です。私が編集を担当している日本詩人クラブ広報「詩界通信」11号の原稿締切日^_^; これからバタバタと原稿の整理をして、印刷所に送る手配をしなければなりません。ですから、この日記は正真正銘7月31日に書いていますけど、UPするのは2〜3日あとかな? さて、仕事にとりかかります。
○詩誌『ひょうたん』17号 |
2002.3.20 東京都板橋区 ひょうたん倶楽部・相沢育男氏発行 400円 |
カオスという名の/大園由美子
ハムスターが一匹
隣にはチップという名の
ハムスター
冬の日の千後
両手でひまわりの種を抱える
「カオス」「チップ」という名のハムスターがいるんですね。素晴らしい、詩人らしい名前の付け方でうれしくなりました。カオスは混沌のこと、チップは小片・心づけ・野球のチップとありますけど、ここはやっぱり小片と取りたいですね。混沌と小片、抽象語と具象語で対をなして、感服します。
最終連の「冬の日」と「ひまわり」も見事な対です。ハムスターがひまわりの種を齧っている、たったそれだけの詩なんですが、言葉と時間の広がりを感じさせる佳作だと思いました。
○詩誌『ひょうたん』18号 |
2002.7.10 東京都板橋区 ひょうたん倶楽部・相沢育男氏発行 400円 |
ピストル/阿蘇 豊
自転車に乗りながら
十一桁の数字をくり返す
そこに君はいる
数字を押せば
その耳におれの舌が入り
つながる
ふいに「ピストル」が浮かんだ
こめかみをズドン
アバヨとやるがいいというのか
ピストルをつきつけて
「おれの女」を誓わせるのか
わからない
ただ浮かんだ
すれ違う傘もバイクもハイヒールも
だれもおれを認めない
ただゴミ箱の上のカラスと目が合った
カラスは飛び立った
自転車からはいずれおりなければならない
おりたくない
おりた
「その耳におれの舌が入り」で思わずゾッとして、阿蘇さんと電話するときは気をつけようと思いましたけど、「おれの女」で、ああ、男は関係ないんだと判ってホッとしましたよ。何だい、人騒がせな^_^;
「おりたくない/おりた」はよく理解できますね。そうやって意に添わないことも受け入れて生きてきたんだな、オレ達。なんで「おりたくない」のはよく判らないけど、そういう原因不明なことっていっぱいあるからなあ。でも、単なるわがままだったりしてね^_^;
○詩誌『1/2』11号 |
2002.8.1 東京都中央区 近野十志夫氏発行 400円 |
独りぼっちの花なんて/近野十志夫
タンポポを鉢植えで育ててみようと思った。
種から育てて大きくしてみたかった。
綿毛を取ってきて新しい鉢にまいた。
いつまでも芽は出なかった。
手入れをせずほったらかしのプランターに
ある日
つぼみをかかえたロゼットが起きかかっていた。
元気に育てと、まわりの草を抜いたら
だんだん小さくなって花をつけなくなった。
ハコベ、ナズナ、タネツケバナ、
オオイヌノフグリ、スズメノカタビラ、ハルジョオン。
中からかき分けるようにタンポポが伸びている。
花だって一人では生きられない。
きのうしぼんだ花は、きょうまた元気に立ち上がり
せいのびをしたまま綿毛を開いて種をまき散らす。
そうして
プランターは春から夏へと花が咲き代わる。
私の家にも小さな庭があって、家内が花を育てています。家の裏にはこれまた小さな畑があって、義母が野菜を育てています。私は花や野菜を育てることに興味はなく、会社勤めの傍らもっぱら本を読んだり、散文や詩らしきものを書いて過しています。まさに「詩を作るより田を作れ」の逆をいっていることになりますけど、抗議らしき抗議が家人から来ないのは幸いだと思っています。
ですから、「花だって一人では生きられない」ということが事実かどうかは判りません。雑草は抜いた方が畑の作物はよく育つようでいけど、花は違うのかもしれません。あるいはタンポポだから、孤高の花のように「一人では生きられない」のかもしれません。しかし、事実云々を別にして、言いたいことはよく判りますね。もちろん、人間も同じだという喩です。最終行は「プランター」という小さな社会で「春から夏へと花が咲き代わる」ように人間も生き、死んでいくのだと言っていると思います。華やかな花の世界と人間の社会をダブられた佳作と思いました。
○季刊文芸誌『南方手帖』70号 |
2002.8.10 高知県吾川郡伊野町 南方荘・坂本稔氏発行 800円 |
暁/坂本 稔
夜明ケ前ノ
コノヒト時ガ
好キダ
瑞々シイ
無名ノオノレガ
静カニ生キテイル
空
予感
地球ノ息遣イ
小鳥タチガ
夢ノ残骸ヲツツキナガラ
歌ッテイル
生マレル前ノ
死ンダ後ノ
永遠ノ闇ガ優シイ
「夜明ケ前ノ」一瞬を切り取った作品で、まさに「瑞々シイ」思いに包まれました。私の家の屋根にも、毎朝「小鳥タチガ」やってきて「歌ッテイ」ます。さすがに「無名ノオノレガ/静カニ生キテイル」という感覚にはほど遠くて、ぼんやり今日一日の行動を考えたりする程度で、作者との違いを思い知らされてしまいますが…。
最終連が見事だと思います。「生マレル前」も「死ンダ後」も「永遠ノ闇ガ」あるのは判っているのですが、それを作者は「優シイ」と表現します。なかなか言える言葉ではないでしょう。人生を卓越しているんだな、という印象を持ちました。そして、片仮名もいいですね。平仮名では流されてしまうようで、こうやって片仮名で読んでみると、詩が引き締まっているように見えます。書き慣れないとサマにはならないでしょうが、一度挑戦してみたいものだと思いました。
○季刊個人詩誌『天山牧歌』56号 |
2002.7.15 福岡県北九州市 『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏発行 非売品 |
狼谷/バインボールオ
秋吉久紀夫訳
狼谷にはなにもないんだ
ひと盛りの狼の糞さえもないんだと
年配の年老いた猟師はそのすべてを説明したあげく
いつも意味深長に呟く、かつてはね……
秋風が草木のない谷底を吹き過ぎる
あたかもすざまじい狼の遠吠えのように
うずたかい焚き火は静けさを連れ去り、憂いを留める
覚えず襟を掻き立てる夜の気配のように
昔話をする猟師は次第に居眠りをしはじめ
若者たちはなおも気がかりだ、あの毛深い狼の爪が
ずるかしこく背後から肩先に襲いかかり
ひと口にこの真夜中の孤独を噛み砕きはしないかと…
だが、風は昔話をますます還くへ運ぶ
狼谷の月の光のように、もの寂しげに、空漠として
だれかが猟銃を取り上げ、びくびくと空へ一発ぶっ放ち
空の真上の天狼星を、微かに震えあがらせる……
(『詩刊』二○○一年一月号 八頁)
作者は1963年生れの満族の詩人で、名前は巴音博羅と書き、漢名は崔岩だそうです。作品は38歳頃のものと思われますが、なかなかいい視点を持っているなと思います。最終連の猟銃を撃つという行為に至るまでの心理描写も巧みです。それによって「天狼星」が「微かに震えあが」るという設定もおもしろくて印象に残りますね。
狼は絶滅したと言われ、猟銃を撃つ機会などのない日本では想像できない世界ですが、隣の国にはそんな大自然もまだ残っているのかと変なところで感心させられた作品でもあります。こうやって中国の人たちの作品を読ませてもらえるのがありがたい詩誌です。
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