きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.8.22(日)
3日間続いた、異動に伴う前任者からの引継ぎも昨日で終り、今日から新職場での業務を開始しました。Eメールも開通して、机も少しはきれいになって、多少なりとも落ち着けるかなと思ったらとんでもない、次々と書類が届きました。書類に目を通して承認印を押さないと、製品の動きがとれないことが判っていますから、最優先で目を通すようにしていますけど、それ以外にも次から次へといろいろな事案が舞い込んで、てんてこまいの一日でした。表現は大袈裟になりますけど、息つく暇もないという状態ですかね。でも、しっかり喫煙室には定期的に行きますので、我ながらいい根性をしていると思いますよ^_^;
とても仕事を楽しむ現状ではありませんけど、いずれそうなりたいと思っています。社内で付き合う各地の営業所も、関連会社も以前の職場に比べて10倍は多くなりました。電話、Fax、Eメールと、あらゆる通信手段で情報のやりとりをしていますが、基本は人と人とが直接会うことだと思っています。そのうち関係者と会って、人間を見ることができそうで、楽しみです。
○個人詩誌『思い川』12号 |
2002.10.1 埼玉県鳩ケ谷市 桜庭英子氏発行 非売品 |
露草/桜庭英子
庭先には
幼いわたしの洗った
たくさんの洗濯物が風に揺れている
梅雨の晴れ間の青空を
病床から見上げていた母
肌掛け布団をそっと直してあげると
かるく咳込みながら
----ありがとうね
けわしい山坂を越えてきた母の
聞き流してしまいそうな呟きだった
たしかにそこに在って
たしかに聞いた言葉だった
けれどもそれがどんな声だったのか
なぜか定かに思い出せない
風の音 雨の音
あの日の音はどれも覚えているくせに
老いを知らずに旅立った母の
好きだった露草が濡れてうつむいている
遠い庭に立つと
かすれて錆びたラッセル音だけが
ふいに耳許で
あざやかに甦ってくる夕暮れ
何気なく読んでいて、「老いを知らずに旅立った母の」というフレーズでハッとしました。もう一度読み返すと「幼いわたしの洗った」というフレーズもあります。作者はずいぶん幼いときに母上を亡くされたのだなと改めて知った次第です。それにしても、普通なら若くして逝った£度の言葉が「老いを知らずに旅立った」という言葉になったのは見事です。声や音も奏効している作品だと思いました。
○麦朝夫氏詩集 『世界中どこでもみんなこんなふうに暮してるの?』 |
2002.9.1 奈良県大和郡山市 鳥語社刊 1000円 |
手のひら
土から顔を出してる小さな箱を 開けようとしただけ
地雷だった と突き出している
アフガンの子供の シンとない 両の手のひら
世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしてるの?
また砲撃から走るパレスチナの子供が 母親に聞いた
とコラムで読む そんな 朝の水をすくう
手のひらみたいにおんなじ世界
じゃなくて またおばあちやんと夜更けに走った病院は
過保護と来た子供たちでいっぱい
赤ん坊が泣き続け 点滴をくくりつけられた女の子が
だだをこねて 自由な方の手のひらで
人の 深く切れた指で
狭い世界の すぐ横でうつむいていたぼくの背中を
敵みたいに つかむ
詩集のタイトルになっている詩句が含まれている作品です。このタイトルでの作品はありません。「パレスチナの子供」の疑問に、どう答えればよいのか考えさせられる作品です。作品では「手のひらみたいにおんなじ世界」を表現していますけど、最終的には「敵みたいに つかむ」となっています。それが、精神的には「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしてる」という回答なのかもしれません。
あとがきの冒頭に「身近な死などを短く書いていたら、すさまじい死が現れて、書き方もわからなくなりました」とあります。「身近な死」も「すさまじい死」も詩人の精神に取り込んだ稀有な詩集だと思いました。
(8月の部屋へ戻る)