きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.14(
)

 朝一番に呼び出されて、異動の内示を受けました。現在は技術部門で働いていますけど、明後日から品質評価部門に行けとのこと。現在の仕事の延長ですから、そう悪い話でもなく、即座にOKと返事しました。拒否したって、無理なんですけど^_^; 今の職場に異動して13年、定年までのあと7年はそこで終ることになりそうです。
 その部門とは毎日のように付き合いがありますし、うちの課からすでに何人も行っています。はっきり言えば、うちの課で修行を積んで、その課に行くというのが慣習になっています。その道に乗ったにすぎないし、どうせ同じ部ですから、ほとんどが知合いです。気楽に行ってみましょう。でも、しばらくは多少のストレスがあるかな?



和田文雄氏詩集『失われたのちのことば』
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2002.8.16 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

 魂迎え

片割れ月が大きな裂け目のうえを照らし
あるいは軌道をはずれ
魂祭りの夜に
名を呼びあいゆきかうときに
しめつけてくるもの

薄らいでいった空気
息遣いがあらくなった坂道
一将の功は成ることもなく
一卒の骨は拾われることもなく

約束があった
たしかにあのとき二つに裂いて
分けて持ちあったもの
どんな秘密がかくされ
いつ探しだされるかも知らず
魂祭りの夜に
月がかかる空に
片別れしたあの日

夕暮れどき不安におそわれる
過去が逝ったものの罪科なら
雲間の後光は未来への因果となる
迎えられない虚空に
いずれ業が曝される

乱れ雲が片割れ月にかかった
ひっそりと魂迎えする

 この詩集の総まとめとも言うべき言葉があとがきにありました。<あの戦争のとき遺言を残すことの出来なかった人たち、遺言すらも受けしれなかった人たちの無念を「のちのことば」としたいと思いまとめたものであります。> と、あります。その言葉通り、ある時は触雷して沈んだ客船の数百名の命を思い(「気比丸」)、ある時はシベリア抑留で死んだ将兵をうたいます(「シベリアのひとかた」)。そして、著者も含まれていると思われる銃後の生活を描いています。
 そのいずれもが非常に長い作品です。1編が7〜8頁になり、まさに長恨歌と言えましょう。紹介した作品はその中でも短いもので、しかも最終の作品です。全体を締めくくる作品で、それ以前の作品を鑑賞してからこの作品を読んだ方が良いのですが、それもできないので「魂迎え」のみの紹介となったことをお許しください。
 そうは言っても、単独の詩としても充分に鑑賞に耐える作品だと思います。「一将の功は成ることもなく/一卒の骨は拾われることもな」かった無念を知ることができるでしょう。「魂迎え」をする側のあり様を問われている作品だと思いました。



個人詩誌『粋青』30号
suisei 30
2002.8 大阪府岸和田市
後山光行氏発行  非売品

 連載の「伴勇の我楽多ノート(6)」におもしろい文章がありました。故・伴勇氏の「月刊近文カルタ」だそうです。今回は孫引きになりますがそれを紹介しましょう。

イ 一に勉強二に努力
ロ 論よりまづ実作
ハ 話す勉強今は大切
ニ 二度とやるまい誤字、あて字
ホ ほれるのは男・女ぢゃない詩だけだ
へ 下手でもいいから詩を書こう
ト 途中で止めるな終りまで書く

チ ちゃんと知るべし行分けの意
ヌ ぬらりくらりとかき流すな
ル 類の中にまきこまれるな
オ 教えられるより自分で学ぶ
ワ 判らぬ文字は辞書で確認
カ 勝手気儘は個性ぢゃない

ヨ 好しと納得するまで書くことだ
タ タッタ一字が詩をつぶす
レ 連と連 行と行にも目をくばれ
ソ そつなく書くと非詩になる
ツ ついうっかりは大の禁物
ネ 熱情にプラスアルファー
ナ 泣き言いうより堪えること
ラ 乱暴な書きなぐりは恥となる
ム 難かしいばかりが能ぢゃない

ウ 美しさを大切に
ヰ 井戸の中の蛙になるな
ノ ノートは必ず持つことだ
オ 男の詩女の詩よりも人の詩を
ク 苦しい時こそがんばるべし
ヤ やる限りはトコトンやるさ
マ 負けたくない心が詩を育てる

ケ 喧嘩するのもいいことだ
フ ふととか思い付きは絶対禁物
コ 比れでいいかと推敲百番   *
エ 遠慮は禁物うぬぼれよ
テ 徹して書きこめむくわれる

ア 明日があると思うな
サ さり気なく言葉に深い詩心
キ 気取るのも時に必要
ユ 夢を夢みる夢子ちゃんは困る
メ 女々しい泣言詩ではない
ミ みてくればかりを気にするな
シ 知って知って知ることだ

エ 偉い詩人に気負けは禁物
ヒ 人を知るのが詩を高める
モ もっと自分を考究すべし
セ 先生などいないのだ比の道は
ス 少しの時間を有効に
  伴勇作品集(近文社)より

 原文ではつながっていますが、画面になると見難いので1行空けしてあります。また「*」は<比れでいいとか>になってましたが、誤植と思って訂正してあります。
 すべてが良いとは思えませんし、矛盾しているところ反論したくなるところもありますけど、詩を考える上での指標になるのではないでしょうか。「ホ」「カ」「ソ」「オ」「ヒ」「セ」などが私は参考になりますね。皆さんはいかがでしょうか。



詩誌『きょうは詩人』5号
kyou wa shijin 5
2002.8.18 東京都武蔵野市  500円
きょうは詩人の会・鈴木ユリイカ氏発行

 節分/坂田Y子

その年は豆撒きをしなかった
家族の誰もが豆を買ってこなかったからだ
母は私が私は父が父は妹が
買ってくるものと思い込んでいた
近所のにぎやかな豆撒きのさなかに
私は妹をなじり妹は母に泣きつき
母は父と口を利かなかった
豆撒きをしなかった年の夏
妹は家を出たきり帰って来なかった
秋には父が倒れて冬の初めに亡くなった

その翌年父方の大叔母が
豆を携えて我が家にやって来た
あみだくじで負けた私が鬼になり
追われた私はいつのまにか庭にいた
家の中から笑い声が聞こえ
中をのぞくと
豆撒きを終えた家族が食卓を囲んでいる
----姉ちゃんがいなくなった
幼い妹の怯えた声におとなたちの笑い声

あれから毎年家族は豆を買い忘れ
追われる鬼も迎えられる福の神もいない
そして私はあいかわらず庭にいる
時々ガラス戸に張り付いて中をのぞく
豆撒きをやらない家族がせいぞろいして
あいかわらず食卓を囲んでいる
----あんな所に姉ちゃんがいる
幼い妹の怯えた声に家族がいっせいに笑う
私だけがいない家族の団らん

 不思議な作品ですが、よく読むと怖いですね。豆撒きをしなかったために「妹は家を出たきり帰って来な」くなったし、「秋には父が倒れて冬の初めに亡くなっ」てしまいました。「そして私はあいかわらず庭にいる」からには、亡くなった? 「幼い妹の怯えた声」はそれを象徴しているのかもしれません。
 最近では豆撒きをする家庭も少なくなったようです。日本の伝統文化の喪失に、人間性の喪失をも見ている作品なのかもしれません。単に怖い≠ノ留めておくも良し、そこまで深読みしても良し、という作品のように思います。「節分」というタイトルで、よくぞここまで書けるものだと敬服しました。



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