きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.5(
)

 夏休み3日目。終日、家にこもって本を読んでいました。いやいや、半分は画像処理に使いました。一昨日の詩書画展で撮ったデジカメ写真が約50枚。それを加工して保存するのに、意外に時間がかかります。1枚1.6MB程度なんですけど、もう4年も前のパソコンだと処理能力が遅いですね。
 不思議なことに1.6MBの画像をほんのちょっと、それこそ1/100程度切り取るだけで0.4MBほどに減少します。そうやって容量を少なくして保存します。圧縮は使いません。手間が面倒なんです。実際はよく使い方が判らないからですが^_^;
 それにしても暑いです。犬は洗面所のコンクリートの上でのびています。さっき義母が来て、36℃もあったよと言っていました。エアコンは無く、自然の風だけが頼りなんですが、その風が吹かない。扇風機を回して、たまに外の葦簾の下に行って、ビールを呑んで避暑地気分です。

 今日は住基ネットの開始日です。正直なところ、よくまとまっていません。9日にペンクラブの電子メディア委員会がありますから、そこで詳しい人によく聞いてみます。メーリングリストの中では、住基ネットに参加しなかった杉並区か横浜市の担当者に来てもらい、説明を受けようかという話になっています。実現したらここで報告します。
 どうも、本当にヤバそうです。最終的な狙いは課税かもしれまん。国民ひとりひとりの財布の中を覗いて、しっかり税金を取る。思想調査のデータも当然加わるでしょう。もっとも公安は日本ペンクラブを要注意団体としてリストアップしていますから、今さら驚くこともありませんけど、全国どこに行っても警察なり市役所で瞬時に思想傾向や所属団体のデータが出てくるようになるのではないかと思うと、日本で暮すのが嫌になるかもしれませんね。



齋藤氏著      [新]詩論・エッセー文庫(1)
『植民地と祖国分断を生きた詩人たち』
syokuminchi to sokoku bindan wo
2002.8.1 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

 著者は1924年ソウル生れ。20歳の敗戦まで朝鮮半島に居たそうですから、朝鮮の詩人たちに対する思い入れもひとしおだろうと思います。そんな思いであちこちの雑誌に書かれたエッセイ・評論をまとめた本でした。登場する詩人たちも金素月、崔華國、姜舜、金芝河、梁性佑、申庚林、金洙暎、申東曄、趙泰一、李盛夫、具常、金光林、鄭漢模、閔勇桓、申有人などの多きに渡ります。
 私にも韓国人の詩友は何人かいます。18歳の高校生のときに、後輩に岩本君という男がいました。文芸部でだったか生徒会でだったか、あるいはその双方で一緒だった男です。あるとき沼津の彼の実家に遊びに行ったことがあります。実家は焼肉屋で、姉上がチマチョゴリを着ていましたから正月だったかもしれません。初めて見たチマチョゴリの華麗さを30年を過ぎた今でも鮮明に覚えています。そこで父上より生れて初めて詩集をいただきました。『記憶の空』という詩集で、父上は李沂東という詩人でした。李沂東さんのお名前はこの本にも登場しています。詩集は今も大事に持っています。
 少なからぬ韓国の詩友がいる私でも、彼らの本当の気持はよく判りません。戦後生れということもありましょうし、一般の日本人と同じように韓国・朝鮮の歴史にそれほどの興味を抱かなかったというのが正直なところです。それがこの本によってかなり払拭されたなと感じています。例えば第1章の「金素月の詩の背景」に <「恨」を越えた詩の世界> というのがあって、ここには次のように書かれています。
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 朝鮮では「怨」と「恨」は両方とも「うらみ」であることに変わりがないが、「恨(ハン)」は「うらみ」「つらみ」を自分の心の中で浄化し、唄や踊りや文学の中に昇華させ、それで「うらみ」を解決しようと努めているかに思われる。「怨」は他者に対する感情で、「恨」は自分の中に籠っていく内在する感情であろう。
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 ずい分と日本人とは違う感覚だなと驚きます。「
自分の心の中で浄化し、唄や踊りや文学の中に昇華させ」るという高度な精神処理を私たちはやってきただろうか。「怨」のみが表面に出過ぎていないだろうかと反省させられます。その精神処理の一例として、次の作品を紹介しましょう。

 自画像/趙炳華

捨てるべきものを 捨ててきました
捨ててはならないものも 捨ててきました
そしてごらんの通りです。

 GHQは別とすれば、植民地となったこともなく、母国語を奪われたことも名前を変えさせられたこともない私たちには軽々しく言うことはできませんが、それでもこの「怨」は判る気がします。それを「恨」に変えていく精神の気高さに敬服しました。果して私たちはここまで自分を高めることができるのだろうか。この3行の前に、日本の詩人が何百、何千の言葉を並べようが太刀打ちできない気がしてなりません。
 日韓併合をとんでもない教科書で教えようとした日本人がいましたが、それを数校とはいえ採用した学校がありましたが、この3行をこそ教科書に載せるべきではないかと思います。日韓を真面目に考える日本人には、読んでほしい本だと思いました。



池田剛氏詩集『白いハンカチ』
shiroi handkerchief
2002.8.15 東京都中野区 私家版 1000円

 悲鳴

休日の電車の中で
親子が
顔を寄せ合い
夢中でおしゃべりをしている
時どき 幼児の口から笑いが洩れ

混み合う車内は
騒がしい声で満ち
と 一人の乘客が幼児の前に立った
僅かなすき間に腰掛けようと
車体が揺れたすきに
大きな身体を割り込ませた

幼児は強く押し潰され
苦しそうに隣の人を
目で抗議したが無視されて

電車は幾つもの駅を通過していった

幼児は身動きできずじっと耐える
目を大きく真直ぐ見開き
食いしばりながら
親子の会話はいつしかと絶え

いつもこうして幼い魂は圧し潰されていく

やがて終着駅で降りた親子は
人混みの中に呑まれてしまうだろう
幼児の足どりは重く
楽しみはどこかへ消え果てて

大人よ
子供は甘やかしてはいけない
しかし
なめたらあかんで
ほんまに

 こういう光景というのはたまに眼にします。私は週に一度、電車の乗るか乗らないかですから、毎日乗っている人はたびたび目撃するのかもしれませんね。幼児も可哀想だし、何も言えない親の気持も判って、何とも嫌な思いをするのですが、目の前の光景をどう頭の中でまとめたら良いのか、そんな悩みさえ覚えるのです。
 ひとつの解決法をこの作品から教わりました。「子供は甘やかしてはいけない」けど「なめたらあかん」のですね。直接「大きな身体」の乗客の抗議することはないでしょうけど、頭の中で子供をなめるな、と言ってやれます。次にどう考え、どう行動するかは置くとしても、とりあえずひとつ高みを登った気がしました。
 この詩集は紹介した作品の他、お孫さんや山行きを題材にした詩が多くあります。年齢を重ねて、達観した見方が表出しており、勉強させられる詩集でした。



詩・随筆・批評『別嬢』47号
betsujo 47
2002.7.30 兵庫県加古川市
別嬢倶楽部・松尾茂夫氏発行  500円

 私は/西川保市

生について
若いころからそれなりに
悩んだり 考え込んだりしてきた
が突然
息子が星になってからは
こんな虚しい考え乞食とは
きっぱり縁を切った

このさき
もし呆けたらとか
病んで寝込んでしまったらとか
まだ見ぬ明日を心配する人もいるが
なあに その時はその時
私はもう
「もしも」に怯えてくよくよしたり
うろたえたり 取り乱したりはしない

〈禍福は糾える縄の如し〉というが
「禍」はもうすでに使い果たした
残っているのは「福」ばかり
空はあくまで蒼く
夜は満天の星だ
これからは
したいことをして
好きなひとには好きと言い
(妻にだけは分からぬように)
明日を夢見て
こころのおもむくままに生きていく

燃え尽きた時は
蝋燭の炎のように
にこっと笑って消える

 初めて目にした言葉ですが、「考え乞食」というのはよく判りますね。それが「息子が星になってから」という理由には胸が痛む思いがします。私などには想像もつかないご苦労の上での言葉でしょうが、人生の先輩の言葉として素直に胸に入ってきました。
 最終連も達観した言葉だと思います。私など、そうなるにはまだまだ精進が足りませんけど、いつも胸に刻んでおきたいですね。
 新しく連載になると思われる松尾茂夫さんの「『アメリカプロレタリヤ詩集』の周辺(1)」は、サッコとヴァンゼッティ事件を取り上げています。1927年に無実の罪で処刑された世界産業労働組合の活動家の二人は、米国の現代史に影を落としています。あるいは米国の傲慢さの原点ではないかと、私は考えています。今後どのように展開していくか、楽しみな評論と言えましょう。



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