きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.25(
)

 裏の畑の西瓜が終ったので耕しておいてくれ、という80を過ぎた義母の依頼があって、午前中にやっつけました。耕すといっても義母が買ってくれた小型の耕耘機があるし、畑全面ではなく20坪ほどですから、アッという間に終ってしまいました。消石灰も撒いて、通常2回耕すところを3回やって、それでも1時間ほどで終ってしまいました。その後の耕耘機の掃除の方が長かったかもしれません。
 畑仕事は自分では作物を育てず、もっぱら耕すだけですが、何やら一端の百姓になった気分です。消石灰の説明書を読んでいて気付いたんですけど、作物を育てるということは、ある意味では化学なんですね。少しづつ興味が増しています。定年のあかつきには作物の本をいっぱい読んで、文字通りの晴耕雨読をやりたいものです。



進一男氏詩集『香しい島々』
kaguwashii shimajima
2002.8.20 東京都千代田区 沖積舎刊 2500円+税

 著者は奄美大島在住。学生時代は東京で過ごし、その後帰郷なさったようです。あとがきによると、島に関する詩集はすでに4冊あり、それらを一巻にまとめた、とありました。作品は昭和19年から始まっており、まさに著者の原郷を探る作品群と云えるでしょう。紹介したい作品はちょっと長いのですが、島の生活と作者の精神が顕著に読み取れると思います。ご鑑賞ください。

 村の構造に関する覚書----わが原郷

私の夢の中によく現われる所謂私の夢想の村は 東西北の三面を屹立する深い
山に囲まれ わずかに南の一面だけが海に向かう それもただ海に向かうとい
うのではなく ニライカナイと呼ばれる遥か海の彼方の 云ってみれば見えな
い果ての夢想の郷にまで対峙するのである 村の中央には昔ながらにミヤと呼
ばれる広場がある ミヤの正面に沿って束西に一本の道路が走る コチあるい
はアガレと呼ばれる東への道は山裾を流れるオッコと呼ばれる奥の川に突きあ
たり 奥の川の流れに沿って上流へ延び 山を越えて隣村に至る 一方 イリ
と呼ばれる西への道は これまた山裾を流れるイジュンゴと呼ばれる泉の川の
小さな流れに突きあたり 下流の方へ そしてやがてはオッコとイジュンゴの
合流するあたりの橋を通り 海岸線に沿ってもうひとつの隣村に至る 村のも
うひとつの道は ミヤの中央からマニシと呼ばれる北の方向 つまり 北の山
裾から西の山裾に沿って流れるイジュンゴのその上流に至る道である イジュ
ンゴとは泉の湧き出る川のことで 私の夢想の村の女たちは桶を頭にのせてこ
の泉から水を汲む 水汲みの仕事は芋を煮るのと同じく女たちの仕事のひとつ
である 村の女たちは美しくそして力持ちで 気が強く その笑い声は海に似
てあくまでも明るい その乳房は天に向く ちなみに村の男たちは 子牛ほど
もある犬を連れて山に猪を追い 中国の史書にあるように海に潜水して漁撈す
る 男たちは私もふくめてすべて人一倍の働き者で この上なく人がよくて
そして大酒飲みで 女たちには頭があがらない ところで村のもうひとっの道
は ミヤからコチへの道の中程からフェと呼ばれる南の方のわずかばかりの畠
に通ずる道である ミヤと以上の三本の道を囲んで 戸数三十戸人口百人の人
家が整然と並んでいる これらの人家はすべてスモモの木々に囲まれ 二月中
旬には白い小さな花をつけ 六月上旬には赤い小さな実を結ぶ 不思議なこと
に 村の戸数と人口は何時如何なる時でも変化はない これは大きなオッコの
水は涸れても小さなイジュンゴの水が決して涸れることのないのと同じく村の
不思議のひとつである 村には以上の三本のいわゆる人の道のほかにカンミチ
と呼ばれる神の道がある 神の道は人ひとり通れるかどうかの一本の細い道で
ある その神の道は ミヤの東の隅からイジュンゴの上流へと延びるのだが
そのまま直線的にイジュンゴの上流へ通じることはしない 途中で植込みに障
ぎられ 逆L字型に折れて ひとたび人の道に出て そこを少しばかりマニシ
つまり北の方にづれた所からイリつまり西の方向に延びたのち イジュンゴの
流れに出る そこからは 神々はイジュンゴの流れをさかのぼり 廻りまわっ
て イジュンゴの遥か上流の あのアマンゴと呼ばれる天人の川に至るのであ
る だから村びとたちは このイジュンゴの流れを汚すことは勿論 この流れ
の中に入ることも決してしないのである そういうことで 村では三本の人の
道にしろ 一本の神の道にしろ それらのいずれも 絶対に十字に交叉するこ
とをしない 道はすべてL字型か逆L字型かT字型に交わるのである これは
人家においてもそうである 村のすべての家は 門から玄関に至るのに道は必
ず一度植込みによって障ぎられ そこを右あるいは左に折れてのちはじめて玄
関に通ずることになる しかも家の造りそのものもまたL字型である ところ
でまた ミヤの正面には道路をはさんでフヤと呼ばれる神の家がある フヤだ
けはスモモの木々もその他の植込みも垣根もない なぜなら 神の家であるフ
ヤは何時でも神々が出入りできるように障ぎるものがあってはならないからで
ある フヤには神々の留守をあずかるために 私たちがジュウと呼んでいる老
人がひとり住んでいるが それでもフヤは何時も開け放しで 夜も明りをつけ
たまま開け放されている さて 村のすべての行事はミヤで行われる 夏の夜
は七日七夜の八月踊りがはずむ ミヤの家を意味してミヤンヤと呼ばれる私の
家はミヤのすぐ西隣りにあって 幼年の私が 高倉に急ごしらえした桟敷の上
での夜更けの眠りのなかで チヂンと呼ばれる手抱えの太鼓の三拍子の音をき
きながら とろとろ夢みたものは何だったか かつてそのような祭りの夜に
天の底から無数の火の鳥たちが村に降ったと 私の夢の中によく現われる私の
夢想の村では今でも村びとたちすべてが伝えている

  ※ なるべく註を必要としない方法で書いたつもりですので註は敢えて省略します。

 「私の夢想の村」は現実の村と考えてよいのではないでしょうか。「道はすべてL字型か逆L字型かT字型に交わるのである」「村のすべての家は 門から玄関に至るのに道は必/ず一度植込みによって障ぎられ」などの表記はおもしろいですね。何か理由があるのかもしれません。民族学者ならどう言うのか、興味あるところです。日本地図の奄美大島を広げながら詩集を拝見しましたが、まさに「香しい島」と思えてなりません。九州は福岡県までしか行ったことがありませんが、一度行ってみたくなりました。



宋敏鎬氏詩集『パントマイムの虎』
pantomime no tora
2002.9.20 東京都千代田区 青土社刊 1800円+税

 1997年の第一詩集『ブルックリン』以来、1998年の『ヤコブソンの遺言』と注目し続けてきた著者の第三詩集です。『ブルックリン』は中原中也賞を受賞していますからご存知の方も多いかもしれませんね。1963年生れ、心臓外科医という異色の詩人です。

 同性愛

同性愛のおぞましさは飲み干し
ゲイやレズビアンの誓いはなく
眼の奥を覗き 感染した手を握り 同じ鍋をつつく
博多の河豚は美味しくないけど ここは博多で
眼のやり場や手の動かし方を 遠い静岡の密室で教えてくれた
街では無関心の中年の男が ここでは先輩
五年振りの後輩は かしこまる
その中年の趣昧の悪いカーディガンに
そこから伸びる指の指輪の先の小木拓に
かしこまる 耳のない柔道家の大先輩の下部として
かしこまる 遅く来た宴会の幹事として
かしこまる 便座の肌として

しょっぱい血液を舐めたことはないけれど
ブーツの先なら舐めたことはある
爪の煎じたものではなく
爪の中の細菌を蹴散らして まるで指で砥めるように
多くの贓物に知識を注ぎ込んだ
同性愛者のように 何時間も 密室で
目の前の先輩と

後輩の食べ物の好みや女性の嗜好に触れることはなかったが
先輩は 異常嗜癖の常習者のように
後輩の朝の予定の光に 寄り添い
疑問を跳ね返し そこじゃない それでいい を繰り返し
身体の横から いつも 忍ぶように入ってきて留まった

後輩の出自を ここに座っている正解を 出鱈目にする
先輩は 運動部ではなく 医学部だが
辞書のような教本を纏わせてくれた
親のような愛が 同性愛

 同性愛というのは残念ながら経験したことはありませんけど、「親のような愛」と言われてみれば判るような気がします。第一詩集、第二詩集を記憶している私には、ずいぶん変化したなというのが偽らざる気持です。言葉の操りがもともと巧みな詩人ですが、それがより一層顕著になったように思います。この先どんなふうに変化していくのか、現代の詩壇で注目すべきひとりであることには間違いありません。



詩誌『展』57号
ten 57
2002.8 東京都杉並区
菊池敏子氏発行 非売品

 敵/山田隆昭

真昼のゲームセンターだった
ひとり またひとり
撃ち倒す
次々にもの陰から現れる敵の
銃が火を噴く前に
指に残る軽い衝撃
のけぞり もんどりうって
彼らは地に伏して動かない
 たぶん死んだのだ
 たぶん
画面のなかの兵士にも
人生があっただろうか

古い記録映画だった
コマ送りの技術が稚拙なためか
兵士の動きが不自然だ
妙にせかせかと灰色の空間に向かって進んでゆく
近くで砲弾がはじける
土と一緒に空中に吹き上がる兵士四〜五人
曲がった手足がなまなましい
もりあがる黒煙が作る影に圧されて
 彼らも死んだのだ
 たぶん
その後の彼らの消息は伝えられない
僕が生まれる数年前の出来事だというのに

父から受け継いだもの
繰り返す銃撃の記憶
安穏とした日々のとあるひととき
向きあった鏡のなかにむっくりと身を起こす
自分という凶暴な


 「ゲームセンター」と「古い記録映画」の兵士をうまく重ね合わせた佳作だと思います。「僕が生まれる数年前の出来事だというのに」というフレーズは私も同感です。
 何と言っても最終連がうまいですね。「自分という凶暴な/敵」。自分への最大の敵は自分。自分以外の者にとっても知らず知らずのうちに敵になっているのかもしれません。詩でなければ描き得ない作品と云えましょう。



個人誌『伏流水通信』4号
fukuryusui tsushin 4
2002.8.25 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行  非売品

 一行/うめだ けんさく

気持ちの裏側に
ザクッとした裂け目ができて
刃がのぞけて見えるときがある
〈ナンダ アレハ

書いた一行に爆薬をつめこむ
たとえ つまらない反逆と知っても
渦巻いているものを止めようもない
〈ジバクシテモヨイトオモッテイルノカ

詩人だって?
人びとはきっと笑うよ
〈タワゴト トネ
〈デモ ヤメラレナイ
〈アノ ヤイバガアルカギリ

 詩人ならば「刃がのぞけて見えるとき」もあり、「書いた一行に爆薬をつめこむ」こともあるでしょうね。この作者の気持はよく理解できると思います。何の得にもならないことを、場合によっては権力に逆らうリスクを侵してまで、なぜ書くか。「渦巻いているものを止めようもない」「デモ ヤメラレナイ」としか言い様がありません。そんな詩人の心境を短編ながら見事に描いた作品だと思いました。



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