きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.9.6(金)
日本詩人クラブの理事会が18時から予定されていましたが、出席できませんでした。20時まで仕事が入ってしまったからです。新しい職場に異動して20日ほど、ちょうど疲れも出たころですので休暇をとろうと思っていました。一日休暇なら足柄山からでも余裕で神楽坂に行けますからね。それはちょっと無理なことが判って、じゃあ午後からの半日休暇。うーん、それも無理、なら15時か16時のフレックス勤務、と、だんだん先細りになりながらも出席を目論んでいたんですけど、気付いたら18時。これから出掛けても20時ですから、とうとう諦めてしまいました。
でも、三日間に及ぶ関連会社の生産計画も完了して、実はホッとしています。週末までに出さないと、相手の会社や輸送などを担当する会社にも迷惑をかけてしまいますからね。私として初めて取り組んだ仕事ということもあって、思わぬ時間をくってしまいましたけど、来月からは大丈夫でしょう。仕組みもコツも呑み込んだ気でいます。来週になって、思わぬ落し穴が待っていなければいいんだけど^_^;
○大貫喜也氏詩集『黄砂蘇生』 |
2002.8.20 東京都新宿区 思潮社刊 2400円+税 |
失せもの
物に心がないと思うのはうそだ
持ち主が思いやりを失うと
物は立ち所に去っていく
心ここにあらざるとき
物は持ち主に嫌気がさして
隠れようとする
持ち主に多少の未練があっても
心のひだを見透かして
物はいさぎよく離れていく
そして二度と姿を現さないのもいる
物は通りがかりの人にすがりつくか
墓場まで孤独にじっと座っているかだ
物は持ち主の胸中を推し量って存在する
物と人間の心理について、見事にうたいあげた作品だと思います。私も意外と物を無くす方ですので、この作品の諫言は耳に痛いですね。なぜ物が無くなってしまうのか、その原理を教わった思いをしています。あまりに物があふれ過ぎたせいでしょうか、この作品のような感覚を無くしている自分にも気付きます。
著者の朗読を、1995年の日本詩人クラブ北海道大会で聞いたことがあります。リリシズムにあふれた朗読でした。今回、初めて詩集という形でまとまった作品を拝見して、当時のお声を思い出しています。
○高橋馨氏詩集『Kawolleria』 |
2002.9.8 千葉県茂原市 草原舎刊 2000円 |
不眠の時間
たったいま
見たはずの
乗率表がない
帳簿の間を捜す
どけてみる
引き出しを開ける
書類が散らばる
腹這いになって
机の下を覗く
椅子がひっくり返る
取り上げた一枚
乗率表ではない
隣の机の
書類をずらしてみる
なければ
一歩もすすまない
明日からの
作業もお手上げ
散らかった机の上を
再現なく捜し続ける
混乱の極致で
目が覚めた
闇の五時である
コオロギが鳴いている
泣いている虫以下だ
と思う
退職して
五年
失われた睡眠
簒奪された記億
いったい
乗率表とはなにか?
と考えながら
不眠の眠りを
眠る
非常に感覚的な作品が多く、頭を自由にして鑑賞することができました。紹介した作品のように、睡眠・不眠が詩集のひとつのテーマになっているように思います。「乗率表」も夢の中の言葉? 何となく判るような気もしますね。乗車率表、乗船率表、乗機率表、乗客率表など、いろいろと巡らすことができますけど、それとは関係なく、やはり「乗率表」でいいのだと思います。そういう言葉もこの詩集の魅力だと思うのです。
あとがきに「パソコン横書きでずっと書いてきました。事故で細かな字が書けなくなってから、手書き縦書きで書くのは不可能に近い。」とあります。横書きの文字空けもなるべく原文に添ったつもりです。空ける理由も考えながら鑑賞するのも良いかもしれません。
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