きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.8.9(金)
日本ペンクラブ電子メディア委員会が開催されました。主たる議題は住基ネット。これがかなりシンドイ。なぜシンドイかと言うと、私がメーリングリストで指摘したことでもありますが、事実と推測が分離できないことに由来するからだと思います。政府広報をよく読んで、その裏に隠された意図や影響の範囲を考えるんですが、どうしても推測の域を出ません。憲法上の基本的人権や表現の自由擁護の立場から迫ってみても、どうも要領を得ません。結局、継続研究として来月以降も情報の収集と議論を重ねることにしました。
その中で出てきた話として、外国はどうなっているんだ?というのがありました。お隣の韓国が最も進んで(?)いて、個人情報は一括して国家管理になっているようです。ICカード化まで進められていて、一元化は最先端と言えるでしょう。他の欧米諸国も個人情報のネットワーク化はほぼ完了。しかし、一元化・統合化はされておらず、現在の日本のようにバラバラの形で運営されているようです。やはりバラバラの情報を統合して一括管理することへの抵抗は強いようです。
確かに、将来的にはICカードなどで個人情報が一括管理されるようになれば、便利この上ないでしょう。電車の乗り降り、高速道路の支払い、病院での罹病記録、果ては税金の支払い状況まで一枚のカードで済んでしまいます。しかし、そのカード情報を集めることは技術的には簡単なようです。カードから発生する磁気を、例えば街角に検知機を設置して吸いとってします。あるいは人工衛星を使って、カード所持者の位置を割り出してしまう。そんなことが可能になる第一歩に、実は住基ネットはなるのではないか。そういう危惧があるんですがね…。それを具体的な事実を基にして国民に示したい…。そう思っているんですけど、なかなか難しいです。
○隔月刊詩誌『叢生』121号 |
2002.8.1 大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
サイト/佐山 啓
彼女が一番美しかったとき
彼女は間違いを起こした
彼女は誤解していた
女が一番美しいときはいつか
誤解していた
女が一番美しいときを
男は嗅ぎ分ける
もっとも警戒しなければいけないそのときに
彼女の心に隙間ができた
ちょっと疲れていたのかもしれない
ちょっと退屈していたのかもしれない
あまりにも手近に
そんなものがあるものだから
とり返しのつかないことをしてしまった
十月十日も胎内にとどまり
この世に生まれ出て祝福された幼子が
そんなにも長い間
母親の手を煩わせるのも
まばゆいほどの母親を
他人に奪われないようにするための
天からの授かりもの
身も心も輝いていたそのときに
指が戯れた
言葉の強さに
振り回されて
見知らぬはずの男と
親しくなって
もう元には戻れない
もう子供らの笑顔が戻らない
なんでやねんほんまに
負けんなや
まったく読みが違うと怒られそうですが、「サイト」って出合い系サイトのことかなと思います。経験はなく、新聞やTVでの情報程度の知識しかありませんけど、要は少女売春でしょ? そうだとしたら最終連の2行はすごい言葉だなと思います。そんな彼女らもきちんと受け入れている言葉で、そこまでの懐の広さは私にはありません。
この作品を通じて、なぜ作者がそこまでの寛容さを持っているかというと、第4連の見方があるからかなと思います。「まばゆいほどの母親を/他人に奪われないようにするため」に幼子が母親をひとり占めするなら、その因果もすべて許される、という発想に立っているのかなと思うのです。
まったく間違った読み方かもしれません。おそらく間違っているのでしょう。でも、私個人の狭量さを再認識させられた作品であります。
○詩誌『坂道』2号 |
2002.8.1 埼玉県さいたま市 坂道の会・竹内輝彦氏発行 非売品 |
帰心/湯村倭文子
桜が開花したという朝
戸外に出るとふいに雪の匂いがして
八百屋の店前で
カスべの形に「たまねぎ」と印刷された
ダンボール箱を見たときの
矢のような帰心
母の畑 空の広がり
雪解け 土に混じり合う風の匂い
私がおいてきたそれらが
カスべの真ん中あたりで
色づき さざめき出す
列島今日のうごき
日の出の時刻 六時五十四分
天気 雪
深夜ラジオにふるさとが呼ばれている
二十年壁に飾られたままの
私が彫った石狩鮭の浮彫りが
常夜灯の火影に
ほの白く 浮かびあがる
* カスべ・えいのこと 北海道の形が えいに似ていることから
私は北海道生れですが、生れてすぐに父の故郷の福島に帰ってしまい、その後、小学校の3年から4年の間、1年間を北海道で過したことがあるだけです。でも、この「帰心」というのはよく判りますね。さすがに最近ではそんなことは無くなりましたけど、小学校の6年生ころまでは、しきりに北海道に帰りたかったものです。確かに「カスべの形に「たまねぎ」と印刷された/ダンボール箱を見たとき」などは、そう思ったものです。そして「深夜ラジオにふるさとが呼ばれている」ときも。作品としては、その前の1字下げの3行がよく効いていると思いました。
全行紹介はしませんが、ささきひろしさんの「黄昏」もいい詩だと思います。捨てられた数匹の子猫がカラスに食べられてしまうという作品で、難を逃れた一匹の子猫の面倒をみる老婆の「かの戦争でお国という巨大なカラスに/私の息子も食べられた」というフレーズは印象的でした。
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