きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.16(
)

 異動の日です。朝、辞令をもらって、臨時朝会で挨拶をしました。13年も在籍した職場ですから感無量のものがあるかと思っていましたけど、意外にサバサバしていましたね。そのあと机の片付けをしていたら、女子社員のひとりが「私、泣きそうになりました」と言ってきました。おいおい、今更そんなこと言うなよ、そういう気持があったんだったらもっと早く言ってくれ^_^; と思いました。同じ部ですから、たまには顔を出すよと慰めましたけど、我ながらまだ捨てたものではないと自信を持ちました^_^;

 新しい職場では女性ふたりが部下に配属されていました。やれやれ。女性ふたりには罪はないし、ふたりとも以前から性格は良いと知っていましたから文句を言う筋合はないんですけど、他人様を使うというのは好きではないんです。誰だって好きではないでしょうけど…。でも、すぐに悟りましたね。今までは技術屋でしたから一匹狼でも良かったんですが、これからはそうはいかない。品質保証という職場では、大量の製造品評価をすべてひとりでやれるわけがない。彼女たちの協力を得なければ仕事が進むわけがないんです。彼女たちが働きやすく、最大限の力を引き出すのが私の仕事かな、と思いました。
 前任者と仕事の引継ぎをしているうちに、だんだん気落ちしてきましたね。出張が多くなりそうです。それも東北や四国などが多そうで、2日、3日と続くこともありそうです。そういえば前任者は端から見ていても出張が多かったなあ。モバイルコンピューティングを真剣に考えなければいけないかもしれません。それとも息抜きと割切るか? まあ、あまり先走って考えないで、成行きに任せましょう。



清水弘子氏詩集
たゆたゆうかぶたいじのころよりもっとふかく
tayutayuukabu
2002.8.1 三重県四日市市 私家版 1500円

 これらがなくても日々のくらしにふつごうないが

たとえばつめを切ったゆびさきの
すこすこせつないかんかくや
ふろあらいのあわがながされた
つややかな表面の
つめたい水をのみほしたいかんじなど
かたちにしてどれだけたつか
いまはそとがわをなぞるくらい
そのかんかくはからだにもどりにくくなっている
いしきとむいしきのさかいめのあたりにおいて
だまってひとりあそんでおれば
もっとながくとどまっていたか
ことばによって
根っこあたりをほりあげてしまったせいか
などおもったが

ひぃぃぃぃぃんという
耳のなかからまっすぐのおとがして
わけもなくふあんをかんじたり
なまぬくい空気のなかで
おもわずわっとこえをあげて泣きだしたい
こもったような衝動も
いつのまにか止んでいて
ここまでおもいおよんだとき
これらこどものようなかんかくは
ことばにかえてかたちにしたからでも
おとな社会であわただしくいきて
すりへっていったというのでもなく
こどもの時期とおんなじに
ながくつづかぬ
はかないたぐいのものだといまごろ気づく

これらがなくても日々のくらしにふつごうなく
ほこりみたいな些事ではあるが
しらずしらずどれだけなくしてきたか
こどものようなこれらのなかに
ゆったり時間がながれていたころの
シンプルないのちの直のさけびがあるようで
まだうちがわにきえずにのこる
これら原初的ともいえるかんかくを
こころのうちで反芻する
たくさんうしなってきた
まじりけのないなにかをとりもどす
てだてのひとつのように

 著者の第一詩集だそうです。まず、おめでとうを申し上げ、新しい詩人の誕生を祝いたいと思います。作品はご覧のように感性の豊さを感じさせてくれます。「わけもなくふあんをかんじたり/なまぬくい空気のなかで/おもわずわっとこえをあげて泣きだしたい/こもったような衝動」を表現しているのがこの詩集の一面の特徴ではないかと思います。もう一面は、ふるさとの井戸にまつわる伝説を描いた「U」がありますが、そちらよりも前者に著者の良さが現れていると思います。
 世代的には私よりちょっと下になり、小学生の頃から高度成長期を体験していると思われます。そんな時代背景が「わけもなくふあんをかんじたり」させるのだとしたら、この詩人の感覚は並ではないと言えるでしょう。ぼやけた時代を生来の感覚で捉えた詩人、詩集と言えるのではないでしょうか。ひらがなの多用、だらだとしたセンテンス、それらが見事に詩人の感覚を表現する道具として使われている、稀有な詩集と思いました。



詩誌『銀猫』10号
ginneko_10
2002.5.31 群馬県前橋市
飯島章氏発行  300円

 声/中里諒子

鳥はどうして鳴くのだろう
あんなに大きな響く声で

怖くはないのだろうか

よく通るその声を
誰が聞くかわからないのに
あなたの言葉を
どう受け止めるか知れないのに

人間は隣にいても
声をひそめる

 おもしろい視点ですね。言われてみると私なども知らず知らずのうちに「隣にいても/声をひそめる」ことがあります。なぜかと考えると、うるさいのが嫌いなんだということに行きつきました。声高なのも嫌だし、ボソボソというのも嫌い。だから知らず知らずに声をひそめているのかなと思いました。ですから「誰が聞くかわからないのに」という感覚には驚かされます。ああ、そういう理由もあるのだ、と思った次第です。
 おそらく作者は注意深い人なんでしょうね。短い作品の中にも、その人となりが見えて、おもしろいものだなと思った作品です。



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