きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.8.31(
)

 昨夜は午後6時から午前1時頃まで、延々と呑んでしまいました。前職場の懇親会の幹事だった連中の集りでした。幹事という役目は2001年12月をもって終っているのですが、何やかやと理由をつけては何度か呑んでいます。今回は唯一、独身女性幹事だった人が6月に結婚したので、そのお祝いという理由でした。亭主も呼んで、彼女に近しい人たちも呼んで、10人ほどで呑み続けました。
 うれしかったのは一次会で行った「養老の滝」の対応でしたね。先月、四合瓶3本を5000円で入手した「越乃寒梅・別撰」を一本持ち込んだのです。店の女の子に持込料を払うからね、と言っておいたのですが、すぐに店長が現れて「そのくらいならいいですよ、でも、あまり大っぴらにしないでね」と言ってくれました。一本1700円ほどの酒に2000円ぐらいの持込料を覚悟していたんですけど、この対応はうれしかったですね。もちろん、持込料以上のお酒をガンガン注文しましたよ^_^;
 たまに行く二次会用の駅前のバーは午前0時には閉店。そこも1時近くまで開けてくれました。もう看板だよ、と言われてからマスター・ママさんと話し込んでしまいました。マスターは以前、私の勤務する会社にいたようで、双方が知っている人の噂で盛りあがってしまいました。
 気の合った仲間、気持のいい店という条件がつくと、本当に朝まで呑んでしまいそうな勢いになりますね。そういう朝は目覚めもさわやかです。



西岡光秋氏著『詩人たちへの花束』
日本未来派叢書 PARTT
shijin tachi eno hanataba
2002.8.15 東京都練馬区 日本未来派刊 1800円+税

 人間は歳をとればとるほどいろいろな人の死に直面します。まして亡くなった人が詩人などの文学者であった場合は、その交友によっては追悼文を書かなくてはならない場面に遭遇します。この本はそんな詩人たちへの追悼文集です。1967年没の蒲池歓一國學院教授を始めとして、2001年没阿部正路國學院教授まで、実に38名の詩人、歌人、俳人、編集者への追悼がまとめられていました。
 私にとってはお名前しか存じ上げない方も多く、若輩としては致し方のないことでしょう。そんな中でも直接お会いしている詩人や、文通のあった人たちのことは今でも胸の痛む思いがします。赤石信久、入江元彦、木村孝、山田今次、高橋渡、加藤幾恵、上林猷夫の諸先輩方にはずいぶん可愛がってもらった思いがあります。土橋治重、早川琢両氏にはお会いしたことはなく、電話や手紙のやりとりだけでしたが、お人柄はこの追悼文ででも偲ぶことができました。
 この本からは追悼文の書き方も教わった気でいます。あまり密着し過ぎず、相手が文学者であるという視点を外さず、相手の人間性を浮かびあがらせること、そんなところが大事なのかもしれません。追悼文などあまり書く気はしませんが、立場やつき合いの程度によっては書かざるを得ない場合も出てくると思います。そんな時にはこの本を参考書としようと思います。いずれわが身も追悼文を書いてもらうことになるでしょうし…。



水野ひかる氏詩集『抱卵期』
houranki
2002.9.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊  2400円+税

 まぼろしの雛

阪神大震災のすこしあと 三月三日の新聞に載っていた
一対のお内裏さま 壊れた家から取り出され 廃墟のな
かで異界のように輝いていた 見つめているわたしの瞳
が 五十年の時を超えて戦火を呼ぶ

焼夷弾の降る街で 一歳にもならないわたしは父の腕の
なかにいた 四十歳になったばかりの父 母は全財産の
茶色のトランクを提げ 長兄は少年航空兵に志願して満
州へ 女学生の姉と小学生の次兄 は川に向かって走っ
ていた

時の市長は 家財を持ち出し 疎開することを 禁じてい
て 素直な市民はそれを信じて 多数の命と家が失われ
た 母はもう逃げられないと覚悟して日本と運命をとも
にしたいと言い 父は赤ん坊もトランクも棄てられない
と ふたりで言い争った

そのころ 住んでいた家は 数個の焼夷弾が落ち めら
めらと燃えあがる金屏風 雪 洞 十二単衣の お内裏さ
ま 人のように人形が焼かれ 人形のように人が燃えた

真夏の太陽の灼けつく焼け跡 水を張った五右衛門風呂
に不発のままの焼夷弾 釜にしかけた 御飯は 炊きあが
り 七月の熱気で腐っていた 灰になった緋毛氈 わた
しの瞳は誌面から離れない まぎれもなくそのときの
まぼろしの一対のお内裏さまから

 阪神・淡路大震災と敗戦直前の都市爆撃とが「お内裏さま」を介して見事にむすびついた作品だと思います。特に「人のように人形が焼かれ 人形のように人が燃えた」というフレーズに、詩人の言葉としての重みを感じます。
 紹介した作品は詩集のT部に収められていますが、U部では絵画鑑賞後の作品が多くなります。絵画をモチーフとした詩作品は多くの詩人が書いていますけど、私はあまり評価していません。どうしても絵画の説明になってしまい、詩が負けていると思うからです。しかし、この詩集のU部は違いました。詩人として絵画に同化している感動が覗えました。非常に珍しいケースだと思います。絵画に擦り寄らず、詩人として屹立しているからだろうと思いました。



詩と批評誌『岩礁』112号
gansyo 112
2002.9.1 静岡県三島市
岩礁の会・大井康暢氏発行 700円

 自主性について/近藤友一
 、、
「処女なんか
早くなくして いい

小娘がいっている……
世の中 どうなってるのか
なげかわしいと
親しい人が 電話でいっている

女になること
けっして 悪いことではない

電話の主の 真意を
はかりかねて
「はあ ごもっとも」と
つい こたえてしまったが
そういう
自主性のなさを
たしなめていることに
やっと気づいた……

会仕を定年になった私が
この程度だから

電話の主には
あまり 立腹なさらずにと……

台風 去った 遠州の
大きな 大きな
夕陽。

 自主性と一口に言っても難しい問題を孕んでいるんだなと、この作品を拝見して考えてしまいました。私も「自主性のなさを/たしなめ」られる方だと自分で思うのですが、我を張ることと紙一重のようで、本当に難しいですね。私なりには基準を設けて、月に一度なり年に一度なりは「自主性」を主張しますけど、あとはどうでも良いことの方が多いと思えて、「はあ ごもっとも」で過しているつもりなんですが…。
 作品としては最終連がよく効いていると思います。視点を変えて「大きな 大きな/夕陽。」を見れば、ささやかな「自主性」などたいしたことはない、と教えられた気がします。



新・現代詩文庫4『前原正治詩集』
maehara masaharu shisyu
2002.8.23 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊
1400円+税

 「独り」の練習

孤独な物書きに疲れて 書斎を出てみると
小学生の娘が 居間の食卓で
一心に手を動かしているのだった
近づいてみると ノートに
〈独〉という字を何度も書き
ページいっぱいを埋めているところであった
息子は塾からまだ帰らず
妻も残業で 夜遅くなるとのことであった
職を探し求めにくる人間を世話する妻には
大学出の ただ一人の部下がいたが
その青年は神経をやられ
毎朝 家族に説得されて家を出ては
近くの病院の待合室でうずくまっているのだった
何かしら 時間が抜け落ちたようなこの夕べ
私はただ 娘の字の練習をみつめているのであった
目を閉じると 眼の内部いっぱいに
独 という字が群がりひしめき
いつしかそれは 獣の毛をそよがせた
奇怪な虫の 無数の蠢きになっているのであった
獣も虫も侮辱する
私という人間の心も想像も 病んでいるのだった
書斎に戻りかけてふり返ると
やはり娘は 一心に手を動かしているのだった
時を忘れた その眼と頬は
夕陽に染められ 美しく輝いているのであった……
みかんの香りを漂わせ   
こ ま
自己回転している 娘の魂の独楽!

 著者が今までに刊行した詩集8冊のダイジュスト版です。紹介した作品は1987年11月、石文館より刊行された第七詩集『独りの練習』のタイトル・ポエムです。著者が45〜46歳頃の作品と思われます。娘を見つめる父親のあたたかい視線の中にも、社会との関連、文字への思いが伝わってくる作品だと思います。特に「いつしかそれは 獣の毛をそよがせた/奇怪な虫の 無数の蠢きになっているのであった」というフレーズには、詩人の文字に対する敏感な感性を感じとれます。
 そして、やはり最終行はいいですね。「自己回転している 娘の魂の独楽」という見方はなかなかできないものと言えましょう。「何かしら 時間が抜け落ちたようなこの夕べ」というフレーズとともに、いつまでも記憶に残る詩句だと思います。



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