きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.3(
)

 今日から9日間の夏休み。初日の今日は日本詩人クラブの第11回「詩書画展」が銀座・ステージ21ギャラリーであって、出掛けてきました。本当は1日に作品搬入でしたが、その日は出勤でしたので、今日、作品(らしきもの)を持って行ったという次第です。元来、絵を観るのは好きなんですけど、自分で作品を出すなんてとてもとても…。でも、出しちゃったんです。理事は全員出せ、という担当理事と担当者・某女史の強い命令があって^_^;
 この詩書画展は2年に一度の開催です。一昨年も理事でしたから、そんな調子で出しました。「走査型電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope)による樹木への考察」というタイトルです。電子顕微鏡で撮った樹木の写真に詩を付けたという程度のものですが、電子顕微鏡を使えて詩を書ける者なんかそうそういる訳がないぞ、という自負はありました。まあ、あまり評判は良くなかったようですけど…。
 今年は本当に困りました。同じ手は二度と使えないし、何せやる気が起きない。でも、詩はいらない、写真だけでいい、という声に励まされて一応作りました。世の中では電子顕微鏡を凌駕するのではないかと言われているデジタル・レーザー顕微鏡というのがあるのです。それを使ってみました。タイトルは樹木のイメージが残っていたので「枝葉末節」として、乾燥した緑茶を撮ってみました。まあ、おもしろいかどうかは判りませんけど、義務は果したぞという安心感でいっぱいです。
 6日までやってます。有楽町駅から徒歩3分ほど、良かったらご覧になってください。入場無料。

 今日は会場で朗読会も行われました。17名が朗読。絵をバックにした朗読はなかなかサマになっていましたね。私はやりません。写真班に徹しました。

020803

 なかなかいい感じでしょ。事務局によると100名ほどの人が入ったそうです。普段の例会でも50名ほどですから、意外に詩書画展って人気があるんだなと思いました。会場も一昨年の2倍になって、広々としていましたね。再来年もあります。会員の方は奮ってご出品ください。



文芸誌『蠻』130号
ban 130
2002.7.30 埼玉県所沢市
秦健一郎氏発行  非売品

 空豆/穂高夕子

豆を剥く
空豆を剥く
白い真綿のような莢にくるまって
空豆のエメラルド色が転がり出た

Aは女の子を立て続けに殴った
もう放ってはおけない
両腕に力をこめて肩をつかみ
ゆすって怒鳴った
「どうして女の子を殴るの」

旬の空豆は初夏の匂い
子供の頃に見たっきりの
陽の温かさを吸って咲く空色ぶちの花の
誰にでも愛される可憐さを想い出させる

Aの爪が突然左の腕に立った
逃れようとする子の抵抗が
私ににぶい痛みを与えた
危害を加える者に牙を剥く
それは小さな野獣の爪

莢に安住して甘えて
ふっくらとふくらんだ空豆の
なんと円熟したやさしい丸さ
おまえたちを育てるために
こんなに分厚いふくろが必要だったのだ

私にはAをくるむ莢が見えない
9歳にもならない子には
まだまだ莢が必要なのに
Aをくるむものはひとつもない
裸同然のまま育った子をしばらく抱いた後で
黙って爪を切ってやるしかできない

 おそらく学校現場での出来事だろうと思います。「空豆」と「A」が巧みに編み上げられて、読む者の心を打ちます。「まだまだ莢が必要なのに/Aをくるむものはひとつもない/裸同然のまま育った子」とありますから、特別な学級なのかもしれません。
 最終行が何といっても素晴らしいと思います。姿が見えるようで、作者とともにAの心境も読めるようです。
 この雑誌を読む楽しみは、詩の他にも秦健一郎氏の長編連載「地果つる処までも −油屋熊八物語−」があります。今回は第6回。大正の初め頃の別府を舞台にした物語で、観光という分野に進出した熊八の、おそらくノンフィクションだろうと思います。仕事≠ニは何か、生きるとは何かを考えさせられて、現代の日本人に読んでもらいたい物語です。いずれ一冊の本になるのではないかと楽しみにしています。



個人誌『むくげ通信』11号
mukuge tushin 11
2002.8.1 千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏発行  非売品

    キムギョンヒ
 容赦/金m熙

お前が人の罪を問いつめるなら
まず自分の罪から悔い改めろ
人を許せぬ者が
どうして自分の罪の容赦を望めよう

お前に罪を着せる者がいるなら
無条件に許してやれ
そうすれば限りない
幸せを味わうだろうし
キリストの愛を
享受することができるだろう
容赦はもっとも美しい善行なのだ

他人を許し得ぬ者は
自分が渡らねばならぬ橋を断つ
愚かな人間である
しかし、他人を寛大に許しても
自分自身を
安易に許してはならぬ

キムギョンヒ
金m熙
大韓キリスト教長老会連合会会長、米国ユイン大学大学院教授、ロシア極東技術大学教授、キリスト教長老会総会神学校学長、韓国環境文学会副会長、世界芸術・文化学術院(WAAC)正会員、国際作家教会(IWA)正会員。主な著書に「教会の私の姿」「幸福な教会」「エホバと天主」「世界名言辞典」他。詩集に、「空を仰いで恥じなし」がある。

 「『二十一世紀韓国文学』第十一集より」という総タイトルが付いていました。紹介した詩はご覧のようにキリスト教徒の作品です。私の妹もキリスト教徒ですからよく判るんですが、彼らは本当にこういう気持で日々を過しているんですね。俗世間にどっぷりと浸かった自分を、たまには戒めるつもりで紹介してみました。
 それにしても「自分自身を/安易に許してはならぬ」というお言葉、なかなかキツイです。ここにも書かれている通り、逆はいっぱい出来るんですけどね。



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